「おい、氷河。おまえ、合コンに出る気はないか」 氷河が紫龍に呼びとめられたのは、学校公認のサークルの部室と 各学部の自治会室がある学生会館ビルを出た時、出たところ。 午後の講義開始には まだ30分ほどの時間がある 昼休みだった。 聖域学園大学には、文学部、法学部、教養学部、政治経済学部、理工学部、農学部、医学部、薬学部、芸術学部、体育学部、社会情報学部、人間科学部の12の学部と各部大学院、及び、付属の高等部、中等部、初等部がある。 紫龍は、農学部のバイオサイエンス学科に籍を置く学生だった。 人間科学部国際コミュニケーション学科に籍を置く氷河とは、本来 全く接点はない。 たまたま紫龍の専攻分野が 開発の進んでいない極地海洋資源のバイオ食糧研究で、氷河が東シベリア海近郊出身のロシアからの国費留学生だったため、二人は海つながりで交流を持つことになり、それが なぜか切れることなく今に至っていた。 『人間に興味がないのに人間科学部に籍を置く変人の方が、シベリア海のプランクトンより興味深い』とは、紫龍の弁。 紫龍が、友情がどうの、国際交流がこうのと、人間的なことを言わず、プランクトンと同レベルのものに対する態度で接してくるから、両者の間には 人間同士の友情のようなものが成立しているのかもしれないと、逆説的なことを 氷河は思っていた。 「誘う相手を間違えていないか」 その紫龍が、合コンなどという、ある意味 俗っぽいほど人間的な催しの話を、人間が嫌いだから人間を研究対象にしている男に持ちかけてくるとは。 “意外”の念を抱きつつ、紫龍にそう答えてから、氷河はすぐに自分の発言を取り消した。 「誘う相手ではなく、おまえが そんなものに人を誘うことの方が 間違いか。可愛いプランクトンとのデートをセッティングしてやったとでも言われた方が、まだ 貴様らしいと思えるぞ」 「間違ってはいない。何やら事情があって、急遽12の学部と院、高等部から1名ずつ代表者を出して、非公式の学内懇談会を開催することになったらしいんだ。で、人間科学部からは おまえが出席することになった」 「学内懇談会? 俺が出席することになったとは、どういうことだ。誰がそんなことを勝手に決めたんだ」 「それがわかったら、俺の気の進まなさも消えるんだがな。農学部からは俺が出席する」 「貴様が? 学部内で有名な変人たちを集合させて、変人度を競わせる趣向か? 懇談会なら懇談会と言え。合コンなんて聞こえが悪い」 “事情があって、急遽 開催することになった”学内懇談会は、主催者不明、開催目的不明という、実に怪しいイベントらしい。 そんな得体の知れないイベントのために貴重な時間を割く気にはなれない。 もちろん氷河は紫龍の誘いを断ろうとしたのだが、あいにく彼は そうすることができなかった。 紫龍が、植物プランクトンより謎めいて意味ありげな情報を、人間科学部代表参加者に提供してきたせいで。 「何のための会合なのかは俺も よくわからんのだ。男女の数を同数にするということだから、内実は合コンなのかもしれないと思うだけで――思わさせられるだけでな。誰かが何らかの魂胆をもって開催するイベントだということは確実のようなんだが……。もしかしたら出席者に内容を知らせずに何かの実験をしようとしているのかもしれないし、あるいは合コンに見せかけるために、わざと男女同数と言っているのかもしれない」 「普段、正直なプランクトンの相手ばかりしているくせに、あれこれ忖度するのが好きだな。で、おまえの ご高察が導き出した結論は?」 人間個々人に対する興味はないが、時に 個人の思惑を超えて生じる様々な事態や、組織の陰謀には大いに興味がある。 そして、紫龍の 穿った考察は常に興味深く、その結論は正鵠を射ていることが多い。 合コンには興味がないが、それが紫龍の持ってきた話だったので、氷河の好奇心は刺激された。 問われた紫龍が、わざとらしく 声をひそめる。 「結論には至っていない。――が、これは内密のことなんだが、その合コン、全学部の学生を巻き込んだ大仰なものなのに、各部の学部長は一切無関係を装っているんだ。学部長が指示を出せば、大抵の学生は素直に その指示に従うだろうに、そうしない。しかも、やたらと非公式を強調する。『合コンのようなものだ』と説明しているあたりも怪しい。俺に非公式懇談会に出席しろという話を持ってきたのは王虎なんだが、その指示自体は老師から出ているらしいんだ。おまえに出席するように伝えろと、俺に言ってきたのはカミュだ。俺には農学部の学部長である老師が、おまえには人間科学部の学部長であるカミュが、直接指示を出せばいいだけのことなのに、あえて そういう迂回経路を採る。出席する学生を指導している教授が 直接指示を出すと、何らかの不都合が生じるらしい」 「ふ……ん。学問の進歩のためというのなら、モルモットにでも何でもなるし、調査実験に協力することには やぶさかではないが――確かに 陰謀めいたものを感じるな。何か裏がありそうだ」 「飲食費は教授会持ち、経費で落ちる。とにかく、表向きは学生同士の懇談会、その実 合コン、だが、更に裏がある――といったところか。ただの合コンに見せかけたいから、あえて 非公式の懇談会という名目をつけているようにも思えるな。まあ、飲んで食って、適当に女の子を引っかける以外のことはしなくてよさそうだが」 目的不明の合コンに聖域学園大の二人の学部長が絡んでいるというのは、大ごとである。 なにしろ、聖域学園大学の学部長ともなると、誰もが その分野における世界的第一人者。 そんな男たちが、よりにもよって合コンなどという俗なイベントのセッティングに奔走しているのだ。 彼等の行動に裏がないと考える方が むしろ不自然である。 はたして、その懇談会という名の合コン、もしくは 合コンという名の懇談会には、鬼が出るのか蛇が出るのか。 鬼や蛇が出なくても、飲食代がタダなのは確実であるらしい。 裏を知りたい気持ちと、“飲食費は教授会持ち”の言葉が、氷河の心を揺さぶった。 「女は引っかける気も 引っかかる気もないが、飲食費教授会持ちは悪くない。何者かの魂胆があるにしても、俺たちに遂行しなければならない任務があるというわけではなく、ただ 食って飲んでいるだけでいいんだな?」 氷河は、ロシアからの国費留学生だったが、彼の故国は、よほどのことがない限り、予算内で決められた金額以上のものは出してくれない。 他大学で 学問より就労を目的として日本にやってくる私費留学生たちに比べれば、氷河の生活は かなり余裕のあるものだったが、だからといって氷河は湯水のように金を使える状況にあるわけではなかった。 合コンに顔を出して飲み食いすることで、専門書1冊分の購入費が浮くなら、それに越したことはない。 学内の陰謀と 無料の飲食。 食当たりを起こしそうな食い合わせだが、一方には興味があり、もう一方には実利がある。 30秒ほど悩んでから、氷河は、最終的に、怪しい陰謀のモルモットになることを承諾した。 |