聖域学園大学の文系各部教授の研究室がある東第一校舎。
休日とはいえ、学内には学生たちの姿が それなりにあった。
だが、主な利用者が教授と准教授である上、レストランが機材メンテという名目で立ち入り禁止になっているせいもあって、東第一校舎の周辺には人影は ほとんど見当たらなかった。
その校舎の正面入り口の前で、瞬は思わず足を止めてしまったのである。
「僕、この校舎に入るの、初めてだよ。ここ、大学に籍を置く学生か、学園の許可を得た人じゃないと、普段は入れない建物だよね」
足を踏み入れた途端、守衛に咎められることになるのではないかと、瞬はびくびくしていた。
催されるのは、非公式というより極秘開催の合コン。
開催の事実を隠蔽するためなのか、瞬には入館許可証も与えられていなかったのだ。

「なに びくびくしてんだよ。大丈夫だって。俺たち、別に悪いことしに来たわけじゃねーんだし、ぐずぐずしてると遅刻するぞ」
「あ……うん……」
合コン出席者が12学部と院の学生となれば、このイベントで最も目下の参加者は高等部の生徒である自分たちということになる。
“気後れする”などという理由で 先輩諸氏を待たせるようなことになったら――その方が瞬は恐かった。
意を決して校舎に入り、誰にも咎められることなくエレベーターに乗り、最上階である15階にあるレストランに到着。
話は通っていたのか、その間、高等部の制服を身に着けた二人は 誰にも入館を咎められることはなかった。

瞬は遅刻したわけではなかったが、合コン会場には既に他のメンバーが全員揃っていた。
文学部、教養学部、薬学部、芸術学部、体育学部、社会情報学部と院からは女性が、法学部、政治経済学部、農学部、理工学部、医学部、人間科学部からは男性が出席しているらしい。
ネームプレートをつけているわけでもないのに、そうと判断できたのは、そこにいる学生たちが高等部の瞬でも知っているような有名人ばかりだったからだった。

学生が利用することは あまりない教職員用レストランは、決して狭くはないが、広いわけでもない。
この合コンのために運び込まれたのだろう、会議室用の大型の長テーブル。
普段 そのフロアに置かれている少人数用のテーブルは どこかに片付けられたらしく、フロアにあるのは その会議室用の大テーブルだけだった。
出席者の半数ほどがテーブルの席に着き、他の半数は、壁に掛けられている絵や ラックに置かれている学会誌を眺めている。

「遅くなって、すみません。ぼ……僕、ほんとに僕たちが この校舎に入っていいのかどうか わからなくて――」
瞬がフロアの入り口で、恐る恐る 遅くなった理由を告げると、先に来ていた学生たちは一斉に その視線を瞬の方に巡らせてきた。
気後れしているせいなのか――瞬には、彼等が――特に女性陣が――ひどく恐い顔をしているように感じられたのである。
皆 それなりに美人で、見るからに頭の切れる自信家。
彼女等は、威圧的といっていいほど険しい表情を瞬に向けてきた。

「大学の有名人ばっかり……。僕、やっぱり場違いだよ」
年上の女性たちの視線に さらされて――蛇に睨まれた蛙のように、瞬は身体をすくませた。
隣りに立つ星矢の方に顔の向きを変えることすらできないまま、小声で呟く。
「そんな、びびるなって。おまえも十分 有名人だから。その資格のない中等部の頃から、大学主催のミス聖域学園大の候補に毎年 なぜかおまえの名前が挙がってるだろ」
「そんなので有名でも、情けないだけだよ」
「そっかなー。んでも、まあ、ここまで来たら、恐くても逃げられないだろ。つーか、恐くて逃げられないよな。んじゃ、俺は帰るから。頑張れよ」
そう言って、星矢が踵を返そうとする。
顔はホールの方に向けたまま、瞬は慌てて星矢の手首を噛んだ――というより、すがりついた。

「え……星矢は合コン 参加しないの?」
「俺、呼ばれてねーもん。俺は、どうせサッカーの練習があってガッコに来なきゃならなかったから、おまえが尻込みしないように、ここまでついてきてやっただけ」
「そんな……。一人であのメンバーの中に入っていくのは恐いよ」
できれば、瞬は このまま星矢と共に この場から逃げ帰りたかった。
異様に迫力と存在感のある13人の先輩たち。
彼等の中に入っていかずに済むのなら、再び あのメイド服を身に着ける方が まだましだとさえ思う。

「バイトと割り切れよ。さすがに、取って食われたりはしねーだろ」
「でも……」
星矢の言うように、取って食われることはないだろう。
だが、だから恐がるなと言われても、それは無理な話である。
高等部の制服を身に着けている か弱い男子生徒を、胡散臭そうに見詰める女子大生たち。
瞬は 自分が彼等に歓迎されているとは、どうしても思うことができなかった。
ホールの入り口で、前進も後退もならず 自動ドアを焦らし続けている瞬に、星矢が小声で話しかけてくる。

「あのさ。これはおまえには言うなって言われてたけど、この合コンに おまえが出席するように仕向けてくれって俺に言ってきたのは、ウチの校長先生なんだ」
「アルビオレ先生が?」
「ん。なんか、直接 おまえに指示を出せない事情があるらしいんだ。俺が察するに、アルビオレ先生、自分の教え子の中で いちばん優秀な生徒を選んだんじゃないかと思う。でも、ほら、仮にも 生徒に公平に当たるべき教師が、個人の判断で 一人の生徒を選んで、直接指示を出したりしたら、生徒に優劣つけてるみたいで まずいだろ。それで、こういう遠回しなやり方で、おまえをここに来させるようにしたいんじゃないかと思うんだよな」
特別に選ばれて おまえはここにいるのだと、星矢は言っている。
瞬が この合コンに参加することは ただの数合わせのバイトではなく、そこには 何らかの必然性必要性があるのだと。
その説明を受けて、本音をいえば、瞬は、ますます事情がわからなくなり、一層 不安を募らせることになったのである。
が、恩師の意となれば、期待に添わないわけにはいかない――期待に添いたい。

「武運を祈るぜ」
星矢の激励に背を押され、瞬は意を決して フロアに足を踏み入れたのである。
瞬と星矢の間で、自動ドアが軽い音を立てて閉まる。
もう後戻りはできない。
恐る恐る テーブルに近付いていき――瞬が そこに到達する前に、瞬に声をかけてくれた人がいた。

「君も、この合コンに呼ばれたメンバーなのか」
声音は、咎める者のそれではない。
むしろ、どこか気遣わしげ。
彼は、瞬が気後れしていることに気付いているようだった。
金色の髪と青い瞳の持ち主。
瞬は、それが誰なのか、すぐにわかった。
彼は、瞬が進学を希望している人間科学部の有名人――というより、聖域学園大学で屈指の有名人だったのだ。
聖域学園大学には留学生も多く、髪や瞳や肌の色が 日本人と異なる学生は珍しくなかったが、その中でも彼は特に目立つ学生だった。

「あ、はい。僕、男子です」
名前より何より、その点を主張しておかなければならない。
用心のために、瞬は真っ先に その事実を彼に訴えた。
瞬の訴えを聞いた金髪の有名人が その瞳を見開き、彼の後方でNATUREに目を通していた長髪の学生が、軽い笑い声を響かせる。
「氷河。その子は高等部の代表だろう。人間科学部に籍を置きながら、人間に興味を持っていない おまえは知らないだろうが、毎年 ミス聖域学園大の候補に挙げられるほど可愛いのに、校内の試験ではトップ以外の順位を知らないというので有名な子だ。恐がっているようだから、おまえ、面倒を見てやったらどうだ。頭脳勝負の女性陣が、なぜか敵愾心を抱いているようだ」
「敵愾心なんて、人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。私たちは、どうして女の子が男子の制服を着ているのか、不思議に思っただけよ」
「え……」

女性陣が瞬に向ける胡散臭そうな視線は、どうやら そういうことだったらしい。
彼女等は、瞬の性別を不審に思い、その結果として瞬を凝視することになっただけで、瞬を歓迎していないというわけではなかったようだった。
自分は先輩たちに歓迎されていないわけではない――拒絶されているわけでも 排除しようとされているわけでもない。
それは喜んでいいことなのかもしれなかったが、正真正銘の男子である瞬としては、彼女等の不審には、やはり傷付かないわけにはいかなかった。
金髪の有名人が、傷心の瞬の肩に さりげなく手をまわしてくる。

「こんなに可愛い子が男の子とは――。だが、まあ、そういうことなら、俺の隣りの席に――何だ、紫龍、そのツラは。席は決まっていないんだろう?」
瞬を席に着かせようとした氷河が、その足を途中で止めたのは、農学部の有名人が キツネにつままれたような顔を、人間科学部の有名人に向けていることに気付いたから。
そして、農学部の有名人がキツネにつままれたような顔になっていたのは、人間科学部の有名人の振舞いが、彼にとっては奇異そのものに感じられていたからのようだった。
「いや。おまえのことだから、面倒を見てやれと言われたら、『なぜ 俺がガキの面倒を見なければならないんだ』くらいのことは言うものとばかり――」
「貴様は何を言っているんだ。俺は常に誰よりも親切な男だぞ」
「おまえが どの口で そんなことを言うんだ。まあ、後輩に親切なのはいいことだが……」

農学部の有名人が そう言って、まるで品定めをするような目を、瞬に向けてくる。
その視線を受けて、瞬は少々 気まずい気持ちになったのだった。
瞬は、有名人が有名なことは知っていた。
だが、瞬が知っているのは、言ってみれば 彼等が有名人だということだけで、個人としての彼等を知っていたわけではない。
ゆえに、彼等のやりとりは 瞬には理解できないことで、瞬は二人の会話を ただ ぼうっと聞いていることしかできなかったのである。
そうして、瞬は、氷河に促されるまま、氷河の示した席に着いた。

誰がどの席に着くのかは 特に決まっていなかったのだろうが、合コンという体裁を整えるためか、参加者たちは 自然に男女が向かい合う席に着くことになった。
瞬は(ちゃんと)男子側の席で、人間科学部の有名人と農学部の有名人に挟まれた場所。
「私、知っているわよ。“そんじょそこいらの女の子には太刀打ちできないくらい可愛い瞬くん”。有名だもの」
真向かいの席に着いた女子学生に、からかいと、どこか挑むような響きの入り混じった口調で そう言われ、瞬は 思わず身体を小さく丸めてしまったのである。






【next】