広大な敷地の中に、主たる12の校舎と、図書館、食堂、病院、学生会館や教職員会館、幾つもの分館、研究施設。 日本のバチカンと呼ぶ者もいる巨大な聖域学園都市という町。 その町に集う数万の学生、生徒、児童、教職員。 複雑で多岐に渡った巨大な組織――学校法人。 聖域学園大学の学長の地位に就くことは、決して この学園都市を支配することと同義なわけではない。 何といっても、その上には更に数人の理事と理事長がいる。 だが、それでも、聖域学園大学の学長となる者は 人類最高の叡智を手にする者として 世界に その名を轟かせ、絶大な名誉と栄光を得ることになるのだ。 権力、名誉、他者からの尊敬、聖域学園という巨大な学校法人が生む桁違いの富。 何を最も欲しているにしても、聖域学園大学の学長の地位に就くことを望む者は多かった。 誰もが その地位に就きたいと願っていた。 時には、聖域の外にいる有力者たちの中にも、その望みを抱く者はいた。 だが、基本的には、聖域学園大学の学長は、12の学部の責任者である学部長の中から選抜される。 その日、聖域学園の本校舎にある会議室には、聖域学園大学の12の学部の学部長たちが一堂に会していた。 聖域学園大学の次期学長を決めるために。 自らの持つ力を世界トップレベルと自負し、その力が人々の幸福と世界の発展に寄与することを疑わない12人の男たち。 そして、己れの持つ力が 他の11人の力を凌駕し優越すると信じている12人の男たち。 彼等の力の強大さは、何よりもまず自らの力こそが最高にして最善のものと信じる自信から生まれるものだったろう。 自薦はあっても他薦はあり得ない彼等の間では 投票という手段を用いても、ただ一人の長を選ぶことは不可能。 12人が 自らに1票を投じて終わるだけ。 議論を始めれば、12人が12人共、自らの力の有益を延々と述べ立て続けるだけ。 それがわかっていたから、彼等は、1週間前に開催された学部長会議で 決議したのである。 次期学長に選抜される資格を有する12人の学部長たちの能力に優劣がないのなら、その後継者の出来を比較検討して、その地位に就くべき者を決めようと。 学問の道というものは、一代の天才によって極められるものではない。 どれほど優れた能力を持っていても、一人の人間にできることには限りがある。 長い目で見れば、優れた後継者を持つ学者こそが、世界の平和と その発展に寄与する道を築くもの。 また、その学者に人望と声望があるからこそ、彼の許に優秀な人材が集まってきていると見なすこともできるだろう。 彼等は、そう考えたのである。 もちろん、後継者の出来を比較検討するにしても、後継者たちの学究分野は異なっており、同じステージで競わせることは不可能。 そこで12人の各部長たちは、その判断を、彼等の学究分野ではなく、12名の後継者たちの人間的魅力を見て 為すことにした。 となれば、比較検討する要素を数値化する必要が生じる。 そのために企画されたのが、12名の学生たちが参加する合コンだった。 その合コンにおいて、他の参加者の電話番号やメールアドレス等、最も多くの連絡先を収集した者を 最も人間的魅力を有する者と見なし、その学生の指導教授を次期学長とすることにしたのである。 それが、1週間前の学部長会議で決定した、次期学長選抜の方法だった。 ところが、その運命の合コンで、他の参加者の連絡先を入手したのは、人類科学部の氷河と高等部の瞬――共に男子――だけだったのである。 これは、世界の叡智たる12人の学部長たちも想定していなかった事態だった。 もちろん彼等は、同数の連絡先を入手する学生が 複数出ることは想定していた。 そうなる確率は かなり高いと考えていた。 だからこそ、彼等は、その合コンに 大学院と高等部から2名の部外者を加えることにしたのである。 学長になる資格を持たない人物の関係者という不確定要素を加えることで、同数の連絡先を得る学生が出現する可能性を低下させるために。 そうすることによって 同数連絡先を入手する者が出現する可能性をゼロにすることはできないが、学長候補者を12名より少なくすることができれば、それで合コン開催の目的は果たされる――と、12人の学部長たちは考えていた。 学長候補者が12名より減りさえすれば、学長選出の場において、学長候補から除外された人物は 自分以外の候補者に、自らの1票を投じることになる。 それで、12名の学長候補者が自身に1票を投じ、すべての候補者が同数票を得る――自身の投じた1票だけを得る――という不毛な状況を終わらせることはできるだろう。 それが、聖域学園大学の12人の学部長たちの考えだった。 ――のだが。 「我が校の学生たちは、合コンの意味も知らんのか。連絡先を交換し合う者が一人もいないとは」 「いかに学業に秀で、研究熱心でも、コミュニケーション能力が欠如していては大成しないぞ」 「いずれにしても、これでは話にならない。違う方法を考えるしかないだろう」 1週間振りの学部長会議の席で、世界の叡智たる聖域学園大学の学部長たちは、自らの教え子の非常識を深く嘆くことになったのである。 同時に彼等は、人間的魅力の数値化という作業が いかに困難に作業であるかということに、今になって考えを及ばせることになったのだった。 そこに、人間科学部の学部長であるカミュが、同輩たちの ざわつきを静めるように、ひときわ大きな声で発言してくる。 「我が人間科学部の学生と高等部からの参加者が、それぞれメールアドレスを1つゲットしている。それを忘れてもらっては困るな」 「男子が男子のメアドをな。そんなものは、当然 無効だ」 カミュの発言を即座に却下したのは法学部の学部長だった。 他の10人も彼に同調する。 しかし、11名の学部長を向こうにまわして、カミュはひるまなかった。 「私の弟子の票を無効にすれば、もう一度 別の方法を考えなければならなくなる。それは、世界の叡智と呼ばれている我々が、大山を鳴動させて ネズミ1匹捕えることができなかったと認めるようなものだ。貴公等はそれでいいのか」 「しかし、男同士のメアド交換を有効とするのは、倫理上 問題が――」 「倫理上の問題というのなら、差別という行為こそが それに当たるだろう。貴公等は、学問の自由平等を謳う学びの園の指導者でありながら、性的少数者の差別を肯定するのか!」 「う……」 カミュの舌鋒鋭い論詰を受けて、11人の学部長たちが揃って声を詰まらせる。 この地球上のすべての地域に、人種、民族、国籍、文化、身分、性別等による差別が存在しても、この学問の園の内にだけは、そのようなものがあってはならない。 それは、多くの学生の指導者である彼等が、どうあっても守らなければならない何より重要な基本姿勢だった。 声を詰まらせてしまった11人とは対照的に、カミュの声と言葉は いよいよ滑らかになっていく。 「今回の合コンへの高等部と院の学生の参加は、利害の生じない外部要因を加えることで公正を期し、第三者を入れることによって 不毛な均衡を破るために為されたこと。つまり、学長になる資格を持つ12人の学部長の中では、唯一 私の教え子だけが、他の参加者の連絡先を手に入れたことになる。となれば、この私こそが次の聖域大学の学長になる資格と権利を有する者だということではないのか。この件に 異議を唱えることのできる方はおいでか」 世界の叡智と呼ばれる12人の偉大な研究者・教育者が、一度は合意して採用した次期学長選抜方法。 結果が 彼等の想定から大きく外れたものだったからといって、その結果をなかったものとし、異議を唱えることは卑怯千万。見苦しいこと、この上ない。 カミュの発問に、11人の学部長たちは沈黙で答えることしかできなかった。 黙ってしまった11人の同輩を ひと渡り見回して、カミュが高らかに宣言する。 「では、唯一 参加者の連絡先を手に入れた学生の指導教授である私が、聖域学園大学の次期学長になるということで、一同に 異議はないな」 こうなると、学部長会議はカミュの独壇場だった。 「特に異議のある方はおられぬようだ。それでは、若輩ながら、このカミュが、謹んで この重責を担わせていただこう」 かくして、事は決した。 人類最高の叡智を統括する者として 世界に その名を轟かせ、絶大な名誉と栄光を得る聖域学園大学の次期学長の座には、そういう経緯で、氷河の指導教員である人類科学部学部長カミュが就任することになったのだった。 |