低い唸り声のように、大地を揺るがして響く音。 瞬は、最初、それを山鳴りだと思ったのである。 だが、アンドロメダ島に火山はない。 かつてはあったのだが、それは既に200年も眠ったまま、おそらく二度と目覚めることはないだろうと、瞬は師に言われていた。 では、あの音は、この島に ただ一つだけある山のどこかで巨大な岩が崩落し、その音が生んだ木霊だろうか。 あるいは、本当に島全体が震えて地鳴りを生じているのか。 そうではないことに、やがて 瞬は気付いた。 そもそも ここはどこだろう。 一面、白い――否、灰色の世界。 頭上には どんよりと重たい色の雲があり、その雲が空全体を覆っている。 雲と同じ色の海。 海と同じ色の浜辺。 沖の遠いところに、やはり 灰色の船が浮かんでいる。 ここがアンドロメダ島でないことは確かだった。 昼は摂氏50度、夜は氷点下。 人が生きていくには過酷すぎる気候の島だが、アンドロメダ島は景観だけは美しい島だった。 雨が降ることは滅多になく、それゆえ1年を通じて 真っ青な空。 その空の色を吸い取って青さを増したような海。 夜には、灯りがいらないと錯覚してしまいそうなほど無数の星が空を飾り、海は夜光虫の光で輝く。 星のように白い砂浜が島の周囲を囲み、どこを切り取っても絵葉書にできるような姿を持った島。 厳しい昼夜の気温差がなければ、海が遠浅でなく大型の船を乗りつけることができさえすれば、そのまま モルディブやフィジーに匹敵する観光地になれそうな島。 それがアンドロメダ島だった。 こんな灰色だけの単調な景色は、アンドロメダ島にはない。 ここはどこで、自分はなぜ こんなところにいるのか。 意識は明瞭である。 瞬は、自身の記憶を辿り始めた。 兄と引き離され、仲間たちとも別れ、アンドロメダ島に送られてきて3年。 修行は厳しかったが、師は穏やかで優しく、城戸邸にいた大人たちのように 瞬に理不尽を強いる人ではなかった。 修行仲間は 誰もが優しく親切というわけではなかったが、それは日本にいた時も同じ。 日本でも、出会う人すべてが、親のない子供たちに同情的で親切というわけではなかった(むしろ『日本では』と言うべきだろうか。アンドロメダ島には、そもそも“親”という人種がいないので、その点では皆が平等だった)。 日本でそうだったように――アンドロメダ島の瞬の修行仲間たちも、その人となりは様々。 気が強く高飛車な者もいれば、諦観に満ち 気弱な者もいた。 もちろん優しく親切な人もいる。 だが、アンドロメダ島で生活を共にしている者たちは皆、ただ一つしかない目的物を手に入れようとしているライバル同士。 勝利者になるために、いつかは互いに戦い、一方が一方を打ちのめし、一方が一方に 打ちのめされる運命を負っている。 当然、皆と和気あいあいというわけにはいかない。 それは仕方のないことなのだと思えるようになるために、瞬は この3年を費やしたようなものだった。 決して孤独ではないのに、孤独。 それが、アンドロメダ島での瞬の真情で実情だった。 一緒にいたいと思う人と共に在ることができないから、アンドロメダ島で 瞬は孤独で寂しかった。 会うこと、共にいることが許されないのなら、会えなくてもいい。 だが、瞬は、せめて 兄が無事でいるのかどうかということだけでも知りたかった。 瞬は、兄に生きて再び会うために、日々の修行に耐えているのだ。 その約束を守るためには、兄にも生きていてもらわなければならない。 ひ弱な弟の身代わりになって、生きて帰った者はないと言われる地獄の島に送られた兄。 兄に そんな悲運を強いた己れの無力。そして、罪。 もし兄が死んでいたら、自分はどうすればいいのか。 美しい星の下、青い空の下、兄のことを思うと、気が狂いそうになる。 命も時間も弟のために犠牲にした兄。 だというのに、瞬が兄のためにできることは、自分が死なないことだけなのである。 これほど みじめな無力があるだろうか。 アンドロメダ島に来た時からずっと――兄と離れ 日本を発った時からずっと、瞬はみじめな存在だった。 アンドロメダ島では、泣いても誰も瞬を慰めてくれず、倒れても誰も瞬を助け起こしてはくれなかった。 いつ死んでもおかしくないような厳しい修行に、淡々と耐えるだけ。 毎日が生きるか死ぬかの状態にあるというのに、何も起こらない単調な日々。 こんなふうに、ただ死なずにいるだけの状態を“生きている”と言えるのか。 兄の不在、兄に不運を強いた己れの無力、死が常に傍らにある厳しい修行。 そんなもののために 自分は 感情が麻痺してしまっているのではないかと疑うことさえ、瞬は無感動に行なうのだ。 それが、アンドロメダ島での瞬の日々だった。 日本にいる時はそうではなかった。 兄がいて、仲間たちがいて、日々のトレーニングは つらかったが、良くも悪くも 毎日が刺激の連続だった。 心と感情が生きていた。 それぞれに個性的な仲間たち――。 乱暴で粗雑な者も多かったが、親のない者同士の連帯感があり、誰もが他人に無関心ではなく優しかった。 “大人”という共通の敵がいたせいか、仲間意識が強く、泣いていた時間と同じだけ、瞬は笑ってもいた。 この島には、あの意識の高揚がないのだ。 死なずにいることに精一杯で、生きている気がしない。 自分が、ただ死んでいないだけに思える。 青い空の下、青い海を見ながら、瞬はそんなことを考えていた。 ――と思う。 そうして、ふと気付くと、瞬は いつのまにか この灰色の世界にいたのである。 いったい何が起こったのか。 ここはアンドロメダ島ではない それだけが、今の瞬にわかる ただ一つのことだった。 |