『行きたい』と願っても行けなかったのに、『ここに いたくない』と思った途端に、その願いが叶う。
これはどういうことなのか。
あの世界は、本当にどういう世界なのか。
氷河の瞳の色に似た青い空の下、氷河の瞳の色に似た青い海の傍らで、瞬は 誰にともなく問いかけたのである。

願う気持ちの強さの問題なのか、願い事の内容の問題なのか。
人が人の側にいることは難く、人が人から離れることは易いものなのか。
“傷付くこと”と“傷付かぬために孤独でいること”では、人は孤独の方を選ぶものなのか。
今 自分が氷河の灰色の世界ではなく、過酷に美しいアンドロメダ島に――尋常の、当たりまえの、あるべき世界、現実の世界――にいることを、瞬は すんなりと認め受け入れることができなかった。
自分が あの世界から弾き出された訳、あるいは、飛び出てしまった訳は わかる――わかるような気がするのだが。

「僕、傷付いてる……?」
アンドロメダ島の砂浜で、瞬は自分に問うたのである。
ほんの一瞬のこととはいえ、瞬が『ここに いたくない』と思ったのは、自分が氷河の幸せに関与できない存在だと、氷河に言われたからだった――そう言われたも同然だったからだった。
だから、瞬は傷付いた――勝手に傷付いたのだ。
氷河は悪くない――氷河には、彼の幼馴染みを傷付けようとする意図は絶対になかったのに。

『同じ時間の中にあるはずのないものって?』と尋ねることで、瞬は氷河を傷付けた。
氷河の幸福の中に自分が存在しないという事実を知らされたことで、瞬は氷河に傷付けられた。
人の心というものは、どうして これほど傷付きやすいのか。
これでは、人は、どれほど徳の高い人格者でも、どれほど慈愛に満ちた高潔な人間でも、人を傷付けることなく生きていることはできないではないか。
そう思わずにいられない人間の世界というものが やるせなくてならない。
自分は 人を傷付けることは嫌いな人間なのに――そのつもりでいたのに――そんな自分でさえも、人を傷付けることは これほど容易なのだ――。

沈鬱な、その事実、この現実。
人を傷付けることが嫌いな自分でも、人を傷付けることは簡単にできてしまう。
その事実を認めた途端、瞬は、これまでの自分が 人を傷付けてばかりいたことに気付いたのである。
アンドロメダ島では、人に優しくされることに傷付く者が多かった――そうだったのだ。
強くなければ 生き延びること自体が困難で、強くなければ 望みのものを手に入れることはできないと、皆が知っているから――そう思っているから。
だから、この島にいる者たちは、自分が倒れた時、人に手を差しのべられることは『おまえは弱い』と言われているように感じるのだ。
ライバルに優しくされることは、この島にいる者たちにとっては 屈辱以外の何ものでもないから。

瞬は、そんなシチュエーションの中に我が身を置いたことは数えるほどしかなかったが、だが、だからこそ 瞬は、自分が勝利者の立場に立った時、修行仲間の力を侮って彼に手を差しのべたことは一度もなかった。
むしろ、親切にしているつもりだった。
だが、その無神経な親切が相手を傷付けていたということは、大いにあり得る。
否、きっと傷付けていた。
そうだったのだと、この島で3年もの時間を過ごした今になって やっと気付くとは。
自分の愚鈍、間違った思い込みに、瞬は呆れてしまったのである。
もし聖闘士になるために小宇宙が必要で、その小宇宙が愛や優しさでできているものなら、今の自分に小宇宙を養い育てることはできない――今のままではできない。
そんな自分は、当然 聖闘士になることもできない。
氷河に会いにいくことなど、もっての外。
今の自分がどういうものなのかを自覚して――自覚させられて――瞬は、きつく唇を噛みしめた。






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