「僕……初めての恋が実って、それが永遠に続くような気がしてる。他の恋なんて考えられないから、考える必要がないから、だから不安がなくて、情熱的になれないんだ。きっと」 「永遠に?」 「あ、ごめんなさい。安易に使っていい言葉じゃないね、『永遠』って。『死ぬまで』に訂正する」 「死ぬまで?」 「僕が今 氷河を好きでいるように、僕が他の誰かを好きになるなんてことが、そんな自分が想像できないんだ。ベートーヴェンさんみたいに、一つの恋を失ったら、次の恋を探すのが 真っ当で前向きな人生の生き方だって思うのに、それでも。氷河は、何ていうか……特別なの。こんな言い方したら、氷河は怒るかもしれないけど、氷河は特別に変なの。僕なんかを好きになってくれて、二人の恋を実らせるために、僕があっけにとられるくらい、いろんなことをしてくれた。きっと氷河だけだよ。僕のために あんなことしてる変な人は。死ぬまで――死んだって、氷河みたいに変な人に 僕は二度と会えない」 「いや、それは……。おまえ、認識が どこか普通と ずれてるぞ。その気のない高嶺の花を自分のものにしたいと思ったら、大抵の男は、俺と同じように奮闘するに決まって――」 決まっているのだろうか? ――と、しばし悩み、逡巡し、氷河は自分が口にしかけた言葉を途切らせた。 ベートーヴェンに対抗できるほどなのかどうかはさておき、常に仲間たちに変人呼ばわりされている身としては、自分の言動を普通と思うことに自信がない――というより、自信を持ってはいけないような気がする。 もし 自分の認識が一般的なものだったとしても、その事実は瞬には知らせないでおいた方が賢明だという打算も働く。 “氷河”だけが“特別に変”なのだと 瞬に思わせておくことは悪いことではない。 むしろ、それは“氷河”に多大な利益をもたらす。 そう判断して、氷河は、自分が言おうとしていた言葉を放棄し、話の方向性に微妙な修正を加えた。 「俺は、一応 アテナの聖闘士だ。明日には死ぬかもしれないぞ。そうなったら、おまえはどうするんだ」 「そういう時……情熱的な人は、身も世もなく嘆き悲しむんだろうね。死んだ人の後を追った人の話も 時々 聞くよね。でも、僕は きっと 静かに耐えてるだけだよ。多分、氷河がいなくなっても、一人で生き続けるし。――情熱的じゃなくて、詰まんなくて、ごめんね」 「その“情熱的じゃない”とか“詰まらない”とかいう言葉の意味が、よく わからんのだが」 『情熱的でない』 『詰まらない』 どうやら そういったことで 瞬が自分を卑下しているらしいことは わかるのだが、瞬がなぜ自分を“情熱的でない”“詰まらない”と思っているのか、そこのところが、氷河には理解できなかった。 「『永遠』を『死ぬまで』に言い直すほど、おまえは慎重な人間だ。おまえほど、軽率という言葉から遠いところにいる人間はいない。おまえは、おまえが言ったことを確実に実行し、一度 交わした約束は必ず守り続ける。おまえは、俺だけを“死ぬまで”思っていてくれるだろう。おまえは 十分 情熱的な人間だ。情熱的というのは、好きだ好きだと わめき散らすことではないし、激昂したり号泣したりすることでもないぞ」 「え……」 瞬は、氷河のその言葉が意外だったのである。 意外で、少なからず驚いた。 彼の恋人が“情熱的でない”“詰まらない”などということで落ち込んでいることを知ったなら、彼は『それのどこが悪いのだ』と言って、落ち込んでいる恋人の心を浮上させようとするのだろうと、瞬は思っていた。 熱のなさも、冷静さも、決して悪いことではないぞ。 そんなふうに言って。 そして、だが、そういう慰撫の言葉では、自分は心から得心し、今のままの自分でいていいのだと思えるようにはならない。 とはいえ、“情熱的な人間”というものは、なろうとして なれるものではない。 ゆえに自分の落ち込みは永遠に――死ぬまで――解消されることはないだろう。 そう、瞬は思っていたのだ。 まさか、自分のような人間でも、(解しようによっては)情熱的な人間たり得るとは。 事実そうなのかということは、実は最初から問題ではなく、大事なのは、氷河がそう思っていてくれることだったのだと、瞬は今になって気付いた。 そして、どうやら氷河は本当に そう思ってくれているらしい。 「氷河、ありがとう。あの……氷河、大好き」 自分でも“情熱的”とは程遠いと思うが、ためらいがちに氷河に そう告げてみる。 氷河は、そんな瞬を抱きしめてくれた。 こうなると、エリーゼがテレーゼなのかエリザベートなのかなどということは どうでもよくなる。 アテナの命令を遂行しなければならないという気持ちが急速に弱まっている自分に呆れ、少々 困りつつ、それでも 氷河の胸の中で瞬は幸せだったのである。 それこそ、永遠にこうしていたいという瞬を現実に引き戻したのは、遠くで鳴り響く挽課の鐘の音だった。 「鐘の音……どこで鳴ってるんだろう」 「シュテファン大聖堂だろう。夕方の祈りの時刻だ」 「シュテファン大聖堂……」 シュテファン大聖堂といえば、高さ100メートルを超える塔と、巨大な鐘・プムメリンで有名な(21世紀の現代では)世界遺産である。 ベートーヴェンの引っ越し先はウィーンの西の外れで、とても ここから臨めるとは思えなかったのだが、瞬は つい大聖堂の塔と鐘の音を求めて、氷河の胸から顔をあげた。 途端に 瞬は、(おそらく)シュテファン大聖堂より有名なものを、その視界の内に映すことになってしまったのである。 いつから そこにいたのか――庭に散在しているベンチの一つに腰を下ろし、楽聖ベートーヴェンが アテナの聖闘士二人の様子を眺めていた。 「や……やだ。僕、馬鹿みたいなこと 言ってたのに……」 瞬が反射的に氷河の陰に隠れ、そんな瞬の振舞いに氷河が苦笑する。 「抱き合っているところを見られたのが恥ずかしいのでなければ、会話の内容を気にすることはないだろう。奴には聞こえないんだし、それ以前に、俺たちは日本語で話していた」 「え……? あ、そっか……」 『自分は情熱的ではない』などという訳のわからないことで駄々をこねていた事実を、どうやら自分は楽聖ベートーヴェンに知られずに済んだらしい。 瞬は、安堵して、長い吐息を洩らした。 それでもベートーヴェンの前を通って邸内に戻るのは恥ずかしく、瞬は わざと長い時間をかけて 庭を大きく迂回し、氷河と共に屋内に戻ったのである。 |