瞬が、グラード・エージェンシーのスタジオに入ったのは、悪夢の契約が交わされた日から3日後。
多来氏によって、ほとんど拉致されるように城戸邸から 撮影スタジオに連れてこられた瞬は、その場に到着するなり テレビ用コマーシャル・フィルムのコンテを渡された。
その内容に目を通す間もなく、衣装担当だという女性に身ぐるみ剥がされ、一枚の白い亜麻布をギリシャのキトン風に身体に巻きつけられる。
女の恰好をするのは嫌だという瞬の希望をいれてのことだったのかもしれないが、リボンやレースがないだけで、それは現代人の感覚では立派に丈の短いスカートだった。

撮影スタジオは、さほど広くはなく、用意されているセットは何の変哲もない椅子とテーブルだけ。
撮影の責任者らしき若い男性が、瞬以外のすべてはCGで合成するという説明をしてくれた。
「今回の商品のメインターゲットは、10代20代の若い女性で、彼女等はゲーム慣れしているからね。現実感や生活感を排除した、なるべく抽象的な、ハイ・ファンタジーの世界をイメージしているんだ。しかし、綺麗な目だ」
「はあ……」
「現代とも中世ともつかない時代の欧州の 誰も訪れる者とてない森の奥にある素朴で小さな家。場面のイメージはそんな感じ。それにしても、綺麗な肌だ。みんなが触りたがって大変なんじゃないか」
「そんなこと言うのは、氷河くらいで――いえ……」
「ストーリーは至って単純。森の奥の家に迷い込んできた男性の手が、オルゴールをイメージした木製の小箱の蓋を開けると、辺りに『乙女の祈り』の曲が流れる。その音で、眠っていた君の乙女心が目を覚ます」
『僕は乙女心なんて持っていません』と反論できたら、どんなに楽か。
だが、瞬には そうすることができなかった。
撮影スタジオには、多来氏だけでなく芳賀氏も来ていて、彼の運命がかかったCF撮影の様子を食い入るような目で見詰めていたので。

「この企画の依頼を受けた時は、陳腐なストーリーだと思っていたが、目覚める乙女が君なら 陳腐も陳腐じゃなくなる。グラード・コスメさん、いったい どこで こんな逸材を見付けてきたんだ。君、モデルクラブに所属してる子じゃないよね」
「あの、そういうことは――」
「ああ、詮索禁止ね。厳命されてますよ、モデルの詮索禁止。わかってるって」
瞬の正体を探りたがっている様子も あからさまなカメラマンは、しかし、実際に撮影に入ると 鬼のように厳しかった。
瞬は、
「目を閉じて、3秒かけて、ゆっくり開けて、微笑んで」
を 何十回となく繰り返させられ、カメラマンは その一連の動作(表情)を様々な角度から撮り続ける。
そのあげく、
「どれもいいんですけど、どれも よすぎて、かえって決め手に欠けるというか何というか――」
である。

不毛としか思えないことを何度も何度も強いてくるカメラマンが、瞬には、ポセイドンよりハーデスより強大な力を持つ邪神に思え始めていた。
「はい。じゃあ、もう1回。目を閉じて、3秒かけて、ゆっくり開けて、微笑んでー」
40回目か50回目か――またしてもカメラマンの声がスタジオに響き、瞬は ほとんど機械的に その目を閉じた。
40回目か50回目か――心の中で『1、2、3』と数え始める。
そして、数え終わった時、
「瞬っ!」
スタジオのドアが乱暴に開けられる音がして、今の瞬にとっては10年も前に別れた懐かしい人の声にも思える怒声がフロアいっぱいに響き渡り木霊した。

(氷河……!)
どうやら、瞬が城戸邸から拉致同然に連れ去られたことを知らされて、ここまで追いかけてきてくれたらしい。
天上から降臨した救世主に出会った思いで、瞬は氷河の名を呼ぼうとし、その唇を開きかけたのである。
音は すべて別に入れることになっているので、氷河の乱入自体には問題がないのだが、それでも今は撮影中だということを思い出し、瞬は かろうじて声を出さずに済ませることができた。
これでまた撮り直しかと うんざりしかけた瞬の上に、
「今の表情、いい! いいよ、これまでで最高!」
と、即座にOKの合図が飛んでくる。

「え……」
今の表情のどこがどうよかったのか、これまでと どう違っていたのか、瞬には皆目 わからなかった。
だが、30秒のCF撮影に4時間強。
やっと終わったと思った途端に、張り詰めていた心の糸が ぷつりと切れ、瞬は気が遠くなりかけたのである。
氷河がいてくれなかったら、瞬は そのまま その場に倒れ、今度は 瞬の正体を知りたがっているカメラマンに拉致されてしまっていたかもしれなかった。
とにもかくにも そういう経緯で。
ポスターや特典用画像は、瞬の負担を小さくするために、その日の撮影分から選ぶということになり、瞬の悪夢の一日は やっと終わったのだった。






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