アイドルらしくないアイドルが城戸邸にやってきたのは、その夜9時をまわった頃だった。
アイドルなのに歌がうまく、アイドルなのにダンスはせず、アイドルなのに頭もよく、そして 家族を失って一人ぽっちになってしまったアイドル。
アテナの聖闘士たちは、その日 初めて、星矢でも名前(だけ)は知っている、売れっ子アイドルの顔を見ることになったのである。

顔の造作が よすぎてアイドルになるしかなかったアイドルの面立ちは、確かに見事なものだった――見事に 欠点らしい欠点がなかった。
いわゆる 甘いマスクとでもいえばいいのだろうか。
整ってはいるが、整っているからこそ、強烈な個性は感じられない。
だが、彼は、だからこそ大衆の支持を得ているのかもしれないと、アテナの聖闘士たちは思ったのである。

「顔の造作がよすぎてアイドルになるしかなかったって、沙織さんが言ってたけど、あんた、ほんとに おもしれー顔してんな。見事に 瞬と氷河の中間タイプ」
星矢が、言葉通りに面白くてたまらないという顔で、アテナの聖闘士たちが集うラウンジに案内されてきたアイドルの姿を まじまじと見詰める。
全く アイドルらしくなく、白いワイシャツと濃紺のパンツという あまりにも普通の恰好をしたアイドル。
彼は、『はじめまして』も『こんばんは』もなく 初対面の相手の顔を『面白い』と言い放ってのけた人間に、どう反応すればいいのか咄嗟に判断できなかったのだろう。
くつろぎきってソファに腰掛けている星矢を見おろして、彼は戸惑ったように二度三度と瞬きを繰り返した。

そんなアイドルに、星矢が、
「あ、氷河ってのは、そっちにいる機嫌悪そうな金髪男のことで、瞬っていうのは、その隣りにいる女の子みたいなののことな」
と 仲間を紹介する。
そして、自分の名は名乗らずに、星矢は自分の語りたいことを語り続けた。
「なんつーか、あんた、氷河ほど 完璧端正綺麗タイプじゃないけど、瞬みたいに 可愛子ちゃんタイプってんでもなく、氷河ほど目つきが悪いわけじゃないけど、瞬ほど清らかって感じでもなく、身体も 氷河ほど鍛えらてるわけじゃないけど、瞬ほど華奢でもなくて――氷河、あんた、瞬って並べると、人類の進化の図みたいじゃん。ほら、ジャワ原人、ネアンデルタール人、クロマニョン人――って並んでる あれ」
「誰がアウストラロピテクスだ! 」
望んで受け入れることになったわけではない部外者に 自己紹介をするつもりもない氷河が、星矢を頭ごなしに怒鳴りつけ、
「そこまで退化させてねーだろ! 勝手に被害妄想に陥ってんなよ!」
星矢は、咄嗟に頭を庇って 右の腕で額の上にかざした。

氷河と星矢が本気で喧嘩を始めると思ったのか、あるいは 不機嫌を極めている氷河の怒声に驚いたのか、アイドルが 上半身だけを僅かに後方に引く。
だが、その場から逃げ出すことはせず、彼は、
「小川拓斗です。ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします」
と、アテナの聖闘士たちに、きっちり30度 上体を傾けて 見本のような敬礼をしてきた。
「“アイドルなのに礼儀正しい”も追加だな」
不作法な仲間たちと、極めて礼儀正しいアイドル。
その鮮やかな対比に、紫龍は苦笑することになった。

「拓斗さん、はじめまして。僕は 瞬と言います。すみません、今 ちょっと不躾なことを言ってしまったのが星矢で、星矢を怒鳴りつけたのが氷河。そちらのソファに掛けているのが紫龍です。こちらこそ、よろしく お願いしますね」
アテナの聖闘士の礼儀正しさを一手に引き受けて、瞬がアイドルに『はじめまして』を言う。
やっと まともなことを口にする常識人に出会えたと アイドルが思ったのかどうかは定かではないが、瞬の『はじめまして』にアイドルは初めて ほっとした顔になった。

「大体の事情は、沙織さん――総帥から聞いています。僕たちは ここの居候みたいなもので――居候のくせに こんなこと言うのも変ですけど、ここを ご自分の家だと思って、気楽に過ごしてくださいね。何かあったら、僕たちに言っていただければ、できるだけのことをします」
そう言って にっこり笑った瞬に、アイドルらしくないアイドルは、瞬に初めて出会った大抵の人間がそうするように、しばし瞬の顔を放心したように見詰め、瞬に初めて出会った大抵の人間がそうするように、そんな自分の驚きを慌てて取り繕おうとした。
「あ……あなた方も、グラード・エンターティメントにスカウトされた方々なんですか」
「いえ、そういうのではないんですけど……」
「俺たちは歌なんか歌えねーよ。一人、変な踊りを踊る恥ずかしい男はいるけどな」

礼儀正しい二人の会話に、星矢が横から口を挟んでいったのは、瞬に初めて出会った大抵の人間がそうするように 瞬に見とれているアイドルを、鬼のような目で睨みつけている氷河に気付き、その怒りを分散させるためだったろう。
氷河の性格を熟知している星矢の対応は的確で、星矢の思惑通り、氷河の視線は天馬座の聖闘士の上に移動してきた。
不作法で不躾なアテナの聖闘士のおかげで、自分が氷漬けにされる危機を回避でき 九死に一生を得たことに気付いていないアイドルは、変な踊りを踊る恥ずかしい男は誰なのかを探るように、その視線をアテナの聖闘士たちの上を巡回させる。
そんなふうに複雑に交錯する視線の中、アイドルらしくないアイドルと アテナの聖闘士たちの同居生活は始まったのだった。






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