IDL4なるアイドルが どれほど多くのファンを抱えている人物なのかを、アテナの聖闘士たちは知らなかったが、彼が非常に多くの人間に関心を持たれている存在であることは、紛う方なき事実のようだった。
少なくとも、彼に関する情報には 相当の価値があるらしい。
なにしろ、彼が城戸邸に居を移した その翌日から、城戸邸の周囲には、各種メディアの関係者たちが 門前市を成すように群がるという状況が現出することになったのだから。
ネズミ1匹 入り込むこともできないほど厳しいセキュリティシステムが張り巡らされ、外人部隊に籍を置いていた傭兵上がりの警備員が常に複数 常駐しているグラード財団総帥の私邸――アポイントメントを取ってある正式な訪問客や ちゃんとした用のある近所の住人でさえ その門をくぐる際には緊張を余儀なくされる城戸邸の周囲に、である。
たかが(という言い方をすることの是非はともかくとして)顔の造作がよすぎたためにアイドルになるしかなかった(アテナの聖闘士たちから見れば)ごく普通の一般人のために そこまでするマスコミというものの得体の知れなさは、百戦錬磨のアテナの聖闘士たちにとっても 十分 驚愕に値するものだった。

アイドルは休養を宣言し、仕事も そのほとんどをキャンセル。
そうしようと思えば、終日 城戸邸に閉じこもっていることも可能だったのだが、
「若い時の貴重な日々を、野次馬の群れのために無為に過ごすことはないわ。ちょうどいいから、しばらく学業に専念するのがいいわね」
というのが沙織の考えらしく、彼女はアイドルが大学に通うための態勢を しっかりと整えていた。
その段になって、アテナの聖闘士たちは、瞬でもなく 星矢でもなく 紫龍でもなく 氷河を、沙織がアイドルの世話係に任命した訳を理解することになったのである。
要するに氷河は、群がるマスコミ関係者たちを振り切って大学に通うアイドルのボディガードとして最適の男だったのだ。
一見した限りでは、氷のように冷たく、眼光鋭く、指1本でも触れようものなら 次の瞬間には氷の剣が一閃するような、その姿、その印象、その雰囲気が。
実際、マスコミ関係者たちは誰も――城戸邸の周囲に 門前市を成して常駐している百人前後の野次馬たちの中の誰一人――氷河が守るアイドルを遠くからカメラで撮影することはできても、彼の至近距離に近付いてマイクを向けることはできなかったのである。

もちろん大学のキャンパスまでは車で通っていたのだが、構内では車外に出なければならない。
学内には大学関係者以外の者も出入り自由で、そうしようと思えばワイドショーのリポーターたちは、アイドルを捕まえ質問攻めにすることもできただろう。
だが、そのアイドルのすぐ横に、瞬以外の人間との同伴を義務づけられて最高に機嫌の悪い氷河がついているのである。
その凶悪な目つき、異様なまでの迫力、たかがアイドルのプライベート情報を得るために ピラニアのごとくに付きまとうマスコミ関係者に見せる露骨な侮蔑の念。
マスコミ関係者たちの中には、アイドルの半径5メートル以内圏内に足を踏み入れることができるだけの勇気を持つ者は、ただの一人もいなかったのである。
おかげで、アイドルは、奇跡的な静寂の中で大学の講義を受講することができたのだった。
アイドルのボディガードについたのが、もし氷河でなく瞬だったなら、アイドルが大学に通い続けることは まず無理だったろう。
マスコミ関係者は 瞬を恐がることはなく、むしろ 花に引きつけられる蝶や蜜蜂のように、瞬にまで襲いかかっていたかもしれない。

沙織の判断は的確だった。
もし彼女の判断に不都合があったとすれば、それは、護衛される立場の人間として 当然のことだが、氷河の側を離れるわけにはいかないアイドル自身が、氷河の護衛に恐縮し、氷河の異様な不機嫌に恐れを為していたこと。
そして、氷河がアイドルの側にいるせいで、マスコミ関係者たちだけでなく、本来ならアイドルの学友となるべき学生たちも アイドルの半径5メートル以内に近付くことができなかったこと。
しかし、それは、現況では 致し方のない不都合、我慢しなければならない不都合だったろう。

そんなふうにもアイドルは引きこもりにはならずに済んでいたのだが、だからといって、歌を忘れたアイドルの状況が良い方向に向いていたわけではない。
相変わらず 歌は歌えないまま、瞬が話しかけていっても 表情はぼんやりしたまま、彼は いつまで経っても アテナの聖闘士たちと打ち解ける様子は見せなかった。
ピラニアのごときマスコミをシャットアウトできてしまったことが、張り詰めていた彼の気持ちを緩め、彼から気力と緊張感を奪ってしまったという側面もあったかもしれない。
「瞬でも駄目ってのは、かーちゃん亡くしたのが ほんとにつらかったんだなー……」
アテナの聖闘士たちは、アイドルが 母の死によって受けた衝撃の強さ、喪失感の大きさに、大いに同情することになったのである。
瞬と過ごす時間を削られて 気が立っている氷河が、それでも爆発しないのは、アイドルが失ったものの大きさを最もよくわかっているのが彼だったからだったろう。
氷河は彼にしては奇跡的といっていい忍耐力を稼働させ、アイドルのボディガードという仕事を日々 こなしていた。






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