平和な国の作り方






“戦い”は、人間が発明したものなのか、それとも それは、空や海や大地のように神から与えられたものなのか。
瞬は、その答えを知らなかった。
知ったところで何になるだろう。
自ら発明したものであったとしても、神から与えられたものであったとしても、とにかく人間は それが気に入ったのだ。
であればこそ、地上は こんなにも戦いと争いで満ちている。

地上は麻のごとく乱れ、元は大きな一つの国だったものの中に、今は 幾百もの小国が分立している。
そして、その小国の領主たちは やみくもに自領を増やすことばかりを望み、しのぎを削り合っている。
昨日、西の国が1つ滅ぼされた。
今日は、東に新しい国が興った。
そんなことは いちいち憶えていられないし、憶えても、その情報は 早晩 塗り替えられる。
早い時は数ヶ月、遅くても3年以内に。
この国の勢力分布図など、憶えても無駄なのだ。
だから、瞬は そんなものを憶えようとはしなかったし、自分が暮らしている村を治めている今の領主が誰なのかも知らなかった。
瞬は――瞬の住む村の住人たちも――日々の生活に追われて、それどころではなかったのだ。

もちろん、争乱は嫌いで、平和を望んでいる。
だが、それは望んでも詮無いことだという諦観が瞬の中にはあった。
もう100年も前から、この国はこうなのだから。
そんなことより、今日 食糧を手に入れられるかどうかということの方が、瞬には はるかに切実で重要な問題だったから。
それでも――それでも、平和を望んでいた。
いつか 強大な力を持つ偉大な王が現われて、乱れた国を一つにまとめ、戦のない平和な世界を実現してくれないものかと、日々 祈り願ってはいた。
その願いが夢想に近いものであることは知っていたのだが。

瞬は孤児だった。
両親は、今から10年ほど前、瞬が5歳になった年に相次いで亡くなった。
直接 戦のせいで亡くなったわけではないが、戦のせいで死んだようなものだった。
瞬が生まれ育った村は、海沿いにある小さな村だった。
浜は狭く、浜のすぐそこにまで山が迫っている、本当に小さな村。
100年以上前には、そんな村にも 沖に出て漁ができる船が幾艘もあり、山には だんだん畑があって、村人たちは そこで ささやかながら麦や野菜を育てていたのだという。

その頃は、国は一つで、王も一人。
王は、争乱よりも建築や芸術を好む文化的な人物だったらしい。
王が愛したものは、戦ではなく、壮麗な城館の建築と美しい女性たち。
王は、彼が国内各地に建てた城館を、彼の王子や王女に与え守らせていた。
その王が、母親の違う6人の王子と7人の王女を残して、病で亡くなった。
突然の病だったので、彼は彼の後継者を指名しておらず、そのため、彼の残した王子王女たちの間で 当然のごとく王位を巡る争いが起こったのである。
それが、この国の不幸の始まりだった。

王の死から、100年。
今では、この国には 6人の王子と7人の王女の血を引く者は ただの一人も生き残っていない。
彼等は皆、覇権を狙う家臣たちに命を奪われてしまったから。
野心と才覚のある家臣たちには、王の血を受けているだけの無能な王子や王女たちは 生きて存在していても何の意味もないもの、むしろ有害なものだったのである。
この国には、もはや 忠義も道も秩序もない。
強い者が弱い者を虐げ、倒し、奪い、その強い者も より強い者に虐げられ、倒され、奪われる。
それが 当りまえのことになってしまったのだ。

国が乱れ始めたことで、すべてが以前とは違ってしまった。
瞬の生まれた村――小さいながらも平和で豊かだった村も、その様相を一変させた。
村で共有していた幾艘もの船は 戦のために奪われ、争乱が起きるたび畑が荒らされる。
せっかく収穫間近なところまで農作物を育てても、どこからかやってくる軍兵や夜盗の馬の蹄に畑を蹴散らされることが続いたせいで、村では誰も畑仕事をしなくなった。
船で沖に漁に出ることもできなくなった。
畑は荒れ、山は痩せ、以前は村の周囲で いくらでも見掛けていた鳥や獣も どこかに行ってしまった。
村人は、浜辺で獲れる魚や貝や海草、山に実る木の実や木の根だけで、その日その時を食いつなぐ生活を送っている。
食糧を蓄えることは、野盗匪賊に略奪を誘う行為でしかなく、それは非常に危険なことだった。

瞬の両親が亡くなったのは、そんな国、そんな村のある年。
海でいったい何が起きたのか、その年の秋は 浜に魚が全く来なかった。
瞬の両親は、僅かに手に入れることができた海草や木の実を瞬に食べさせ、自分たちは飢えて痩せていった。
そして訪れた、厳しい冬。
体力が落ちていた瞬の両親は、普通なら命を落とすことは考えられない ちょっとした熱病で あっというまに還らぬ人になってしまったのである。
孤児になった瞬が、その後も何とか生き延びることができたのは、その年 同じように親を失った孤児たちで支え合うことができたからだった。
そして、1頭の獅子と出会ったから。

瞬は、最初は、その獅子を、自分と同じように親を失って迷っている哀れな子猫だと思っていた。
小さくて、骨と皮だけの状態で、毛並みも汚れて貧相。
見ようによっては、猫どころか 少し大きいネズミと見紛うような その姿。
子猫は、生きているのが不思議なほど弱っていた。
瞬は、浜で集めた海草や貝と交換して手に入れた乳を その猫に飲ませ、金色の毛並みにちなんでゴールディという名を与えて、その猫を育て始めた。
自分が生き延びるので精一杯の子供が動物を飼い育てるなど正気の沙汰ではないと言う村人もいたが、瞬は彼等の言うことに耳を貸さなかった。
両親を失った瞬には、家族が必要だったのだ。
自分の愛を注ぐことのできる対象が、瞬には必要だった。

ゴールディが弱っていたのは、もしかしたらエサを手に入れることができなかったからではなく、愛情を与えられていなかったからだったのかもしれない。
瞬に頭を撫でられるたび、その胸に抱きしめられるたび、ゴールディは大きく たくましくなっていった。
そして、その子猫は すぐに自分で魚を獲るようになり、獲った魚を瞬や瞬の仲間たちの許に運んでくるようになった。
そうして――瞬たちが、子猫の律儀や賢さに感心しているうちに、ゴールディは獅子になってしまったのである。
ただの獅子ではなく、瞬の何倍も大きな身体を持った巨大な獅子に。
ゴールディは、弱々しく小さな猫だった頃に瞬に拾われ育てられたことを忘れず、瞬を母親のように慕い(瞬は歴とした男子だったが)、その身体が瞬の何倍も大きくなってからも、瞬に対しては従順そのものだった。

村人たちは、最初のうちは その巨大さや鋭い爪や牙、凶悪な顔つきに恐れをなして、決してゴールディに近寄ろうとしはなかった。
だが、そんな彼等も やがてゴールディを 村の大事な一員として受け入れるようになった。
それというのも、成長するに従って、ゴールディの魚獲りの技術(?)が驚異的に向上したから。
ゴールディが その巨体で浜に飛び込むと、驚いた魚たちが撥ねて 浜に打ち上げられる。
あるいは、ゴールディが作った巨大な波が、魚たちを浜に押し流す。
船がなくても、ゴールディの1回のダイビングで、投網を10回投げたほどの数の魚を手に入れることができるのだ。
それは、瞬と瞬の仲間たちだけで食べ切れる量ではなかったので、瞬は余った魚を村人たちに配ってまわった。
瞬が配る魚たちを食することで、村では 餓死する者が出なくなったのである。
その上、ゴールディの牙や爪を恐れて、夜盗匪賊の類は村に近付いてこない。
ゴールディの唾液には強力な治癒作用があって、大抵の怪我や病は ゴールディのひと舐めで治ってしまう。

ゴールディが村の守り神のように思われるようになるのに、さほどの時間はかからなかった。
その守り神が、瞬にだけ懐いていて、瞬の言うことしかきかないのである。
そういう経緯で、厄介者扱いされていたゴールディと瞬と瞬の仲間の孤児たちは、村が立ち行くのに必要な者たちとして遇されるようになっていったのである。






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