「4ヶ月前、北の大国ヒュペルボレイオスの王が大軍を率いて、この国に侵入してきたんだそうだ。この国は小国乱立、大きな軍隊を持っている領主はおらず、領主たちは皆、敵同士。力を合わせて外敵に立ち向かうこともできない。ヒュペルボレイオスの軍に攻められた小国の領主たちは、ほぼ全員が手もなくヒュペルボレイオス軍に降伏したらしい。ヒュペルボレイオス軍は 誰に妨げられることもなく まっすぐ都に入って、王城を占拠。廃墟と化していた王城の修繕をして、そこを本拠地に地方の小国を次々に その支配下に置いているらしい」 「この国が……そんなことになっていたの……?」 「ああ。ヒュペルボレイオスの王は、乱れた この国を統一し、戦のない平和な国にすると宣言しているそうだ。戦乱に疲れ果てていた民衆は、大多数がヒュペルボレイオスの侵攻を歓迎しているらしいな。地方には、ここまでは攻めてこれないだろうと たかをくくって、ヒュペルボレイオス王に恭順の意を示していない領主も多いようだが、それも時間の問題だろう。ゴールディを連れ去ったのは、ヒュペルボレイオス軍の兵士たちだ。ゴールディを手懐けて戦場に駆り出すつもりなのか、あるいはゴールディの治癒能力を聞きつけてのことなのか、その目的まではわからないが……」 「そ……それで、ゴールディちゃんは――」 「西の港で、檻に入れられたまま、船に乗せられた。おそらく、海路で都まで運ぶつもりなんだろう。都には 陸路で行くこともできるが、あんな大きなゴールディを馬車で運んでいたのでは、都に着くまでに10日以上かかるからな。海路なら1日で着く。いったん ヒュペルボレイオスの王が支配している王城の奥に運び込まれてしまったら、俺たちがゴールディを返してくれと願い出たところで――いや、そもそも俺たちでは 王城に入ることすらできないだろう」 「じゃあ、僕はもう一生ゴールディちゃんに会えないのっ !? 」 泣きそうな顔で訴えた瞬に、紫龍が苦しげに眉根を寄せる。 だが、紫龍が再び 答えをためらったのは、瞬に『ゴールディにはもう二度と会うことはできない。諦めろ』と告げることが心苦しいから――ではなかったようだった。 むしろ、その逆。 ゴールディに会う方法がないでもないからこそ、彼は答えをためらったのだったらしい。 「方法がないわけではない……かもしれない。瞬なら、あるいは――」 「ゴールディちゃんに会う方法があるのっ。その方法って? 僕は、どうすればゴールディちゃんに会えるの!」 村の存亡と、自分の心が かかっているのである。 瞬は必死だった。 だが瞬が必死であればあるほど、紫龍は その方法を知らせにくくなるらしく――幾度も瞬にせっつかれてから やっと、彼は口を開いた。 「ヒュペルボレイオス軍は大軍だ。しかも、規律が守られ 統制がとれていて、命令系統も明瞭。当然、強い。この国の領主たちが抱えている、ならず者を寄せ集めた軍隊もどきとは訳が違うんだ。しかも、ヒュペルボレイオス軍は既に都を押さえている。この国の領主たちでは まず太刀打ちできない。それで、ヒュペルボレイオス王に貢ぎ物をして、自領を安堵してもらおうと考えている領主たちが多いらしいんだ」 「貢ぎ物って?」 「それはまあ、金銀宝玉、絹や馬、そして、美女……かな」 「美女?」 金でも銀でも、絹や馬でもなく、その単語を選んで瞬が尋ねてきたことで、紫龍は肝が据わったらしい。 少々 開き直りの感も見てとれる様子で、紫龍は瞬に深く頷いた。 「そのために、今、あちこちの村で美女狩りが行われているそうだ。領主たちは、美しい女を献上して、ヒュペルボレイオス王の機嫌をとり、処刑や領地没収を免れようとしているんだ。中には、美女でヒュペルボレイオス王を腑抜けにしようという魂胆を持っている者もいるかもしれないが……ともかく、その美女狩りに わざと捕まるんだ。そして、ヒュペルボレイオスの王の許に行き、ゴールディを返してほしいと、王に直接 頼んでみる」 「美女狩りに わざと捕まるって……。僕は男だよ?」 両親を失ってから10年近く、互いに助け合い 支え合ってきた仲間の性別を 紫龍は忘れてしまったのか。 どうすれば そんなことになり得るのか。 ひどく奇妙な気分で、瞬は その事実を紫龍に告げてみた。 紫龍が、『それは わかっている』と言うように、気まずげに 眉をしかめる。 「それはそうだが、現に、おまえは一見した限りでは 稀に見る美少女だ。まあ、堂々と男子として王に近付いていっても、あまり問題はないだろうと思うがな。そういう趣味の男は多いし、そういう趣味でなくても、おまえくらい綺麗だったら、血迷う男はいくらでもいるだろう」 「綺麗だったら? 僕、綺麗なの?」 紫龍が瞬に提案するゴールディ奪還策に呆れていた星矢が、間の抜けたことを紫龍に問う瞬に、更に呆れた顔になる。 星矢は、瞬の自覚のなさを責めようとしたようだったが、彼は結局 瞬を責める言葉を口にすることはしなかった。 この国、この村、この乱世。 そういう世上では、容姿の美しさには大した価値はない。 大事なのは、食糧を手に入れる能力の有無と、我が身を守る力の有無。 それらの力より容姿の美しさが価値を持つのは、飢える心配がなく、他人の暴力に脅かされることを心配せずに日々の生活を営める世界においてだけだろう。 瞬に 自分が美しいという自覚がなくても、それは、ある意味では自然なことなのだ。 これまで この国は、美しさより強さの方が はるかに大きな価値を持つ世界だったのだから。 その世界が、容姿の美しさに価値が置かれる世界になってきているというのなら、今 この国は平和に向かって歩み出した――と言っていい状況にあるのかもしれなかった。 「無論、おまえは綺麗だ。でなかったら、俺も こんな策を考えたりはしない」 自分が思いついた策――思いついてしまった策――を、だが、紫龍は全く気に入っていないらしい。 心底から嫌そうに、それでも紫龍が瞬に頷く。 「権力者に近付き、取り入って、色仕掛けで おねだりをする。昔からある常套手段だ」 「おねだり?」 そういう言葉があることは知っていたが、その言葉を口にするのは これが初めて。 そういう顔で『おねだり』なる言葉を口にした瞬を見て、星矢は その策の成功率の低さ――むしろ皆無にして絶無――を確信したらしい。 彼は、力なく二度三度 頭を左右に振った。 「瞬に、んな真似ができるわけねーよ。紫龍、無茶言うなって」 “んな真似”ができないのは瞬の罪ではない――星矢が そう言って仲間を庇ってくれていることは、瞬にも わかっていた。 しかし、瞬は、あえて仲間たちに問うたのである。 「紫龍、星矢。僕、ほんとに綺麗なの」 と。 「ああ」 紫龍が首肯し、紫龍に少し遅れて 星矢も同様に瞬に頷き返してくる。 だから瞬は決意したのである。 「僕が頑張って ヒュペルボレイオスの王様に おねだりしたら、ゴールディちゃんを返してもらえると思う?」 「おまえの手管次第だ」 「……」 権力者に近付き、取り入って、色仕掛けで おねだりをする。 たとえ それがどんなに実現の難しいことでも、他に方法がないというのなら、瞬は その可能性に賭けてみるしかなかった。 「……やる。僕、そのヒュペルボレイオスの王様に おねだりして、ゴールディちゃんを僕に返してもらう」 村を守るため、寂しがりやのゴールディの幸せのため、そして もちろん自分のためにも。 「しかし――」 「村には一艘の船もない。ゴールディちゃんがいなくなったら、ほんの少ししか魚が獲れなくなる。そうなれば、僕の父さんや母さんみたいに飢えて死ぬ人が出るかもしれない。そんなのは、僕、絶対に嫌だ。もう嫌なの」 「瞬……」 「それに、僕はゴールディちゃんに会いたい。ゴールディちゃんは僕の大切な家族だよ。ゴールディちゃんは、とっても寂しがりやなんだ。僕が側にいなくて、きっと今頃、船の上で泣いてるよ」 「ゴールディが泣くと、嵐みたいなことになるからな。ゴールディを乗せた船の船員たちも慌てていることだろう」 「そうだね。船員さんたちも気の毒だよね」 泣けばいいのか 笑えばいいのか わからない。 だが、瞬は、ともかく、今の自分にできることをする決意をした。 翌日、瞬は、美女狩りが行われるという村に出掛けていって、首尾よく領主が派遣した役人の目に留まり、都に向かう馬車に乗ることができたのだった。 |