生まれ育った村を出るのは、これが初めて。
都に行くことなど 一生あるまいと、これまで瞬は思っていた――否、思ったことさえなかった。
美女狩りを行なった領主の館で着せられた純白の絹の服の感触。
馬車に乗るのも、これが初めて。
初めてのことを幾つも経験した瞬が この国の都に入った時、その朝――は、ゴールディが瞬の村から連れ去られてから瞬が迎えた7回目の朝だった。

馬車の小さな窓から見える都は、廃墟としか言いようのない場所だった。
かつては立派な石造りの建物が立ち並んでいたのだろうことは想像できるのだが、今は そこは無数の瓦礫が転がっているだけの荒野である。
100年の戦乱が、美しかった町を こんなふうな――打ち捨てられた広大な石切り場のような姿に変えてしまったのだろう。
瞬が乗せられた馬車が王城に向かって進むにつれ、だが、その光景は変化していった。

馬車の揺れが少なくなったのは、道が整備されつつあるからに違いない。
そこここで 忙しそうに立ち働いている大工や石工たちは皆、一様に明るい表情をしていた。
道の両脇には 彼等が建てたのだろう真新しい建物が並んでおり、それらの建物は 彼等を建てた大工や石工たちより明るい表情をたたえているように、瞬の目には見えた。
まるで、自分を生んでくれた平和を喜んでいるように。
一度は死んだ町。
だが、今、都は生き返りつつあるようだった。


揺れがほとんどなくなり、軽快に走っていた馬車が停まった場所。
そこは、完全に修復の成った壮麗な王城の門の前だった。
同じように貢ぎ物を運んできたらしい馬車が、何台も列を成して並んでいる。
やがて 城門の内に入る許可が与えられ、更に 瞬にはよくわからない幾つもの手続きを経て――瞬は、共に美女狩りで狩られた3人の女性たちや金銀絹と共に、王との謁見の場に引き出されたのである。

この国の侵略者、ヒュペルボレイオスの王は、見るからに機嫌が悪そうだった。
もともと城館の建築を趣味にしていた王が、自国の芸術性の象徴として 金に糸目をつけずに建てた城。
それを修理したものなのだから、その城は豪奢を極めていた。
自分の命と領地が かかった機嫌取り、馬車を連ねて運んできた貢ぎ物ではあったのだが、所詮は地方の一領主に用意できる程度のもの。
奢を極めた豪華な謁見の間では、宝石でさえ石ころに見える。
実際、自分の目の前に積まれた献上品を一瞥したヒュペルボレイオスの王は、それらの献上品を喜んでいる様子を全く見せなかった。
むしろ、それらを玉座から見下ろす王の機嫌は最悪。
口調も表情も苦々しげなものだった。

「恭順の意を示して、野心を捨て 戦をやめれば何もしないと言っているのに、次から次に……。これを集めるために民を苦しめたのなら、俺も相応の処遇を考えなければならないことになるぞ」
独り言のように、だが その場にいる すべての者に聞こえるほどの音量で、ヒュペルボレイオス王がぼやく。
領主の命を受けて 貢ぎ物をここまで運んできた朝貢の使者は、侵略者でもある王の その言葉を聞いて真っ青になった。
今 王の前に置かれた貢ぎ物は、まさに“民を苦しめて”集めてきたものだったのだから、それも当然のこと。
ヒュペルボレイオスの王は、そんな使者の顔を一瞬 窺い見てから、嘆かわしげに、そして大仰に首を横に振った。

「しかし、せっかく大軍を率いてきたのに、この国には 抵抗らしい抵抗を示す領主もいない。自国を他国の軍に侵されてているというのに、気概がないというか、節操がないというか、『長いものには巻かれろ』を信条にしている者ばかり。俺に誓った恭順も いつまで続くものか――それ以前に、そもそも それは信用できるものなのかどうか、実に疑わしい」
「そ……それは もちろん。陛下はそのようにおっしゃいますが、この国の民はずっと長いこと、その“長いもの”を待ち焦がれていたのです。麻のように乱れた この国を一つにまとめあげるだけの力を持った偉大な王の登場を――」
「ふん」
それでなくても不機嫌だったヒュペルボレイオス王は、口のうまい使者の口上に ますます機嫌を損ねてしまったようだった。
意地の悪い目つきになり、玉座から立ち上がって、使者が運んできたものの前までやってくる――運ばれてきた瞬たちの前に、王は近付いてきた。

「美女ねえ……。どこが美女なんだか」
彼がそう言いたくなる気持ちは、瞬にも よくわかった。
北方から この国に攻め入って、あっというまに一つの国を己の手中に収めたヒュペルボレイオスの王は、なにしろ 献上品の美女たちより はるかに美しかったのだ。
この壮麗な城の謁見の間で、豪奢な城より輝いているものがあるとしたら、それは、貢ぎ物の宝石ではなく、“美女”ということになっている女性たちでもなく、現在のこの城の主その人だった。
夏の陽光のように輝く金色の髪。
地上に ただ一つだけ存在する真実の宝石のように青く きらめく その瞳。
身に着けているものは、綺羅を極めた王のガウンではなく、驚くほど地味な便服だというのに――その場に控えている兵士たちの軍装の方が よほどきらびやかだというのに――むしろ だからこそ、王の華やかな美貌は際立っていた。
だから――間近で王の様子を見ることになった瞬の瞳には 涙がにじんできてしまったのである。

駄目だ――と、瞬は思った。
この美しく不機嫌な王は、みすぼらしい貢ぎ物たちを すぐに この城から取り除いてしまうだろう。
追い返されるだけなら まだまし、へたをしたら王の機嫌を損ねた罪で 処刑されてしまうかもしれない。
そうなったら 自分はもう二度とゴールディには会えないのだ――。
瞬に『泣くな』という方が無理な話だった。

そんな瞬の前で、王が ふいに立ち止まる。
王は瞬に その手で触れることはせず、彼の方が腰を屈めて、涙を見られないように俯かせていた瞬の顔を覗き込んできた。
そして、
「ちゃんと綺麗なのもいるではないか……!」
と、歓声を上げる。
「……」
その声 その言葉に驚いて、瞬が顔を上げると、王も その姿勢を元に戻した。
改めて瞬の顔、肢体を見おろし、やがて僅かに眉根を寄せる。
「おまえ、もしかして……」
「……」
恐ろしさが先に立って声も出せずにいる瞬の前で、次の瞬間、王は謁見の間に笑い声を響かせた。

「そういう趣味があると思われたのか。詰まらない国だと思っていたが、どうしてどうして。なかなか面白い国だ。女より男の方が美しい」
「あ……」
見て わからない方がおかしいと瞬自身は思っていたのだが、故郷の村を出てからずっと“見て わからない”者たちにばかり出会ってきた瞬は、異国の王の慧眼に感動せずにはいられなかった。
その王が、瞬に涙の訳を尋ねてくる。
「何を泣いているんだ。異国人に献上されて、そのまま取って食われるとでも思ったか」
「そ……そんなの、覚悟の上で来ました」
「いい覚悟だ」
笑顔で瞬に そう言うと、王はすぐに その顔を険しいものに変え、朝貢の使者に言い放った。

「この子だけ もらう。あとの女は連れて帰れ。食料と馬は納めるが、金や宝石はいらん」
たとえ一部でも、覇者に貢ぎ物を受け取ってもらえたことで最悪の事態は免れられると考えたのだろう。
使者は、真っ青になっていた頬に少しだけ血の気を取り戻して、王に深く腰を折り、謁見の間を辞していった。

「俺に逆らうな。戦をなくし、この国を平和な国にするのが俺の目的だ。俺は、この国の惨状を見兼ねた神に命じられて、この国に来たんだ」
「も……もちろんです」
『神に命じられて』という言葉の王の言葉の真偽は、どうでもよかった。
少なくとも、今の瞬にとっては。
ただ 再びゴールディに会えるかもしれないという、蜘蛛の糸のように細い希望の糸が切れずに済んだことが、想定外の事態に混乱し気を失ってしまいそうな瞬に、なんとか その意識を保たせていた。






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