ゴールディは、王城の裏手に並んでいる厩舎の一つに囚われていた。 50頭ほどの馬を飼える規模の厩の馬房の柵をすべて外して、そこを急ごしらえの巨大な獅子の仮の宿にしたらしい。 ゴールディは弱っていた。 側に瞬がいないと すぐに めそめそ泣き出すような子が、瞬から引き離されて既に7日以上。 その間、ゴールディは何も食べていなかったようだった。 その気になれば 簡単に引き千切ることもできるのだろう鉄の鎖を断ち切る気力も湧いてこないらしく、大きな身体を藁の上に丸め、時折 何かを探し求めるように 力ない視線を周囲に泳がせている。 瞬が氷河と共に その厩舎に入っていくと、ゴールディは信じられないものを見付けてしまったと言うかのように、その瞳を見開き、やがて 涙で瞳を潤ませ、くすんくすんと鼻を鳴らしてきた。 「お……おさかな……おさかな、ください」 隣りに氷河がいることも忘れ、瞬は ふらふらとゴールディの側に歩み寄っていった。 厩舎の責任者らしい老人が、慌てたように瞬の進路を塞いでくる。 「あまり近寄らない方が……。弱っているといっても、これほど巨大な――」 「おさかな、ください」 「おさかな……って……。オサカナは 奴のすぐ脇に置いてあるんですが、奴は まるっきり食おうとしないんですよ。馬の世話は慣れているんですが、獅子の世話をするのは これが初めてなもんで、何がいかんのか、わしにもさっぱり――」 老人の言う通り、ゴールディのすぐ脇には大きなタライが置いてあった。 そのタライに入っている大量のイワシを見て、瞬が唇を引き結ぶ。 「もっと大きい おさかなは? せめて、サバとかニシンとか」 「その手の魚は ここには ないんです。今、この国の浜にはイワシの大軍が押し寄せてきているとかで、他の魚たちはイワシの群れに 恐れをなして、どこかに姿を消してしまったらしい」 「なら、それでもいい」 氷河は瞬の腕を掴み、その場に引き留めようとしたが、瞬は彼の手をすり抜けた。 馬防柵をくぐり、そのままゴールディの前に行き、瞳を潤ませているゴールディに、瞬自身も泣きながら声をかける。 「駄目だよ。好き嫌いせずに食べなきゃ。お口、開けて」 瞬にそう言われたゴールディは、すぐに ぱかっと大きく口を開けた。 「うわっ!」 厩番の老人が声を上げたのは、瞬がゴールディに食われてしまうと思ったからだったに違いない。 今の瞬の耳には、だが、そんな声など聞こえてはいなかった。 今の瞬には、ただ ゴールディの姿だけが見えていた。 瞬が、タライに入っているイワシを ゴールディの口の中にぽいぽいと投げ入れ始める。 口中に ある程度の量のイワシがたまると、ゴールディは もぐもぐと咀嚼を開始した。 「食った……!」 これまで 何をどうしても、どんな食べ物も受け付けなかったゴールディの食事風景。 厩番の老人は 驚き 呆れ、ぽかんと口を開けて その様を見詰めることになった。 「なるほど。一角獣は清らかな処女にしか触れることを許さないというが、この巨大獅子は、給仕が美人ではないせいで へそを曲げていたのか」 到底 美人とは言い難い厩番に一瞥をくれ、氷河が得心する。 タライにいっぱいのイワシを 最後の1匹までゴールディの口に放り込むと、瞬は しばしゴールディと見詰め合い、面食い巨大獅子に呆れている氷河の許に引き返した。 後ろ髪引かれる思いで。 そして、氷河の前に戻ると、瞬は彼に申し出たのである。 「あ……あの、僕に あの子の世話をさせてください。あの子は とっても弱ってるみたい。僕が元気にしてみせます」 「世話といっても……」 身長で5分の1、体重で20分の1。 瞬にゴールディのどんな世話ができるのかと、氷河は疑ったらしい。 だが 瞬は、ゴールディがその手の平に乗るほど小さな子猫だった頃から ゴールディの世話をしてきたのだ。 瞬には、自信はあっても躊躇はなかった。 「せめて食事をさせるだけでも。あの、僕、何となく――この子は、僕の手からじゃないとごはんを食べないような気がするの」 「それは、そのようだが……」 「でしょう! 僕に任せてください!」 ゴールディに再会できたことで、瞬の中から侵略者への畏れは すっかり消え去っていた。 気負い込んで、瞬は氷河に頼み込み――むしろ 要求し――氷河は瞬の力説に 少々たじろぐことになった――らしい。 「まあ、暴れられても困るが、かといって 自分の足で歩けないほど弱られても運ぶのが面倒だし、死なれでもしたら始末に困るし――」 「死なせたりなんかしません!」 「まあ、よかろう。主食は獣肉ではなく魚のようだな。明日から、イワシより大きい 食い応えのある魚を用意させよう」 「あ……ありがとう!」 強大な軍事力で、100年続いた戦乱を ごく短期間に治め、瞬の許からゴールディを奪っていった異国の王。 だが、今の瞬にとって 氷河は、ゴールディの食糧確保を約束してくれた親切な王様だった。 しかも その王様は、荒れ果てていた城を再建した王。 その上、廃墟と化していた都を甦らせ、もしかしたら この国に平和をもたらしてくれるかもしれない王なのだ。 何を恐れることがあるだろう。 氷河の親切に、瞬は 満面の笑顔で答えた。 逆に、氷河の方が その笑顔の力に戸惑い たじろぐ様子を見せる。 「いや、こいつが 素直に自分の足で歩いてくれると、こちらも助かるが。だが、おまえ、大獅子ではなく俺の世話をするように言い含められてきたのではないのか? その可愛い顔で、俺を骨抜きにするように――」 それが氷河の困惑の理由だったらしい。 そんな氷河の前で、瞬は にこにこしたまま 大きく左右に首を振った。 「骨抜きなんて、そんな必要ありません。ゴールディちゃんは、おさかなは骨ごと食べちゃうんです」 「ゴールディ?」 「あ、今、名前をつけました!」 一度『恐くない』と思ってしまった人を、再び恐れるようになることは難しい。 ゴールディは無事だった。 そして、再会することもできた。 氷河の目的は、この国を 戦のない平和な国にすること。 もはや、不安に思うようなことは何もない――。 瞬は、そういう気持ちになっていたのである。 自分が、強大な武力を背景に この国を侵略した男の城に運ばれてきた貢ぎ物だということを すっかり忘れて。 |