「俺を骨抜きにするのが目的だと思っていたのに、猫の相手ばかりしているな」
貢ぎ物の分際で、王の機嫌をとろうともせず、毎日厩舎ならぬ猫舎に通い、一日の大半を そこで過ごしている瞬に、氷河の機嫌は悪化の一途を辿っていた。
日中は、詰まらぬ貢ぎ物を持って謁見を求めてくる小領主たちの検分をし その去就を決定するという、全く楽しくない仕事をしなければならず多忙の極致。
やっと一日の仕事を終えて 瞬の許に行くと、今度は瞬の方が、『僕、ゴールディちゃんが夜泣きをしないように ついててあげなくちゃ』という理由で多忙。
もしかしたら瞬は 夜陰に紛れて外部の人間と連絡を取り合っているのではないかと不安になって、(王自ら)瞬の様子を探ってみたりもしたのだが、呆れたことに瞬は本当に一晩中 猫の相手をしていた。
より正確に言えば、猫の背や腹を寝台代わりにして、平和に熟睡していた。
いつまで経っても 貢ぎ物としての務めを果たそうとしない瞬に、氷河は苛立ち始め、その苛立ちは そろそろ頂点に達しかけていた。

そんな ある日――ある夜。
珍しく瞬がゴールディの許に行かず、自分に与えられた部屋で氷河を待っていた。
やっと その気になってくれたのかと 氷河が浮かれたのも束の間、瞬の唇から出てきたのは、またしてもゴールディのこと。
「あの子は自由になりたがっているんです。自由にしてあげられませんか」
瞬に そう言われて、氷河は、かっと頭に血がのぼってしまったのである。

「俺は神の神託に従って、この国の争乱を終わらせるために来たと言ったろう。あの巨大獅子は、そのために使えるんだ。おまえの願いをきくわけにはいかん」
「でも、自由でないと、あの子は弱るの。あんなに狭い厩舎に ずっと閉じ込められたままじゃ、ゴールディちゃんがかわいそう……」
日がな一日 瞬と一緒にいられる猫は かわいそうで、せめて夜だけでも瞬と一緒に過ごしたいという ささやかな願いすら叶えられない人間は かわいそうではないと、瞬は言うのか。
氷河の心は すっかり やさぐれていた。
多分に意地悪な気持ちで、瞬に交換条件を突きつけてみる。

「……おまえが俺のものになったら、その願いをきいてやらないこともない。いや、何でも願いを叶えてやる」
「え……」
「献上品のくせに、夜伽もせずに猫の相手ばかりしているなんて、どういう了見だ。俺と寝て、俺を殺せとか 腑抜けにしろとか、そういうことを誰かに命じられて、おまえは ここに来たのではないのか」
「ち……違います」
「目的は何だ。俺の暗殺か。それとも、俺が次にどこに軍を派遣するつもりでいるのかを探ることか」
「違います!」
「殺されてやってもいいぞ。おまえが俺と寝てくれたら。俺が満足して寝入ったところを、一突きすればいい」
「そんな無責任なこと言わないで! じゃあ、誰が この国を戦のない平和な国にしてくれるのっ!」
「……」

氷河は、大国ヒュペルボレイオスの王である。
強大な武力をもって、既に この国の9割方を その支配下に治めた。
その上、この国を戦のない平和な国にするために、毎日 面白くもない仕事を真面目に こなしている。
兵に命じてゴールディを殺すことも、たった今 この場で瞬の細い首を 捻り折ることもできる。
そんな勤勉で強い王を、毎日 猫と遊んでいるだけの瞬に『無責任』と責める資格があるだろうか。
絶対にない。
と、氷河は思った。
思いはしたのだが。

「いや、それは俺の仕事だが……」
細い眉を吊り上げて 無責任な王を責めてくる瞬に、氷河は そう答えるしかなかったのである。
瞬の叱責は理不尽だと思いつつ、それでも。
「よかった……」
力ないヒュペルボレイオス王の返答を聞いた瞬が 安堵の息を洩らし、花のような微笑を その顔に浮かべる。
そうしてから、瞬は、氷河に感謝の眼差しを向けてきた。
「ゴールディちゃんは、氷河が用意してくれた おさかなを食べて、とっても元気になったの。ゴールディちゃんも、氷河の親切には 心から感謝していると思うんだ。氷河は、僕とゴールディちゃんを会わせてくれた。その上、氷河は この国を戦のない平和な国にするために毎日 身を粉にして働いてくれている立派な王様なんだから」
「ゴールディが俺に感謝?」

その割に、あの化け猫は、俺が近付いていくと、牙を剥いて威嚇してくるようだが――と、瞬に言うことは 氷河にはできなかった。
そんな皮肉の一つも、瞬には言えない。
ゴールディを自由にしてやる気になれないのも、そんなことをしたら 瞬までがゴールディと共にどこかに行ってしまいそうだから。
問答無用で瞬を犯すこともできるのに、そうすることも 今の氷河にはできなかった。

なぜ そうすることができないのか。
その理由は、氷河にも既にわかっていた。
だからこそ、その夜、ゴールディの猫舎に向かった瞬のあとを いつも通り こそこそとつけていった氷河は、瞬がそこで見知らぬ男たちと密会している場面を見て 激怒してしまったのである。






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