「星矢! 紫龍! どうして、ここに !? 」 瞬は、その男たちと かなり親密なようだった。 猫舎の入り口に 二人の姿を認めると、ゴールディに駆け寄っていく時と同じほど嬉しそうに声を弾ませて、瞬は その男たちの名を呼んだ。 星矢と紫龍。 それが、主に断わりもなく この城に侵入してきた男たちの名前らしい。 「おまえが首尾よく この城に入り込めたのはいいけど、いつまで経っても村に戻ってこないから、心配になってさあ」 「ごめんね。氷河が――ヒュペルボレイオスの王様が、どうしてもゴールディちゃんを自由にしてくれなくて……。村のみんなは大丈夫?」 「それはなんとか。ヒュペルボレイオス軍 侵攻からこっち、あの辺りを荒らしまわってた野盗共が一掃されたのと、浜近くまでイワシの大軍が押し寄せてきてるおかげで、なんとかなってる」 「野盗を一掃 !? それ ほんと?」 にわかには信じ難いという顔で 侵入者たちに尋ねた瞬に、氷河は、『俺が兵に命じて、野盗匪賊の類を 片っぱしから捕えさせたのだ』と言ってやりたい衝動にかられた。 氷河が自分で言わなくても、長髪の侵入者が その事実を瞬に知らせてくれたので、氷河はかろうじて その衝動を抑えることができたのだが。 「ああ。ヒュペルボレイオス王は なかなか有能な統治者だぞ。野盗の一掃だけじゃない。ヒュペルボレイオスの軍と兵は、着々と この国を平らげていっている。攻め滅ぼしたり降伏してきた領国には、ヒュペルボレイオスの人間ではなく、この国の人間の中から公明正大な者を抜擢して 代官を務めさせている。あの王は、異国人の代官では 民の反発を招くだけだということがわかっているんだ。国は秩序を取り戻しつつある。様々な情報伝達も正確かつ迅速になってな。平和が約束されて 生気を取り戻した人間というのは噂好きになるものらしい。おまえが王に気に入られたことや、化け猫にかまけて 王を袖にしていることが噂になって、俺たちの村まで聞こえてきている」 「氷河が……? 氷河は 本当に、この国を平和な国にしてくれてるんだね! 氷河の側にいると――お城の中にいると、かえって そういうことがわからなくて……。氷河も何も言ってくれないし。でも、よかった。僕、嬉しい!」 『よかった』と、隠れて瞬たちの様子を窺い見ている氷河自身も思っていた。 もっとも、氷河の『よかった』は、『猫舎での瞬の様子を確認するために舎内に照明の設備を整えておいてよかった』の『よかった』だったが。 そのおかげで、ヒュペルボレイオス王の勤勉な仕事の成果を知って喜ぶ瞬の笑顔を、氷河は はっきりと確認することができたのだ。 とはいえ、氷河は、同時に、少々 後悔もしていた。 瞬の気を引くには、ヒュペルボレイオス王の有能と勤勉が この国から争乱を排除し 平和を甦らせつつある事実を瞬に知らせることが有効だったのだ。 社会行政絡みのことは人間の好悪の感情に影響力を持たないものと思い込み、そういった情報を ほとんど瞬に知らせずにいたのは まずかったと、氷河は 今になって 己れの迂闊を責めることになった。 とはいえ、それも怪我の功名。 同郷の友人らしき男から ヒュペルボレイオス王の有能振りを知らされた瞬は、氷河が自らの仕事の成果を瞬に知らせなかったことを、ヒュペルボレイオス王の奥ゆかしさと解して感動し、ヒュペルボレイオス王への尊敬の念を深めることになったらしい。 氷河当人が己れの仕事の成果を瞬に誇っていたら、瞬はヒュペルボレイオス王の実力を認めることはしても、感動することまではしなかったかもしれない。 あの紫龍という男は 洞察力も判断力もある、なかなか いい人材ではないかと、氷河は思っていた。 瞬とゴールディの様子を探るために猫舎の中に特別に作った監視用の小部屋の中で。 瞬の監視といっても、氷河は、瞬が この城からの逃亡を図ったり、ヒュペルボレイオス王への貢ぎ物という自分の立場を忘れて ヒュペルボレイオス王以外の男と怪しい仲になってさえいなければ、他のことは すべて不問に処すつもりでいた。 暗殺計画や間諜行為などは、ヒュペルボレイオス王が しっかりしていれば、未然に阻止できることなのだ。 そして、この星矢、紫龍という名の男たちは、瞬の身を案じて 都にまでやってきた、瞬の同郷の“ただの友人”であるらしい。 夜陰に紛れ 王城に忍び込んできたのは問題だが、それは警備体制の穴に気付いていなかった城の主の責任。 瞬の“ただの友人”を捕えて 事を荒立てるのは賢明な対処方法ではない。――と、氷河は考え始めていた。 と、そこに。 「ゴールディは取り返せそうか?」 と瞬に問うたのは、瞬の同郷のただの友人の片割れ、短髪の星矢だった。 瞬が、それまで嬉しそうに輝かせていた瞳を曇らせ、悲しそうに瞼を伏せる。 「それが……わからないの」 「わからない?」 「うん……。紫龍たちが聞いたっていう その噂、ちょっと間違ってるよ。僕、別に氷河に気に入られてるわけじゃないと思う。ゴールディちゃんに ごはんを食べさせてあげられるのが僕だけだから、僕は ここに置いてもらえてるんだ。氷河は ゴールディちゃんを解放するつもりもないみたいで……。ゴールディちゃんを自由にしてほしいって、僕、何度か氷河に頼んではみたんだけど……」 星矢の口振りから察するに、瞬の同郷のただの友人たちは ゴールディを以前から知っていたものらしい。 ということは当然 瞬も、この城に来て初めてゴールディに会ったのではなかったのだろう。 それどころか、瞬が この城にやってきた目的は、王の暗殺や間諜行為ではなく、ゴールディの奪還だった――らしい。 監視用の隠し部屋の中で、氷河は少々混乱していた。 瞬のように可憐な美少女――もとい、可憐な美少年と、凶悪な面構えの巨大化け猫。 そのミスマッチを、氷河は どうしても うまく整理統合できなかったのである。 「やっぱり、瞬に おねだりは無理だったかー……」 「あ……でも、氷河は……あの、僕が氷河と一緒に眠ったら、僕の願いを何でも叶えてやるって言ってくれてるの。僕に殺されてもいいって言ってた。でも、僕、氷河が死ぬのは嫌だから……」 「えーっ。それって、おまえの おねだり作戦がうまくいってるってことかーっ !? 」 短髪の星矢が、広い猫舎に素頓狂な声を響かせる。 星矢の声音は、瞬に“おねだり”などという器用なこと(?)ができるはずはないと信じている者のそれだった。 瞬が、そんな同郷のただの友人の前で、二度三度 心細げな瞬きを繰り返す。 「僕、ゴールディちゃんは返してほしい。けど、そうしたら、僕は ゴールディちゃんを連れて 村に帰らなきゃならなくなるでしょう? でも、僕、氷河と離れたくないの……」 「瞬……。おまえ、なに言ってんだ?」 星矢と同じことを、氷河も瞬に尋ねたかった。 おまえは、何を言っているのだ――と。 それは いったいどういう意味なのだ――と。 星矢に問われたことに、だが、瞬は なかなか答えを返さない。 監視部屋の中で 氷河は焦れ、いっそ その答えを手に入れるために、瞬と瞬のただの友人たちの前に飛び出ていってやろうかとまで 思ったのである。 ぎりぎりのところで 氷河がそうせずに済んだのは、瞬のただの友人の紫龍が、瞬の代わりに その答えを口にしてくれたからだった。 「瞬は、侵略軍の王を好きになったと言っているんだ」 と。 「なにーっ !? 」 瞬のただの友人星矢には、自分が王城への不法侵入者だという自覚が 全くないようだった。 彼は、猫舎の外にまで響き渡りそうな大声をあげ、瞬は そんな星矢の前で ほんのりと頬を上気させ 瞼を伏せた。 「お……おまえ、わかってんのか? おまえが好きになった男ってのは、おまえからゴールディを奪っていった侵略者なんだぞ!」 「そ……そうだけど、でも、氷河は、この国を戦のない平和な国にしたいって言ってたよ。この国が平和になったら、畑を荒らされることもなくなって、麦や野菜を育てられるようになるよ」 「漁はどうするんだよ! 村の船はみんな 取られちまってるんだぞ! ゴールディのダイブだけが頼りなのに!」 「船は造ればいい。これまで村のみんなが船を造ろうとしなかったのは、造っても どうせ誰かに奪われるって思ってたからでしょう? でも、氷河が この国を平和にしてくれれば……」 瞬は懸命に、自分が この城に――ヒュペルボレイオス王の許に残ることの理由――というより、村に帰らなくても不都合は生じないことを、同郷のただの友人に訴える。 しかし、星矢は 瞬の訴えを真面目に聞く気もないようだった、 「俺、頭が痛くなってきた……。相手は、強大な武力で あっというまに この国を手中に収めた、冷徹な侵略者だぞ。そんな甘いこと考えてるわけないだろ!」 「で……でも、氷河は――ゴールディちゃんのために 大きなおさかなを用意してくれて、ほんとに とっても優しいんだよ!」 聞く耳を持たない仲間に、瞬は懸命に訴え続ける。 猫舎の監視用の小部屋の中で――瞬の その健気な心に応えるために、自分が“甘いことを考える”男になることを、氷河は決意したのだった。 |