「あのスーツ、いいわ。こっちのシャツもいい感じ」 紳士服売り場に到着した沙織は、フロアにあるテナントを渡り歩き、(おそらく)それらの衣服を着ることになるアテナの聖闘士たちの意見も聞かず、それどころかサイズを確認することもなく、次から次に男性用衣料を買いまくった。 さすがに5歳の女児がカードを使用するのは まずいので、支払い自体は瞬が行なうことになる。 瞬は支払いを済ませるので手一杯、他の三人は沙織が購入した品を受け取って 彼女のあとを追うので精一杯。 紳士服売り場を一巡して やっと満足したらしい沙織が その歩みを止めた時、瞬が沙織のカードで支払った額の総額は、軽く100万を越えていた。 沙織名義のブラックカードなので、もちろん支払い額に上限は設定されておらず、支払自体に支障は生じなかったのだが、それは瞬の中にある経済観念に深刻な打撃を与えるものだった。 とはいえ、 「既製服って安いわね。結構 買ったのに」 と涼しい顔で言ってのける沙織に、『無駄使いはやめてください』と意見するのは、どう考えても無意味である。 “無意味”以前に“空しい”。 瞬は、それぞれのブランドのロゴの入った袋を幾つも持たされている仲間たちの疲れ切った顔を見やり、深く長い溜め息を洩らすことしかできなかった。 ともかく、これで沙織の気は済んだだろう。 悪夢のような散財は これで終わり。 そう思って 沙織に帰宅を促そうとした瞬のもとに、容赦なく 沙織から次の指示が飛んでくる。 「重いものを持たされているわけじゃないのに何なの、その疲れ切った老人みたいな顔は。次は レディースのフロアに行くわよ!」 「レディース?」 5歳の沙織のための衣類は既に購入済みである。 沙織が本来の姿に戻った時に身に着ける衣服なら、城戸邸に腐るほどある。 いったい何のために、沙織が女性用の既製服などを購入するのか。 もしかしたら沙織は、自分が5歳の女児にさせられてしまったという異常事態に混乱し、城戸邸にある彼女のワードローブのことを忘れてしまったのだろうかと、瞬は疑うことになったのである。 「沙織さん。沙織さんが元に戻った時に身に着ける服は、城戸邸に――」 沙織の記憶の混乱を案じて心配顔になった瞬に、沙織は 逆に 瞬の正気を疑っているような目を向けてきた。 「なに寝惚けたことを言っているの。あなたにメンズの洋服なんて似合わないでしょ。やっぱり、ピンクよね。ピンクのワンピース」 「は……?」 沙織が何を考えているのかが わからなくて――否、わかりたくないのに わかってしまったせいで――瞬は その場で悲鳴をあげそうになった。 実際、瞬は悲鳴をあげたのである。 それが余人の耳に聞こえなかったのは、瞬の悲鳴が人間の可聴域を超えるものだったから――つまり、沙織の言葉によって与えられた衝撃が大きすぎたために、瞬の悲鳴は超音波で作られてしまったのだ。 神の可聴域は人間のそれと同じなのか、それとも異なるのか。 たとえ瞬の悲鳴を聞きとることはできなくても、瞬が全身全霊で沙織の意図と計画を拒絶していることは感じ取れただろうに、女神は子供の無邪気を装って、瞬の主張を綺麗さっぱりと無視してのけた。 「何着でも好きなものを買っていいのよ。星矢たちも、それで足りないようだったら、他のお店にも行きましょう」 「あのな、沙織さん。俺たちは――」 「礼は結構よ。これは、私の買い物に付き合ってくれた あなた方へのご褒美だから」 「ご褒美……?」 にっこり笑って 沙織は そう言うが、アテナの聖闘士たちにとって 沙織の“ご褒美”は嫌がらせ以外の何物でもなかった。 持つべきものは、仲間である。 まともに(?)悲鳴をあげることもできないほど強烈なアテナの攻撃に打ちのめされてしまった瞬のために、瞬の仲間たちは、『瞬の男子としての面子を考えて、それだけは勘弁してやってくれ』と極めて低姿勢に 沙織に頼み、沙織は 今日彼女が購入した服を彼等が身に着けることを条件に、その頼みを聞き入れてくれた。 仲間たちのおかげで最悪の事態を免れることのできた瞬は、仲間たちの熱い友情に感動の涙を流すことになったのである。 |