秋物語






「なあ、おまえらって、小宇宙を燃やせるようになったのって いつ頃だった?」
ラウンジに入ってくるなり、星矢が突然そんなことを仲間たちに尋ねてきたのは、紅葉前線が いよいよ関東に到達し、様々なメディアで紅葉の名所の映像を見かけるようになった頃。
地上は赤や黄色、空は水色。
四季のある極東の島国が最も鮮やかな衣装を その身にまとう季節の、ある晴れた日の午後のことだった。
焼き芋を焼くのに十分な落葉が確保できるかどうかを確かめるために庭に出ていった星矢が、秋の味覚のことなど すっかり忘れてしまったような顔で そんなことを尋ねてくるのを訝って、瞬は首をかしげたのである。

「どうしたの、急に」
「あ、うん。俺さー、ギリシャに行って 聖闘士になるための修行を始めて、走ったり 跳んだり 重いもの持ったりする身体能力は順調に向上してったのに、いつまで経っても 小宇宙を燃やす感じを掴めなかったんだよな。何年経っても 石ころ一つ砕けなくて、魔鈴さんに滅茶苦茶しごかれたことを思い出したんだ。さっき、庭で石ころに蹴躓いて」
実に わかりやすい理由。
そして、明瞭明確な説明。
どうやら 星矢は、石ころに躓いた拍子に 砕けない石ころの思い出を思い出し、その弾みで 焼き芋のことを忘れてしまったようだった。

星矢が、その頭の中から食べ物のことを吹き飛ばしてしまうほど強烈な思い出。
魔鈴さんのしごきは相当ハードなものだったに違いない。
そう思って、瞬は その口許に微笑を浮かべたのである。
幼い子供の頃の つらかった思い出が、今では微笑と共に思い浮かべることができるほど 優しく懐かしいものになっているという事実に、少しく不思議な気持ちを抱きながら。

星矢に 焼き芋のことを忘れさせるほど重要な事柄。
氷河と紫龍が 星矢の質問を一笑に付すことなく、律儀に(?)質問者に答えを返してやったのは、その事柄の重要さに敬意を表してのことだったかもしれない。
何はともあれ、それは 星矢に食欲を忘れさせるほど重要重大な問題なのだ。
「俺が小宇宙に目覚めたのは、クマのおかげだったな。シベリアに行って3年目。氷が なかなかアザラシのいる場所まで張らなくて エサにありつけなかったんだろうが、浜で、飢えて凶暴になったシロクマに出食わしたんだ。そいつを倒さなければ、こっちが食われる状況。だが、奴も 好きで凶暴になっているわけじゃない。しかも、そのシロクマは子供を連れていた。殺すに忍びなくて――しばらく奴を動けなくすることさえできれば、俺はその隙に 奴の前から逃げられて、奴を殺さずに済む。そういう状況に追い込まれて、あの時 俺は初めて小宇宙を燃やし、自力で凍気を生んだんだ」

「ああ、俺もそのころだな。俺は五老峰の大滝を逆流させるべく修行していた時に 小宇宙を燃やす術を体得したことになっているが、実は 俺も小宇宙に目覚めることになった きっかけはクマだった。俺の方は、シロクマではなくパンダだったがな。パンダが川に落ちたんだ。子供のパンダならともかく、成獣。体重は150キロ以上あっただろう。泳いで運べる大きさ重さでもなく、尋常の人間の力では岸に引き上げることは 到底不可能。早く岸に引き上げないと、パンダは滝口に達し、滝壺に叩きつけられる。岸では、川に落ちたパンダの子供が2頭、流れていく母熊を為す術もなく見詰めていた。どうにかしなければと思う気持ちが、俺に小宇宙を生む力を与えてくれたと言っていい。俺は、滝ではなく 川の流れを逆流させることで、パンダが滝に落ちるのを防ぐことができたんだ」

「へえ。おまえらって、人命救助ならぬ熊命救助で小宇宙に目覚めたのかー。らしいような、らしくないような感じだな。で、瞬、おまえは? さすがにアンドロメダ島にはクマはいなかっただろ」
「え……? 僕?」
聖闘士になるための修行は もちろん続けていたのだろうが、氷河と紫龍が そういう状況下で 初めて小宇宙を燃やすことができるようになったのは、それぞれの地にいたクマたちが 母熊であり、子供を連れていたからだったのだろう。
そう考えて 少々感傷的な気持ちになっていた瞬は、星矢が自分にまで その質問を投げかけてくることに少なからず驚いたのである。
城戸邸にいた頃、皆が それぞれの修行地に送られる以前、大人たちに強いられるトレーニングを嫌がって泣いてばかりいた仲間のことを、星矢が忘れてしまったはずがない。
そんな泣き虫は、小宇宙を燃やせるようになった時期も 当然 仲間内で最も遅かったに違いないと考えて、星矢は 氷河たちにしたものと同じ質問をアンドロメダ座の聖闘士には向けてこないだろう。
そう、瞬は思っていたのだ。

だが、そうではなかったらしい。
星矢は、仲間たち全員の その時期を確かめようとしているようだった。
しかし、それは、瞬には できれば仲間たちには知られたくないこと――秘密にしておきたいことだったのである。
「僕のは……聞いても あんまり楽しくないと――」
「なんか、小宇宙が燃やせるようになったのって、俺がいちばん遅かったみたいな気がしてきた。俺、聖衣もらって日本に帰る半年前にやっと小宇宙を燃やせるようになったんだぜ。おまえまで 俺より早かったりすんのかよ?」
(自分が聞きたいこと以外)人の話を聞かない星矢が、瞬の遅疑に気付いた様子もなく、勝手に話を進めていく。
瞬は ますます答えを渋ることになった。

「僕は……アンドロメダ島では劣等生の みそっかすだったから。それに、小宇宙って、早く体得できればいいっていうものじゃないでしょう」
「そりゃそうだろうけどさ。みそっかすの 劣等生だったくせに、おまえ、サクリファイスへの挑戦権を争うバトルで、おまえに勝つ気満々だった修行仲間を あっさり倒して、その上、サクリファイスもあっさりクリアしちまったんだろ? 不思議に思った先生に、『いつのまにか小宇宙に目覚めてましたー』とか、ふざけたこと言って、聖衣もらってきたって聞いたぜ」
「あっさりだなんて……そんなことないよ」
「おまえ、あれに似てねー? 試験勉強なんか全然してないってクラスメイトには言っといて、テストで ちゃっかり100点とっちまう奴」
「何、それ。学校のテストなんて受けたことないくせに、星矢ってば、なに言ってるの」

自分が そういうものに似ていると言われることは、瞬には心外だった。
本当に勉強しなかったのなら ともかく、勉強していたのに していなかったと言うのは、明確に嘘ではないか。
「僕は 嘘なんか言ったりしないよ。だいいち 僕は、自分の努力を隠すほど 奥ゆかしい人間じゃない」
「そうかぁ? だとしても、おまえ、自分から そういうこと 吹聴もしないだろ」
「そりゃあ……人に訊かれたのでなかったら、自分から言ってまわるようなことじゃないし」
「んじゃ、俺が今 訊いてやる。いいから教えろって。嘘なしで」
「星矢……。そんなこと知ったって、何にもならないでしょ。大事なのは、いつ小宇宙を燃やせるようになったかっていうことじゃなく、今 どれほどの小宇宙を燃やせるかどうかっていうことで――」
「いいから教えろって。大事なことじゃなくても、俺は知りてーんだから」

星矢は、どこまでも人の話を聞かない。
彼は、自分の聞きたいこと(だけ)を聞きたいという欲求、自分の知りたいこと(だけ)を知りたいという欲求に、どこまでも忠実で貪欲だった。
「考えてみりゃさ、おまえが小宇宙に目覚めた時期って、結構 謎だよな。今は、滅茶苦茶強くて あんなでかい小宇宙 燃やせるのに、島を出る時まで、そのこと、師匠にも気付かせなかったんだろ?」
「小宇宙も努力も 似たようなものでしょ。その必要がないのに、自分から吹聴したり、ひけらかしたりするようなことじゃない」
「そうそう、それは おまえの言う通り。でも、人に訊かれたら、正直者の瞬チャンは 嘘は言わないよな?」
「……」
どうやら今の星矢は、平生の彼が食べ物に対して抱いているほど強い執着を、“仲間たちが小宇宙に目覚めた時”に抱いているらしい。
その追求から逃れることは 至難のわざのようだった。

「もちろん、嘘は言わないけど……。もし僕が小宇宙を燃やせるようになった時期が 星矢より早かったとしても、星矢、怒んない?」
「それは おまえの話を聞いてから決める。さっさと白状しろ。まさか、氷河や紫龍たちより早かったってことはないよな?」
「――」
嘘は言えない――それは、嘘をついてまで隠さなければならないようなことではない。
だが、事実を知ったら、星矢は――仲間たちは、どんな顔をするのか。
瞬には、それがわからなかったのである――想像することもできなかった。

星矢は聞き出す気で いっぱい。
アンドロメダ座の聖闘士が言い渋っていることが 悪い方向に作用して、氷河と紫龍にまで その件への興味を抱かせてしまったらしい。
仲間たちの視線の集中砲火を浴びて、瞬は観念するしかなかったのである。
観念して――長い溜め息を 一つ洩らしてから、瞬は いかにも不承不承という(てい)で 口を開いたのだった。

「いつ……って、秋だよ。今頃の季節」
「秋? アンドロメダ島って、昼間は灼熱地獄で、夜は極寒地獄だったんだろ? 秋だの春だのって、そんな ノンキなもんが アンドロメダ島にあったのかよ?」
「ん……」
もちろん、アンドロメダ島には そんなものはなかった。
桜前線にも 紅葉前線にも無縁な島。
それが、瞬が聖闘士になるための修行をした島だったのだ。
『僕は、秋に小宇宙を燃やせるようになった』
それで星矢は すべてを察してくれないものか――。
瞬は つい、そんなことを願ってしまったのである。
その願いは、実に空しいものだったが。

本当のことを知った星矢は、腹を立てないだろうか。
星矢に怒られるのが恐いわけではなかったのだが、やはり 瞬は本当のことを仲間たちに知らせたくはなかったのである。
兄から引き離され たった一人で苛酷な修行地に送られた泣き虫の仲間のことを、彼等が深く案じてくれていたことを、瞬は よく知っていたから。






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