「そういうことだったのか――って、何がだよ?」 星矢が、氷河の その言葉を訝ったのは、瞬が小宇宙を燃やせるようになった時期を 氷河が気にするようなことがあるとは思えなかったから。 そして、瞬の命の恩人(恩鳥)でもある心優しいツバメが飛んでいった空を見詰める(むしろ睨んでいる)氷河の目が、異様なほど険しいものだったから――だった。 それは到底、ほのぼのハッピーエンドの物語に接したばかりの人間の目ではなかったのだ。 氷河が、不機嫌を極めた顔と声で、その訳を語り始める。 「最近、俺が外出するたび、俺に襲い掛かってくるツバメがいたんだ。ツバメにしては 一輝並みに攻撃的な奴で、いったいなぜなのかと不思議に思っていたんだが――」 「それは……」 どうやら瞬は そのことに薄々 気付いていたらしい。 氷河がツバメに襲われていることまでは把握していなくても、彼の古い馴染みのツバメが 彼の仲間に対して敵愾心を抱いていることには、瞬も気付いていたようだった。 「氷河、こないだ聖域から帰ってきたあと、城戸邸の庭で 僕に好きだって言ってくれたでしょう。僕、嬉しくて泣いちゃって、それをアオちゃんが見てたみたいなんだ。それで 多分、アオちゃんは、氷河のことを 僕を泣かせた悪者だと思っちゃったんだ」 「やはり……」 「庭でキスしたこともあったでしょ。アオちゃん、僕が氷河に食べられかけてるとか、襲われかけてるとか、そんなふうに誤解したみたいで……。でも、あの、アオちゃんには悪気はないんだよ」 「悪気がない !? あれに悪気がなかったら、ポセイドンにもハーデスにも悪気がないことになるだろう!」 氷河はこれまでに幾度もツバメの襲撃を受けていたのだろう。 そして、その襲撃に、氷河は相当 苛立っていたものらしい。 なぜ自分がツバメに襲われ続けるのか、その理由がわからず、それゆえ 怒りをどこに向ければいいのかも わからないせいで鬱憤がたまっていたところもあったのかもしれない。 だが今、ついに その理由が判明した。 その上で、氷河は、心優しいツバメを ポセイドンやハーデス並みの邪悪と見なしているようだった。 星矢が そんな氷河を怒鳴りつけたのは、だが、彼が 白鳥座の聖闘士の不寛容に立腹していたから――ではなかったのである。 「好きだのキスだのって、おまえら いったい、いつのまに、そういうことになってたんだよ!」 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間同士の間に、これほど多くの秘密があったとは。 星矢の憤りは、むしろ その点にこそ向けられていたのである。 もっとも、瞬とツバメの秘密は ともかく、瞬と氷河の秘密に対する星矢の非難は、紫龍の呆れたような、 「星矢、おまえ、気付いていなかったのか?」 の一言によって、星矢の鈍感のせいだということで片付けられてしまったのだが。 「気付くかよ! 報告も受けてないのに!」 それでも あえて星矢が文句を言い続けたのは、自分の鈍さをごまかそうとする彼の照れ隠しのようなものだったろう。 「訊かれたわけじゃないのに、自分から言いに行くのも どうかと思って……」 「言えよ! そういうことは!」 「ごめんなさい……」 「まあ、俺も少しは鈍かったかもしれないけどさー……」 瞬に真面目に謝られて、星矢も それ以上 その件で仲間を責める気はなくなってしまったようだった。 なにしろ今は、報告すれば それで済むような問題とは別の大問題が、アテナの聖闘士の上に生じていたのだ。 すなわち、『心優しい正義のツバメ VS 世紀の大悪党キグナス氷河』という、実に解決の困難な鳥類対立問題が。 「たとえ凶悪なツバメに目をつけられても、そんな鳥の1羽や2羽、どうせすぐに南に渡っていくんだろうし、その寿命も短いはずだ。だから ほんのしばらくの辛抱だと、俺は自分に言い聞かせて我慢していたんだぞ。それなのに――」 「瞬が出会った頃に1歳だったとして、瞬のアオチャンは 今が8、9歳くらい。あの分では、まだまだ6、7年は生きそうだな。瞬の小宇宙に守られているのなら、ツバメの長寿記録更新ということもありえる」 「僕の小宇宙のせいで、アオちゃんは冬でも日本で元気に飛び回っていられるの。弱ってる仲間がいる年は、その仲間を守って南に渡らないみたい。今年はどうなのかな……」 瞬から あまり嬉しくない情報を知らされて、氷河は ますます渋い顔になった。 「南への渡りなしで、あと6、7年は生き続けるだと !? その間ずっと、俺はあいつに つけ狙われ続けるのか? あの凶悪ツバメ、この間は 俺の髪の毛をむしり取っていきやがったんだぞ!」 「あ……巣作りに使うつもりだったのかな。氷河の髪、綺麗だから」 「何が巣作りだっ! ツバメの巣のために俺がハゲになったりしたら どーしてくれるんだ!」 「……」 ここで、『たとえ氷河が禿げても、僕は氷河が好きだよ』と言うのは火に油を注ぐだけの行為である。 さすがに 瞬も、その程度の判断力は持ち合わせていた。 だが、氷河の怒りを鎮静化させる方法は思いつかない。 対処に困ったあげく、瞬は、大胆に話題を変えることを試みたのである。 「あ……でも、氷河はシロクマで、紫龍はパンダ。みんな、誰かの命を守ろうとして 小宇宙に目覚めたんだね。星矢はどんなふうにして小宇宙を燃やせるようになったの?」 話の発端は、もともと それだったのだ。 アテナの聖闘士たちが小宇宙を燃やせるようになったのは、いつだったのか。 瞬の話題転換の試みは かなり苦しいものだったのだが、苦しい立場に追い込まれた瞬のために、星矢は瞬の原点回帰の試みに乗ってやったのである。 本音を言えば、星矢の中では、そんなことは既にどうでもいいことになってしまっていたのだが。 「あ、それは万有引力の法則っていうやつでさ。魔鈴さんの指示で動体視力の特訓してた時に、万有引力の法則にのっとって、枝を離れたオリーブの実が1個、地面に向かって落下を開始したんだよ。けど、そのちょうど真下にアリンコがいてさ。どう考えても、オリーブの実はアリンコを直撃する。それで、アリンコを助けようと思って、離れたところからオリーブの実を吹っ飛ばしたのが、俺が最初に燃やした小宇宙だったかなあ」 「オリーブの実の直撃を受けそうになったアリを助けるため? やだ、星矢の小宇宙ってば、すごく可愛い」 実に ほのぼのした星矢の小宇宙開眼。 瞬は星矢の話を聞いて、その唇をほころばせた。 そんな瞬たちの上に、これまた万有引力の法則にのっとって、氷河の怒声が落下してくる。 「アリの話なんかで ごまかすんじゃない! 今 問題なのは、あの凶悪ツバメへの対処法だっ!」 瞬は確かに、正義の凶悪ツバメ問題を 万有引力の法則で ごまかそうとした。 だが、氷河が瞬を泣かせたことも、瞬を食おうとしたことも、紛う方なき大事実。 心優しいツバメを凶悪ツバメに変貌させたのは、他ならぬ氷河自身なのだから、ここは大人になって ごまかされてやればいいのに――と、星矢は思ったのである。 氷河が瞬を泣かせ 食おうとする悪党でいる限り、瞬のツバメは氷河への強硬姿勢を改めることはしないだろう。 それは瞬にも解決することのできない問題、瞬にも変えることのできない現実なのだから――と。 それにしても。 「それにしても、一輝に、ハーデスに、シャカに超攻撃的なツバメ。おまえの鉄壁の防御力って、そういうことだったんだ。おまえって、つくづく取り憑かれ体質っていうか、守られ体質なんだな。そんなガードなんて 全然必要ないくらい強いのにさー」 「ああ、あいつらもいた。あいつらだけでも鬱陶しいのに、この上、凶悪ツバメだと! 瞬。おまえは俺を殺す気か!」 星矢のぼやきで、氷河は 思い出したくないモノたちのことまで思い出してしまったらしい。 氷河の低い呻きは、ほとんど自らの人生に絶望した人間のそれだった。 瞬は――瞬までもが――自分に取り憑いている者たちの存在を思い出し、そんな氷河の様子に おろおろすることになったのである。 瞬とて、自ら望んで そんな者たちに取り憑かれているわけではなかったのだ。 「そ……そんな心配しなくても、アオちゃん、今年は そろそろ南に渡っていくよ。アオちゃんがまだ日本にいるのは、怪我をしたり弱ったりして 南に渡れない仲間がいないことを確認するためで――アオちゃんは いつもそれを確かめてから、最後に日本を離れるみたいなんだ」 だから来年の春までは、白鳥座の聖闘士は平和な時を過ごせるのだと、瞬は氷河に訴えた。 その訴えは、 「今年は渡らないだろ。おまえを氷河から守らなきゃなんねーし」 という星矢の一言で、瞬時に無効化されてしまったが。 「冗談ではないぞ!」 自分の前途に絶望しているようだった氷河の声に、憤怒の響きが混じり始める。 それこそが、瞬の最も恐れていた事態だった。 氷河は、その気になれば、一瞬で 心優しいツバメの命を奪う力を有している。 その事実をこそ、瞬は何よりも恐れていたのだ。 |