それから2日後、クレタ島からアソス島まで 週に一度 食料や雑貨を運んでいるという船に便乗して、俺は問題の島に上陸した。 こんな島に時間と労力をかけて通って商売になるのかと疑い、俺は行商人 兼 船主の爺さんに訊いてみたんだが、爺さんが言うには、この島の奴等は やたらと金払いがいいらしい。 クレタで売れなかった詰まらないものにも、この島の奴等は4、5倍の金を出してくれるとか。 たった10キロ移動するだけで、売れ残り商品の値段が4倍5倍になるのなら、熱心な商売人なら面倒がらずに通うこともするか。 ナポレオン戦争時、ナポレオンに与して美味い汁を吸い にわか貴族にでもしてもらった小金持ちたちが、ナポレオン失脚後、財産を持って逃げ込んだ先がアソス島――という俺の推察は当たっていたらしい。 アソス島は、砂浜がない島だった。 島の周囲は、山が すぐ海に臨んでいる高海岸が ほとんどで、余裕で中型の船を岸につけることもできた。 港に積荷を広げて ちょろい商売を始めた爺さんと その孫に、『1週間後にまた よろしく』と告げて、俺は問題の城に向かって歩き出したんだ。 周囲30キロの小さな島。 目立つ建物は その城しかなく、迷いようもない。 島の住人たちは見掛けぬ余所者に気付いたようだったが、彼等にはそんなものより、中国製の鉄鍋だの最新流行のハンカチだのストールだのを買い逃さないことの方が はるかに大事なことらしく、俺を呼びとめる者もいなかった。 俺が持参したのは数日分の食料と防寒具。 人口数十人の小さな島には、当然ホテルもない。 野宿は平気だが、まずは ねぐらの確保が最優先。 幽霊が出るという城は 案外安全な宿舎かもしれないと考えて、俺はまず問題の城を検分することにしたんだ。 高い尖塔を備えているので島のどこからでも場所のわかる その城は、その姿を見た者に どこか不自然な印象を抱かせる奇妙な石造りの城だった。 200年前に建てられたという話だったが、その当時 既に流行遅れの建築物だったに違いない。 装飾はゴシック様式、構造はルネネサンス様式。 建築主は、あえて古めかしさを求めて(というより不便さを求めて)、その城を建てたのかもしれなかった。 城の居住部分は4階建て。 扉を入ってすぐの1階は、広いホール――正方形のホールだった。 目算で1辺が50メートルほどあるだろうか。 扉を入ってすぐに、廊下も何もなしで だだっ広いホールだ。 盛大な舞踏会を催せるだけの広さはあるが、もし ここで舞踏会が催されたなら、招待客たちは大いに面食らうことだろう。 なにしろ、従僕に到着を告げる場所も コートを脱ぐ場所もないんだ。 身だしなみを整えることも、心の準備をすることもできない。 まあ、そんな心配は無用なことだったろうがな。 この城で舞踏会が催されたことは一度もなかっただろうから。 そもそも この島には、舞踏会に招待できるような紳士も貴婦人もいないんだから。 というわけで、1階のホールだけでも十分 その城は特異だったんだが、ホールの上の2階、3階、4階部分は、もっと おかしかった。 すべての階が、目算1辺25メートルの正方形の部屋が縦横2つずつ並んでいるだけ。 つまり全く同サイズの正方形の部屋が4部屋。 2階も3階も4階も。 呆れるほどの単純構造。 当然、城自体も正方形。 廊下は建物の外側の回廊しかなく、部屋と部屋がすべてぴったりとくっついている。 階と階をつなぐ階段も外階段のみ。 こんな城、他では見たことがない。 気候のいい季節の晴れた日にはいいだろうが、こんな構造じゃ、吹雪の日、嵐の日、部屋から部屋に移動するだけでも一苦労じゃないか。 運び出されたのか盗まれたのかは知らないが、それぞれの部屋に ほとんど家具らしい家具がなかったせいもあって、設計図がなくても、城の全容は 建築素人の俺にも 容易に把握できた。 俺にとって それは喜ぶべきことじゃなかったがな。 城の全容を把握した俺には、この城に隠し部屋を作る隙間がないことが すぐにわかってしまったから。 全く同じサイズの正方形の部屋が芸もなく隙間もなく並んで、更に大きな正方形を作っているだけなんだぞ。 部屋と部屋の間の壁の厚さは均等。 2階と3階、3階と4階の天井(=床)の厚さも 至って標準的なもので、中2階や中3階を作る空間もなし。 廊下も階段も すべて外づけ。 あまりに単純すぎる、その構造。 その単純さが厄介だった。 単純な作りのパズルは、閃きがないと解けないものと相場が決まっているからな。 何らかの固定観念や構え、錯覚に囚われたら最後、実際の迷路ではなく思考の迷路から抜け出せなくなる。 囚われてはいけない固定観念や構えや錯覚が、既に自分の中に構築されてしまったと感じて、俺は少しばかり焦りを覚えたんだ。 少しばかり。 思考の迷路に入り込んでしまったら、それは寝て忘れるのが いちばん。 そうしてリセットされた頭で、視点を変え、新しい解決の糸口を探し出すしかないんだ。 だから俺は、アソス島上陸当日、仕事は早めに切り上げて、さっさと寝ることにした。 さっさと寝ることにしたといっても、城の内部の検分に かなりの時間がかかったから、その時刻は既に深夜といっていい頃になっていたが。 ちなみに、その日、隠し部屋探しに行き詰まった俺に解けた謎が一つだけあった。 それは、アテナが幽霊探しの任務に関して、他の誰でもなく、この俺を指名した本当の理由だ。 この時期、温暖な地中海性気候の島といっても、夜間の気温は4、5度まで下がる。 城には暖炉はあったが、半ば崩れていて使いものにならなかった。 アテナは この任務に就く者を、顔で選んだんじゃない。 寒さに強い者を選んだんだ。 つまり、『寒い』と文句を言えば 面目を失うことになる白鳥座の聖闘士を。 まあ、アテナにしては まともな理由だと、俺は喜ぶべきなんだろうな。 |