アソス島で瞬に出会い、そうして迎えた7度目の朝。 もうすぐ俺を聖域に連れ戻す船が、この島にやってくる。 無論、今日の船に乗らないことはできるが、更に1週間後の船に乗らないわけにはいかない。 1週間後の船に乗らないこともできるが、更に2週間後の船に乗らないわけにはいかない。 俺は、聖域への帰還を永遠に先延ばしすることはできない。 だから、俺は今日 瞬と別れなければならないんだ――。 瞬は、俺たちが共にいられる日々に期限があるとは思っていない。 沖に船が見えてくる。 その船がどういう役目を負った船なのかも知らず、城の回廊から、青緑色の海に姿を現わした船を指差し 無邪気に笑う瞬を見ているのが苦しくて――俺は つい瞬の身体を抱きしめてしまっていた。 そして、そうする以外に何ができるのだというように、瞬の唇に俺の唇を重ね――その時点で、俺は気付くべきだったんだ。 生きている俺が 死んでいる瞬の身体を抱きしめ、あまつさえキスをすることができるなんて、おかしなことだと。 それまで俺は、瞬が幽霊だということを実感したくなくて、決して瞬に振れないようにしていた――瞬に触れたことは一度もなかった。 だが、俺は今、こうして瞬を抱きしめることができてしまった。 瞬の唇が熱い。 おそらく、同じように俺の唇も熱くなっている。 瞬の鼓動が速くなっていく。 おそらく、俺の鼓動も。 幽霊の唇、幽霊の心臓の鼓動が。 一瞬 早く、その不自然に気付いたのは瞬だった。 「氷河、生きてる……生きてるのっ !? 」 「お……おまえこそ……!」 俺たちは二人して、ほぼ同時に、同じことに驚いていた。 そして生まれる長い沈黙。 もしかして これは喜んでいいことなのではないかと、俺が気付いた時、 「ぼ……僕は 生きている人間に見付かっちゃいけないのに……! そんなことになったら、僕は世界を滅ぼしてしまうのに……!」 と、死人か幽霊のように 血の気の失せた白い頬で、瞬は叫んだ。 瞬の周囲を、俺が初めて触れる、だが接し慣れた力が包む。 小宇宙――それは、アテナの聖闘士の生む小宇宙だった。 自分が生んでいる力に気付いた様子もなく、瞬は ただただ怯えた目で 俺を見詰めていた。 やがて、瞬が、俺には まるで訳のわからない言葉を紡ぎ始める。 「生きている人間に見付かってしまったら、僕は死ななきゃならない……。氷河は冥府の王の使いなの? 冥府の王が僕を探してるって――。死後の安寧を約束すると言って、生きている人間たちに冥府の王の配下の印である鎧を与えて、僕を探させてるって、海神ポセイドンの使いだっていう人が言ってた。決して、冥闘士には見付かるなって。氷河は……氷河は、僕を冥府の王のところに連れていくの……?」 瞬は、何を言っているんだ? 冥府の王が、生きている人間に 瞬を探させている――? ポセイドンの使いが、冥闘士に見付かるなと言った? 俺が、瞬をハーデスのところに連れて行く? 瞬は、俺を、まるで死神でも見るような目で見詰めていた。 怯えて――生きている人間が、それから逃げられるはずがないことはわかっているのに、それでも逃げなければならないと思っている眼差し。 瞬が 俺の前から逃げようとする。 一瞬 俺の腕から すり抜けてしまった瞬を、その腕を、俺は もう一度 捕え、掴みあげた。 それでも俺から逃れようと もがく瞬を、手だけでなく、言葉で、その場で引きとめようとする。 「逃げるな! 俺は、そのポセイドンから情報を得た女神アテナの命を受け、おまえをアテナの許で庇護するために、おまえを探しにきたアテナの聖闘士だ!」 瞬にそう言い終えてから、俺は そうだったのだと気付いた。 そういうこと――そういうことだったんだ。 アソス島観光地計画なんてものは、最初からなかったんだ。 最初から すべてが嘘っぱち。 アテナが俺に探し出させようとしていたのは、美女の幽霊ではなく、ハーデスの依り代に選ばれた“生きている人間”。 しかも、アテナの聖闘士。 ポセイドンが なぜハーデスの依り代を この島に隠したのか、そして、なぜ彼が その事実を(おそらくは、この城に隠した事実だけを)アテナに知らせたのかは わからないが――とにかくアテナの目的は最初から 瞬という生きている人間を俺に見付け出させることだったんだ。 見捨てられた城の隠し部屋にあった箱の中身は、壊れた彫刻なんかじゃなく、アンドロメダ座の聖闘士が まとうべき聖衣だった。 「この城の4階が他の階と造りが違っていることはわかっていたけど、それ以上に、何かが壁の向こうから僕を呼んでいるような気がして、僕は この部屋を見付けることができたの」 アンドロメダ座の聖衣櫃の前で呆然としている俺に、瞬はそう言った。 |