12年前。
小学5年生の俺は、正月にもらったお年玉が、予定より5000円少なくて、買うつもりでいたゲーム機が変えないことに焦っていた。
来年のお年玉の前借りを頼んだんだが、母さんは俺の提案を にべもなく却下。
血も涙もない親への抗議のために、俺は家出を決行したんだ。
その時、同じ理由で俺の家出に付き合ってくれたのがスズキだった。
当時 クラスの男子でそのゲーム機を持っていないのは俺とスズキだけで、正月のお年玉で何とかしようと、俺たちは決めていたんだ。
俺たちは、その年のお年玉に 俺たちの命運を賭けていた。
だが、俺たちは その賭けに負けた。
そうして、クラスメイトが全員 持っているものを、自分(たち)だけが持っていないってことの つらさをわかってくれない親たちへの憤りを訴えるための家出を、俺たちは決行したんだ。

予定額に満たない お年玉を手に駅で落ち合った俺たちが向かったのは、半年前 学校のバス遠足で行ったことのある奥多摩。
そこは 人家のない山奥で、都会から すごく遠いところにあり、親たちに見付かりにくい場所――というイメージが、俺たちの中にはあったからだ。
せっかく家出をしても、家の近所に潜伏していたんじゃ すぐに親たちに見付かってしまうだろう。
俺たちの目的は、まず親たちを心配させて、俺たちの つらさを 親たちに訴えることだったからな。
(もちろん、もっと遠いところに旅行に行ったことはあったが、そういうところは行き方がわからなかった)

夏に遠足で来た時は、緑でいっぱいで、谷川の流れも涼やかな綺麗な場所だったんだが――正月2日、当たりまえのことだが、そこは緑の代わりに白い雪が積もっていた。
駅で降りたら、観光客のための案内板があって、そこにいろんなトレッキングコースが記されていた。
時刻は昼過ぎ。
天気は快晴。
都心のキーステーションとは桁違いに小さい駅の待合室で ぼんやりしていても何にもならないし、それで駅員に不審がられることも避けたかったから、俺たちは、言ってみれば時間つぶしのために、 健脚者向けT山コースというのを歩いてみることにしたんだ。

あとで知ったんだが、あの案内板に記されていた各コースは、あくまでも夏場の山歩き用で、スノートレッキング用のコースじゃなかったらしい。
冬場は それなりの経験者でないとコースに入るのを止められるくらい きついコースで、そのコースに挑むには、警察への登山計画書の提出が必要。
正規の手続きを踏んだ経験者たちでさえ、毎年 遭難事故を起こすくらいの難コースだったらしい。
俺たちは、あんまり軽装だったから、近所の子供と勘違いされ、山道に入るのを誰にも止めてもらえなかったんだ。

俺とスズキは、別に難コースの踏破が目的じゃなかったし、何かあったら歩いてきた道を引き返せばいいくらいの甘い考えでいた。
雪なんて、子供には嬉しいものでしかないしな。
その上、予定より少なかったお年玉への怒りが、俺たちの足に力を与えていた。
山に入る人間は俺たちの他に誰もいなかったから、俺たちは大声で 親の吝嗇への文句を言い合いながら、周囲も見ずに ずんずん山の奥に向かって歩いていって――1時間も経った頃、自分たちが道とは言えないところを歩いていないことに気付いたんだ。

あの頃の小学生は携帯電話なんて持っていなかった。
時刻は まだ午後2時前だったんだが、ほんの1時間前には 真っ青だった空は、いつのまにか 陰鬱な灰色に変わっていた。
太陽がどこにあるのかも わからない。
そこにあるのは木と雪だけ。
周囲を見渡して見えるものは、遠くの山と、雪の衣装を身に着けた木々の隙間にある灰色の空だけ。
俺たちの後ろにあったはずの道は、いつのまにか消えていた。

「なあ、もしかして俺たち、どっかでコースから外れたんじゃないか」
嫌な予感に囚われて、そう言った俺に、
「そんな気がする」
スズキが不安そうな目をして頷いてくる。
正直、俺は一瞬 ぞっとしたんだが、その時にはまだ 俺たちはパニックに陥ってはいなかった。
雪の中に残っている俺たちの足跡。
コースを外れてしまったのなら、自分たちの雪上の足跡を辿って元の場所に戻っていけばいいだけだと思っていたから。

実際、俺たちは後戻りを始めたんだ。
が、5分も歩いたところで、俺たちは 俺たちの足跡が消えていることに気付いた。
空は曇っていたが、雪が降ったわけでもなかったのに。
俺たち以外の誰かが歩いて 俺たちの足跡を消したのか、獣が歩いて消したのか。
それとも、俺たちの足跡の上に 風が雪を運んできて、俺たちの道しるべを消してしまったのか。
とにかく、俺たちは、前後左右に似たような木と雪しかない場所で、進むべき方向を見失ってしまったんだ。
ケチな親たちへの怒りの炎が熱くて気付かずにいたんだが、雪の積もっている山の中は、当然のことながら寒かった。
ダウンジャケットのポケットの中にあるのは、駅の売店で買ったチョコレートとガムだけ。
買おうか買うまいか迷って 結局買わなかったメロンパンの色を思い出して、俺は滅茶苦茶 後悔した。

「こういう時って、その場所を動かない方がいいんだっけ?」
「歩きまわると、元の場所がわからなくなるって気はするけど、動かないでると寒いぜ」
「ここで足踏みしながら、誰かが来るのを待ってるのか?」
「それって、間抜けだなー」
その時 俺たちは、自分たちは迷子になっただけなんだと思っていた。
“遭難”なんて言葉はまだ、俺たちの頭の中にはなかった。
雲ってはいたけど、まだ日が暮れていなかったせいで。
日が暮れて 辺りが真っ暗になっていたら、俺たちは確実にパニックに陥って泣き叫び、無駄に体力を消耗してしまっていただろう。
そして、最悪の事態を招いてしまっていたかもしれない。
だが、幸い、俺たちは、その最悪の事態だけは免れることができた。
俺たちが 進むもならず退くもならない状態に追い込まれてから僅か5分後、雪と木しかない その場所に、突然 ものすごい音が響いてきたおかげで。

俺は最初、その音を 雷か雪崩の音だと思った。
だが、雨は降っていないし、空には稲光も生じていない。
大きな音は それきり止んで、俺たちの上に雪が押し寄せてくる気配もなかったから、その音は危険な自然現象によるものではなさそうだった。
スズキは、
「音のしない方に逃げよう」
と言い、俺は、
「でも、音のする方には人がいるんじゃないか?」
と答えた。
スズキが全身を震わせて、ついでに首も横に振る。

「人が あんな音をどうやって立てるんだよ? 怪獣みたいに大きなクマが暴れてるのかもしれないぜ!」
スズキの言うことには一理ある。
俺だって、最初は雷か雪崩の音なんじゃないかと思ったくらいだ。
その音は途轍もなく大きな音だった。
もし あれが人間によって作られた音だったなら――もし そうなら、きっと戦争が始まったんだと、俺はかなり本気で考えた。

「ど……どうすりゃいいんだよ!」
「俺にわかるわけないだろっ!」
ついに俺たちはパニック状態に陥った。
お年玉が 期待していたのより5000円少なかったせいで、俺たちは、動いても動かずにいても死ぬしかない状況に追い込まれてしまったんだ。
その時、また ものすごい大きな音が木々の間に響いた。
どう考えても、何かが爆発した音。
しかも、その音は、さっきより俺たちのいる方に近付いてきていた。

「おい……」
スズキは泣いていた。
俺も泣きたくなった。
いや、その時にはもう、俺も泣いてしまっていたのかもしれない。
でなきゃ、俺はよっぽど恐怖に引きつった顔をしていたんだ、きっと。
俺の顔を見たスズキは、声になっていない声を喉の奥から絞り出して、急に走り出した。
もちろん、音のしない方に向かって。

「馬鹿、スズキ! 戻ってこい! 本格的に遭難しちまったら どうすんだよ!」
三度目の爆音が近付いてくる。
恐くて逃げ出せるスズキの方が、俺より まだ度胸があったのかもしれない。
俺は 自分の居場所を見失って遭難するのを恐れたというより、恐くて動けなかっただけなんだ。
「スズキーっ!」
俺は、スズキの名を叫んだ。
スズキからの答えはなかった。
代わりに、
「そこに誰かいるのっ !? 」
っていう声がして、何かが俺の目の前に飛んできた。






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