思い立ったが吉日。
俺はスズキと会った翌日、さっそく奥多摩の観光協会事務所に出掛けていった。
有難いことに、12年前の俺たちの記録――スズキヒロシとタナカノボルの記録――は、事務所のファイルに残っていた。
ただし、遭難者ではなく、迷子として。
俺たちは山に入ったことになってなかった。
山の麓でうろちょろしていたところを、親切な善意の第三者が不審に思って観光協会の事務所に連れてきてくれたことになっていた。
事務所の事務員が俺たちの家に連絡を入れ、家族が迎えに来て帰宅。
ファイルに残っていた記録はそれだけ。
善意の第三者は、善意の第三者としか記されておらず、どこにもアンドロメダなんて名前は記されていなかった。
俺は、12年前に迷子として この事務所に来た子供で、ふいに昔の記憶が甦り、あの時の親切な人に礼をしようと思い立った――という触れ込みで、協会の事務員に しつこく食い下がったんだ。
だが、個人情報保護の問題ではなく 本当に 善意の第三者の記録は残っていないのだと、その事務員は俺に言った。

出不精の俺が真面目に取材を始めた途端に、計画頓挫。
俺は よっぽど落胆したように見えたんだろう。
窓口で俺の相手をしてくれた事務員は、当時 この事務所でカウンター係をしていたという男(今は課長らしい)を、オフィスの奥から連れてきてくれた。
そして、元カウンター係の現課長は、なんと12年前の出来事を憶えていた。
といっても、俺のことを憶えていてくれたわけじゃなかったがな。

「失礼な話で申し訳ないが、タナカノボルくんのことは憶えていないんだ。しかし、あの日、迷子の小学生を連れてきてくれた人のことは はっきり憶えている。なにしろ、私が出会った中でいちばん綺麗な人だからな。この辺りは東京都下とはいえ、ほとんど手つかずの自然が残っているから、夏場には 女優やモデルがドラマやら何やらの撮影に来て、私は綺麗な女性は見慣れているんだ。だが、あの子は特別だった。あの時の あの子より綺麗な人間を、私は見たことがない。12年経とうが20年経とうが忘れられるもんじゃない。とにかく、目がすごかった。とにかく、目が綺麗で――」
元カウンター係の現課長の その言葉を聞いて、この男が言っているのは あの人のことだと、俺は確信した。
そう。
あの人は目が――本当に、目が綺麗だったんだ。

「その人の名前は憶えていませんか」
「それが……あの時、私は あの子の目に すっかり圧倒されていて、とても詮索できる雰囲気じゃなくてね。今頃 どんな美人になっているのか、会ってみたいもんだが……」
元カウンター係の現課長が、心底 悔しそうに呟く。
そうだな。
あの人が地球人と同じように年齢を重ねる宇宙人だったなら、今頃 どんな美女になっていることか。
俺だって、大いに興味がある。
その姿を、俺は見ることができるんだろうか。
元カウンター係の現課長は 彼女が尋常でなく綺麗だったことしか憶えていないらしく、頼りになりそうになかった。

「俺が迷子になった日に、スズキヒロシっていう俺のクラスメイトも迷子になって、俺とは別の人に ここに連れてきてもらったようなんですが、その人の方は――」
「もちろん、憶えてるわ!」
「あ?」
突然、俺と現課長の間に大声を割り込ませてきたのは、元カウンター係の現課長とは同年代に見える臙脂色のスーツを着た おばさんだった。
「部長……」
元カウンター係の現課長が そう呼んだところを見ると、割り込みおばさんは 現課長の上司らしい。
「あの時、私はハシモト課長と一緒に カウンター業務をしていたもの」
興奮気味にそういう割り込みおばさんは、じゃあ、ハシモト課長より先に部長に昇進したってことか。
元カウンター係のハシモト課長は、おばさん部長の迫力に押されて、脇に寄ってしまった。

「忘れるわけないわ。私は、撮影のために ここにやってくるハリウッドの二枚目俳優を何人も現場に案内したことがあるのよ。でも、どんな有名俳優も、あの時の彼に比べたら月とスッポン、屁でもないわね。そもそも通常モードでの迫力が違ったもの。まだ20歳そこそこ、へたしたら10代――歳はよくわからなかったけど、何ていうか――何度も修羅場をくぐり抜けてきたホンモノの迫力っていうか、緊張感っていうか、存在感っていうか――どれだけ演技力のある俳優にも、あの迫力は出せないわね。口数が少なくて、表情も 終始 冷たい無表情で、本当に血が通ってるのかと疑いたくなるような、まるで作り物みたいに整った顔をしてたけど、とにかく あの迫力がねえ……。見てる こっちの身体を熱くするっていうか、見てるだけで身体に震えがくるっていうか。今頃、どれだけ渋い いい男になってるか、想像しただけで卒倒しそうになるわね!」
「部長……」

元カウンター係のハシモト課長が、部長の熱弁に あっけにとられている。
多分、この おばさん部長、普段はクールな やり手なんだろうな。
やり手のおばさん部長は、ハシモト課長より昇進が早いだけあって、課長が持っていない情報も掴んでいた。
「あの日は、映画やドラマの撮影予定も入ってなかったのに、爆発音みたいな大きな音を聞いたっていう問い合わせが何件かあったのよ。それで翌日、地元の山岳隊の人たちが検分に行ったんだけど、山の東側でスミレの花が咲いてるのを見たとか、これまで凍ったことのない川が凍ってたとか、あり得ない報告があったわね。遭難者はいなかったから、そんなこともあるんだろうってことで片付けられたれど。とにかく、あれほどの美形を見たのは、後にも先にもあの時だけだけど、そんな おかしな報告があったのも、あの日だけだったわね」

花が咲かない季節に花が咲き、凍ったことのない川が凍った。
スミレの花を咲かせたのは、あの人だ。
そして、多分、凍らないはずの川を凍らせたのは、スズキを助けた宇宙人。
その二人のことを、元カウンター係のハシモト課長と元カウンター係のおばさん部長は憶えている。
あの二人は、確かに実在した。
あの日の宇宙人は、俺にだけ見えるものじゃなく、夢の中の人でもなかった。
12年前、あの宇宙人は、確かに この地球上にいたんだ。

それは、俺にとっては重要なことで、この寒い中 わざわざ雪の積もっている東京の西の端まで車を転がしてきた甲斐はあった――と言えるだろう。
さすがに彼等が宇宙人だという証拠は得られなかったが、真冬のスミレの花、凍らないはずなのに凍った川、俺とスズキ以外に宇宙人の目撃者がいること。
すべて有益な情報だ。
しかし、それだけじゃ本にも記事にもできない。
雑誌の穴埋めコラムのネタにするのが せいぜいだ。
今日の取材の成果を喜ぶべきか悲しむべきか。
複雑な気持ちで、俺は宇宙人との遭遇の地を離れたんだ。






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