グラード財団総帥の私邸は、さすがの門構えだった。
犬猫ネズミどころか、薮蚊だって、その大仰さに圧倒されて門前でUターンしてしまいそうなほど。
いても立ってもいられなくなって車を飛ばしてきてしまったが、とてもじゃないが、俺の10年落ちヴィッツなんかが入っていける雰囲気じゃない。
俺は いったん駅前まで戻って 駐車場に車を置いてから、改めて門の脇の詰所にいる警備員に声をかけたんだ。
「タナカと言います。アンドロメダさんに お会いしたい。12年前、奥多摩で 凍死しかけていたところを、アンドロメダさんに助けてもらった者です」
と。

グラード財団総帥に会いたいっていうんじゃないんだ。
もしかしたら通してもらえることもあるかもしれない。
「アンドロメダ?」
30代くらいの警備員は、俺が口にした その名を怪訝に思ったのか、俺を問答無用で追い払うことはせず、屋敷の住人に お伺いを立ててくれたらしい。
そして。
奇跡だ。
俺は、グラード財団総帥の私邸に入ることを許されたんだ。
門を入って正面玄関まで徒歩5分。
その間、俺の心臓は ばくばくしっぱなしで、破裂しないことが奇跡に思えた。

だが、それくらいの奇跡で、俺は心臓を破裂しそうなほど高鳴らせている場合じゃなかった。
本当の奇跡は、そのあとにやってきたんだ。
にこやかに事務的なメイドの案内で通された城戸邸の客間。
そこに現れた俺の宇宙人。
その姿、その瞳こそが、本当の奇跡だったんだ。
俺の記憶の中にある通りに澄み切って綺麗な目。
ああ、この目だ。
忘れられない瞳。
この瞳が 地上に存在することに比べたら、彼女の姿が12年前と少しも変わっていないことなんか、大した奇跡じゃない。

「タナカさんとおっしゃいましたか。僕は、この家に住んでいる瞬という者なんですが、どこでアンドロメダという名を お知りになったんでしょう?」
瞬?
瞬というのが、この人の本名なのか?
「俺は――いや、私は――」
瞬さんに12年前のことを話し始めようとした時、俺は、瞬さんのすぐ横に、氷みたいに冷たい目をした一人の男が立っていることに気付いた。
そいつは 親の仇を見るような目を俺に向けていて――それとも、この男の目は、これで通常モードなのか?
金髪の、一目見ただけで 世界中の男という男が敵認定しそうなほど整った顔立ちの男。
こいつがスズキを助けた宇宙人だと、俺にはすぐにわかった。

「歳をとっていない……あの時のままだ。やっぱり宇宙人……いや、妖精、吸血鬼――」
「は?」
その男の目が恐くて、俺は、俺の宇宙人に言おうとしていたことをすべて忘れてしまった。
瞬さんが、
「あの……できれば、ここにいらした事情を、僕たちに ご説明いただけますか」
と、春に咲く薄桃色の花みたいに やわらかい声と眼差しで俺を促してくれなかったら、俺はいつまでも『宇宙人、宇宙人』と、その単語ばかりを、ディスクが壊れたPCみたいに繰り返していたかもしれない。
瞬さんのおかげで、俺は(どもり どもりしながら1時間もかけて)自分の身の上と12年前の出来事を、なんとか彼女に語ることができたんだ。
俺が語り終えると、瞬さんは、気の毒そうに俺を見詰めて、
「僕たちは宇宙人なんかではなく、普通の人間です。タナカさんの夢を壊したならごめんなさい」
と言った。

「俺は、誰にも言ってません。言いません。本当のことを教えてください。宇宙人でないなら、あなたは何者ですか。真冬に花を咲かせたり、凍らない川を凍らせたり、それに人間離れした跳躍力。あの力は何ですか。どうして、あなたは歳をとっていないんです!」
俺は、このまま この屋敷から追い返されることを恐れていた。
だから、決死の思いで食い下がった。
何の答えも得られないまま この屋敷を追い出されて、二度と瞬さんに会えなくなるくらいなら、いっそ このまま たった今 宇宙船に拉致されてしまった方が はるかにましだとさえ思った。
俺の決死の覚悟に気付いているのか いないのか――瞬さんは困ったように、瞬さんが掛けているソファのすぐ後ろにボディガードみたいに立っている金髪男を振り返った。

「僕、歳とってない? 自分では、それなりに大人になってるつもりなんだけど」
「そうだな。おまえは12年前は可愛いかった。今は可愛いだけでなく綺麗だ」
おい。
俺は二度と地球に帰ってこれなくなることを覚悟して、ここにいるんだぞ。
俺をダシにして、何を言ってるんだ、この金髪男は。
「あなたは僕を温めてくれて、凍え死にかけていた俺の命を救ってくれた。真冬に、咲かないはずの花を咲かせた。あんな力をもっている人間はいない」
「それは……」
言い淀んだ瞬さんの代わりに、俺に答えを返してきたのは 世界中の男の敵である金髪男だった。

「瞬が綺麗だったから、貴様の目には、瞬が花に見えたんだろう」
「氷河、馬鹿なこと言わないで」
この金髪男は、氷河というらしい。
日本語の名前――だな。
「確かに馬鹿なことだ。花なんかより、おまえの方がずっと綺麗なのに、おまえを花と見間違えるなんて、おまえに失礼だ。無礼なことだ」
それは、俺が失礼で無礼だということか?
冗談じゃないぞ。
俺は、瞬さんの崇拝者だ。

俺が むっとしたのを見てとって、瞬さんは慌てたらしい。
金髪男の言を無視して、瞬さんは、俺に にこやかに笑いかけてきた。
「冬にも花は咲きますよ。冬でも花屋さんは開いているでしょう?」
それは、子供をごまかそうとするような理屈だ。
瞬さんは、今では俺より若く見えるくらいなのに、その姿はともかく、内側は やはり大人なのかもしれない。
それなら、それでいいんだ。
瞬さんの目が澄んで綺麗なことに変わりはない。
俺は とにかく、瞬さんに二度と会えなくなることだけが恐かった。
瞬さんの側にいたい。
その気持ちに急きたてられて、俺は少し混乱していたのかもしれない。
瞬さんに、
「あなたは、地球を侵略しにきた宇宙人なんじゃないんですか?」
なんて、訊いてしまったんだから。

「えっ」
一度、大きく瞳を見開いた瞬さんは、
「いやだ。僕たち、ジェダイの騎士じゃなく、ダースベイダーの方なんですか?」
そう言って、花が零れるみたいに微笑した。
笑うと、本当に花なんかに例えるのが失礼に思えるほど、瞬さんは可愛らしかった。
「それは誤解ですよ。僕たちは 歴とした地球人です。そうですね。僕たちは、グラード財団総帥直属の部下で、花を咲かせたのも、川を凍らせたのも、グラードが開発した屋外で使える携帯空調機のテストをしただけなんです。人間離れした跳躍力も、超小型のオーニソプターを使っただけ。開発中の機密事項なので、詳しく お教えすることはできませんが」
「本当に無礼な奴だな。俺たちは正義の味方だぞ。いや、グラード財団総帥のモルモットか」
「……」

そう言われてしまうと――俺は何も言い返せなかった。
それは、確かに あり得ないことじゃない。
瞬さんが歳をとっていないことだって、開発中のアンチエイジング技術の成果だと言われれば、俺は『はい、そうですか』と引き下がるしかない。
「12年前のことは――迷子に出会ったら 誰もが そうすることを、僕たちもしただけ。交番に連れていったら 大ごとになってしまうだろうと考えて、観光協会の力を借りただけです。お礼をしていただくほどのことじゃありませんよ」
瞬さんに 優しく そう言われてしまったら、俺はもう引き下がるしかなかった。
瞬さんに優しい笑顔で送り出されたら、俺はもう城戸邸を辞するしかなかったんだ。






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