「おまえさ、おまえ、顔だけはいいんだから、もう一生、彫刻みたいに何も言わず、何もしないでいろよ。そうすりゃ、おまえは世紀の二枚目で通る。誰にも迷惑かけずに済むし、俺たちも おまえに振りまわされずに済む。いいことだらけだ!」 大声で そう怒鳴りながらラウンジに入ってきた星矢に、紫龍は驚きはしなかったし、何か大変な問題が起きたのかと案じることもしなかった。 もちろん、何らかのトラブルが起きたのだろうことは わかっていたが、そんなことを いちいち気にしていたら、この城戸邸で暮らしていることはできないのだ。 「何だ。氷河がまた何か馬鹿なことをしでかしたのか」 腹を立てることに うんざりした顔の星矢に続いて、星矢の怒声など どこ吹く風の氷河と、困ったような顔をした瞬がラウンジに入ってくる。 紫龍が尋ねると、星矢は、 「馬鹿も馬鹿。大馬鹿」 と、『馬鹿』を3度も繰り返した。 星矢と瞬は、鏡開きイベントに招かれて、今日は朝から星の子学園に出掛けていた。 招かれていない氷河までが 星の子学園に向かったのは、彼が日本の伝統的な風習に興味があったからではなく、単に瞬のあとをついていっただけ。 それは いつものことで、瞬についていった先で、氷河は、これまた いつもの通り 何らかの問題を起こしたのだろう。 紫龍にとって――おそらくは 星矢にとっても、瞬にとっても――それは今更 改めて驚くようなことではなかった。 「星の子学園の鏡開きって、毎年 屋外でやるんだよ、庭に 石を積んで大きな かまどを作って、その上に金網を置いて、正月の餅つき大会でガキ共が丸めて作った餅を焼くんだ。直径5センチくらいの小さな丸い餅。今年も、ガキ共は自分の餅を持ち寄って、金網の上に並べて焼き始めたわけ。そしたら、その餅が 面白いくらい膨れてさ、瞬が大喜びしたんだよ。雪だるまが並んでるみたいで可愛いって。星の子学園のガキ共も はしゃいでさ」 「よかったじゃないか」 「そこまではな。楽しいイベントになるはずだったんだ。氷河の馬鹿が、瞬が喜んでる雪だるま状態の餅をキープして、瞬をもっと喜ばせてやろうなんて、馬鹿なこと考えさえしなきゃ」 「雪だるま状態の餅をキープ?」 「ああ。この馬鹿、そのために、せっかく いい感じで焼けてた餅を全部フリージングコフィンで冷凍保存しやがった! 餅は当然、全滅。ガキ共はショックで ぎゃーぎゃー泣き出すし、俺と瞬は慌ててスーパー行って 切り餅買ってくる羽目になるし、もう散々だったぜ!」 「相変わらずだな」 よくあるレベルのトラブルに、紫龍は 軽く苦笑した――苦笑だけで済ませた。 氷河が引き起こす この程度のトラブルを、その都度 声を張り上げて怒っていたら、喉に支障をきたしかねない。 氷河が問題を引き起こすたびに 毎回 力いっぱい腹を立てる星矢の律儀さに、紫龍は むしろ感心していたのである。 ぷんぷん怒っている星矢の後ろで、瞬ですら困ったように眉根を寄せているだけだというのに。 「まあ、確かに、何も言わず、何もせずにいれば、大抵の男が羨む二枚目でいられるのに、氷河ほど残念な男は 他にはいないだろうな」 星矢の憤怒を静め、彼の喉と脳の血管を保全すべく 紫龍が告げた その言葉は、残念ながら その目的を果たすことはできなかった。 白鳥座の聖闘士のせいで燃え盛っている星矢の怒りの炎に、当の白鳥座の聖闘士が 更なる燃料を投下してくれたから。 「今回のことは悪かったと思うが、『顔だけはいい』とは何だ、『顔だけはいい』とは。まるで俺に顔以外の取りえがないようではないか」 悪かったと思っているのなら、『ごめんなさい』を言うだけにしておけばいいのに、氷河は なぜ余計な一言を追加するのか。 紫龍は胸中で嘆息しながら そう思ったのだが、口にしてしまった言葉を取り消すことはできない。 氷河の余計な一言を聞いた星矢は、再び大声を張り上げることになった。 「顔以外の取りえがないようではないか、だあ? それじゃあ まるで、おまえに顔以外にも取りえがあるみたいじゃないか。顔以外に、何かあんのかよ! おまえに !? 取りえが !? 」 星矢に大声で問い質され、おそらくは その答えを求めて考え込み始めた氷河を見て、紫龍は軽い頭痛を覚え始めていた。 顔以外に取りえはないという星矢の主張に反論するなら、せめて 顔以外の取りえを用意してからにしてくれと、彼は思ったのである。 3分以上考え込んだあげく、出てきた答えが、 「すぐには思いつかないが」 では、星矢でなくても氷河を殴りつけたくなる。 が、星矢は今日は 彼にしては珍しく、実力行使に出る気配は見せなかった。 もちろん、そのまま大人しく戦線離脱することもしなかったが。 「すぐに思いつかないってのは、つまり、顔以外の取りえがないってことなんだよ。たとえば、瞬だったら、すぐに、『優しく清らか』って 長所が出てくるだろ。おまえは考えても出てこない。それどころか、この先1年 考えたって、出てくるかどうか怪しいもんだ!」 『星矢、それは言い過ぎだ』 そう言って、紫龍は、怒れる星矢を 諌めようとしたのである。 彼が そうしなかったのは、彼自身が、顔以外の氷河の取りえを すぐには思いつけなかったからだった。 『氷河に、顔の他に どんな取りえがあるのだ』と問い返された時、その答えを提示することができないのに、言葉が過ぎると星矢を責めるのは不当だろう。 紫龍は、この場は傍観者に徹することしかできなかった。 傍観者ではなく当事者の氷河が、素直に負けを認めず、星矢に反駁していく。 「そう言う貴様はどうなんだ! おまえには取りえがあるというのか !? 」 氷河の反駁は、少々 卑怯なものだったろう。 それは問題の すり替えにすぎない。 そんな氷河に、星矢が即答する。 「もちろん、あるぜ。俺の取りえは『明るい熱血漢』。どうだ。取りえなんて、そんなもの、俺でさえ、すぐに出てくる」 「む……」 “熱血漢”というのは 必ずしも長所美点とは言えないものだろうが、今 この場合は、考え込まなくても すぐ答えが出てきたということにこそ、意味と意義がある。 言葉に詰まってしまった氷河に、星矢は勢いづいて畳みかけた。 「ところが、おまえは、クールってのは掛け声ばっかりで、実際にクールなわけじゃないし、馬鹿やらかして人様に迷惑かけてばっかりいる。おまえをどういう男だと思うかって訊くと、おまえを知ってる ほとんどの人間はまず『マザコン』って単語を持ち出す。どこがいいんだよ、瞬、おまえ、こんな馬鹿たれの!」 「えっ !? 」 まさか ここで自分に話が振られてくるとは、瞬は思ってもいなかったのだろう。 突然 我が身に降りかかってきた災難(?)に驚いたように、瞬は一瞬 その瞳を大きく見開いた。 数秒後、落ち着いた声音で、瞬が問われたことに答えを返す。 「氷河のあれをマザコンっていう言葉で表わしていいのかどうかは判断に迷うところだけど、僕、氷河のマザコンなとこって好きだよ。それって、氷河が人を深く愛せるってことでしょう。とても素敵なことじゃない」 これで星矢の質問に答えることができ、氷河の面目も潰さずに済む。 そう考えて、瞬は、怒れる仲間に そう告げたのだろう。 「瞬……」 自分には思いつけなかった白鳥座の聖闘士の取りえを提示してくれた瞬に 感動感激したように、氷河が瞬の名を口の端にのぼらせる。 しかし星矢は、それで納得することをしなかった。 「氷河に深く愛されてるせいで、迷惑ばっかり被ってるくせに、おまえ、人が好いのも大概にしろよ!」 「それは……その……でも、毎日っていうわけじゃないし……」 「全然 フォローになってねーよ!」 実に全くその通り。 瞬の氷河擁護は、全く擁護になっていなかった。 結局 氷河擁護を断念して 口を閉ざすことになった瞬を見やり、星矢が、大仰に空を仰いで――もとい、天井を仰いで 悲嘆の声をあげる。 「人様の役に立つことは無理でも、せめて この顔だけ男を人畜無害の銅像にできればいいのに、それは女神アテナの力をもってしても不可能なことなんだ! 紫龍、おまえ、なんでアルゴルのメドゥーサの盾を壊しちまったんだよ! あれがあれば、今すぐ この大問題を解決できたかもしれないのに!」 「だからと言って、俺を責めるのか !? 」 星矢の怒りや嘆きは わからないではないが、これでは とばっちりもいいところである。 つくづく氷河は傍迷惑な男だと、紫龍は、自分こそが天を仰いで神に救いの手を求めたい気持ちになった。 が、どうやら その時、神は 天にはいなかったらしい。 神は、突然ラウンジのドアを開けて、青銅聖闘士たちの前に姿を現わした。 「ああ、いたわね、氷河。すぐに客間に来てちょうだい」 突然 ラウンジに現れたグラード財団総帥 兼 女神アテナは、その場に氷河の姿があるのを認めると、妙に慌てた様子で、氷河に客間に来るよう命じてきた。 「沙織さん? どうしたんだよ、そんなに慌てて。もしかして、星の子学園から苦情がきたのか?」 氷河が直近に引き起こしたトラブルがそれだったので、星矢は沙織に そう尋ねたのだが、彼は その言葉を言い終える前に、そうではないだろうことに気付いていた。 メイドではなく、この屋敷の主人である沙織当人が、わざわざ呼びにきたのである。 それほどの大問題を氷河は引き起こしたのだと、星矢は――瞬も紫龍も――考えないわけにはいかなかった。 「それとも、星の子学園とは別件で、氷河の奴、何か馬鹿をやらかしたのかよ?」 「そういうわけではないのだけど……」 氷河が何かトラブルを引き起こしたのだと決めつけている星矢を見やり、沙織は しばし何事かを考え込む素振りを見せた。 やがて意を決したように、唇を引き結ぶ。 「いいわ。あなた方もいらっしゃい。どうせ隠しておけることではないし」 隠しておけるものなら隠しておきたいほどのトラブル。 いったい氷河は今度は何をしでかしたのか。 氷河の仲間たちは、一様に その頬から血の気を失せさせ、全身を緊張させたのである。 大トラブルを起こしたらしい当の氷河だけが、全く緊張感なく、のんきに沙織の指名に首をかしげていた。 |