氷河のクローンに関しては安心できない――という、沙織の不安と懸念は、翌日には早くも現実のものとなった。
氷河のクローンは、早速 彼のオリジナルへの攻撃を開始してくれたのだ。
氷河の仲間たちが――もしかしたらアテナも――思ってもいなかった方面から。

氷河と氷河の仲間たちが 氷河のクローンの存在を知り、氷河が その存在を華麗に無視してのけた翌日、城戸邸にバラの花が届けられた。
真紅の大輪のバラが50本ほど収められた花籠が20。
推定1000本のバラの花で城戸邸のエントランスホールは、即席のバラ園になってしまったのである。
すべての花籠がホールに運び込まれたあと、花の配達人が最後に運んできたのは一枚のカード。
そのカードに記されていたのは、『美しい瞬さんへ』の文字。
そして、贈り主の頭文字らしい二つのアルファベット、『L.L.』。
それがレフ・ロモノーソフのイニシャルであると理解するや、星矢は、むせるほどのバラの芳香のせいではなく、氷河のクローンが花を贈った相手が瞬だという事実のせいで、嫌そうに顔を歪めることになってしまったのである。

「あの あんちゃん、滅茶苦茶 氷河に対抗意識 持ってるみたいだったよな。絶対 何かやらかすだろうと思ってたけど、こうきたかー」
星矢は、氷河のクローンのやりようには不快感を抱いているようだったが、昨日の ごく短時間のやりとりだけで 彼が氷河と瞬の関係に しっかり気付いていたことには、むしろ感心しているようだった。
油断はするなと戒めるように、氷河に発破をかける。
「あいつ、おまえが自分より“恵まれている”のが気に入らないんだな。遺伝子が同じって、どういうことなのか 俺にはよく わかんねーけど、この分じゃ、あのあんちゃん、瞬が男でも気にしないぞ。おまえが執着してる相手だってことが、奴には重要なんだ」
「俺が恵まれて? いや、恵まれているとは思うが、あれの方が、世間一般的には恵まれていると見なされるんじゃないのか? その上、洞察力もあるようだ。狙いが的確だな」
瞬が巻き込まれる事態になれば、氷河も 自身のクローンの存在を無視してはいられなくなる。
実際 氷河は、昨日とは違って今日は、彼を意識していた――彼の行動を無視できずにいた。

「どんなに恵まれていても――ううん、恵まれているからこそ、彼は、自分が誰かのコピーだということに わだかまりを覚えずにいられないのかもしれないね……」
氷河への直接の攻撃なら、迷うことなく氷河を庇い、必要とあれば反撃もできるのに。
おそらくは、この世界で彼以外の誰も経験したことのない複雑な彼の立ち位置。
氷河のクローンが、氷河と親しい人間を使って、彼のオリジナルへの攻撃を始めたこと。
瞬は、自分が どう動くべきなのか、あるいは動かずにいるべきなのか、その判断ができずにいた。
さしあたっては、彼から贈られた大量の花の始末をどうすべきなのかが わからない。
少しも有難いと思っていないのに『ありがとうございます』と礼を返すようなことはしたくはないし、それでは嘘をつくことになる。
瞬は、ホールを埋め尽くしたバラの山を 呆れ顔で眺めている沙織に、困惑顔で泣きつくことになった。

「沙織さん、僕、困ります。この花、どうすればいいですか」
どんな強大な力を持つ敵にも臆することなく立ち向かい、氷河がしでかす どんな突飛な行動も余裕で受けとめるアンドロメダ座の聖闘士の 情けない様子に、沙織は肩をすくめて苦笑した。
「好きにしていいわよ。あなたに贈られてきたものだもの。送り返されても、あちらも困るでしょうし」
「好きにするも何も、僕、こんな花 もらったことがないので、どうすればいいのか わかりません」
「あら。氷河は贈ってくれないの? お花」
「くれますけど、それは可愛いスミレとか、ガーベラとか、薔薇にしても1輪とかで」
「氷河にもらった花はどうしてるの」
「それは押し花にしたり、プリザーブド・フラワーにしたりして、大切にとってありますが……」
「こんな大量の花、押し花にしてもいられないわね。有難味もないし。どう考えたって、この花は、あなたを喜ばせるためのものじゃなく、あなたに自分を印象づけようとして贈ってきた花だもの」
「ていうより、氷河に当てつけるためだろ!」

先程から 敵の攻撃に感心しながら立腹するという器用なことをしていた星矢が、吐き出すように そう言い、沙織は その言葉に何のリアクションも示さなかった。
それが あえてコメントをつけるまでもない真実だと、彼女も承知していたのだろう。
「でも、お花に罪はないから……。このバラたちは、グラード各社の受付に運ばせるわ。お花代が浮いて、経費節減になるわね。ロモノーソフさんには、瞬が、驚いて、困っていたと伝えておきます」
「ありがとうございます……!」
居候の身で邸内の広い場所を私物で(?)占有することを心苦しく思っていた瞬は、それが多少なりとも 沙織の――グラード財団の――ためになると聞いて、ほっと安堵の胸を撫で下ろしたのである。
とはいえ、その場にいる誰一人――瞬を含めて誰一人――これでロモノーソフ氏の攻撃が終わるとは考えてもいなかったが。






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