「沙織さん。いらしていただけて光栄です。私の力というより、父の名で集まってくれた貴紳の方々ですが、この集まりは、グラード財団総帥にも 決して無益なパーティにはならないと思います」
ロモノーソフ氏主催のパーティは夜会ではなく、懇親会の名目で開催されたものだったので、男性はモーニングコート、女性はアフタヌーンドレスを身につけた客が多かった。
学究三昧で こういうことに疎いのか、ごく普通のダークスーツの男性もいる。
主催者であるロモノーソフ氏は さすがにブラックタイだったが、アテナの聖闘士たちも 断固として蝶ネクタイを拒み、平服に近い出で立ちでの出席だった。

来場した沙織を その手にキスをして迎える氷河の姿をした男に、星矢は派手に顔を歪めることになったのである。
日本では、どれほど格式の高い洋風のパーティでも そういう振舞いをする者は、まずいない。
「きっざー。気持ちわりー」
星矢の わかりやすい反応に、紫龍が含み笑いを洩らす。
「おまえは、ああいう氷河がいいんじゃなかったのか。馬鹿をしでかさない、世紀の二枚目」
紫龍の指摘に、星矢は、
「うえー」
の一言で答えてきた。
明瞭な星矢の答えに、紫龍は今度は声をあげて笑うことになったのである。
そうしてから、彼は 低い声で瞬に耳打ちをした。

「瞬。気をつけろ。彼は、おまえが氷河のウィークポイントだということを察しているようだ。おまえを利用することを企んでいるかもしれん」
「僕を利用……って、何のために そんなことをするの」
「自分のアイデンティティを守るために」
「……」
アイデンティティというものは 他者を利用して獲得するものではないし、もし そんなことで獲得実現できたとしても、それは他者の動向に左右される脆いものである。
瞬は そう思っていたが、ロモノーソフ氏は そういう考えの持ち主ではなかったらしい。
紫龍の推察通り、出席者への挨拶を 一通り済ませると、ロモノーソフ氏は 他の招待客を放り出して、早速 瞬につきまとい始めた。
瞬の横に立つ、自分と同じ顔の男を無視して――あるいは、意識しすぎるほどに意識して、当てつけるように。

「瞬さん。いらして いただけて、本当に嬉しい。まさか、こんな小さな島国で、こんなに可愛らしい人に出会えるとは思ってもいませんでした」
“雑務を片付けて、いざ本題”という態度が あからさまなロモノーソフ氏の微笑に、瞬は身体を硬くした。
目も鼻も唇も 氷河と全く同じ、微笑の形さえ 全く氷河と同じだというのに、なぜ こうまで二人の印象は違うのか。
瞬は、それが不思議でならなかった。
氷河と氷河のクローンは、一見 冷やかに見える青い瞳の奥に、熱い情熱のようなものが見え隠れしている様まで同じなのである。
だが、二人は全く違う二人だった。
まもなく瞬は、同じ二人が違って見える原因が、自分の中にあることに気付いたのである。

「お招き、ありがとうございます。でも、僕は場違いのようです」
「そんなことはありません。先日、私があなたのご友人に言った無礼を気にしているのでしたら、謝罪します。劣悪不遇な環境で育っても、その中で誇りを捨てることなく 高潔な人間性を養うことのできる強い人間はいる。あなたは、あなたの お仲間とは違うようだ。目を見ればわかります」
「僕の仲間たちは皆、その強さを持っています」
「その割りには……いや……」
瞬の背後に立つ星矢に一瞥をくれ、鼻で笑ってみせてから、ロモノーソフ氏が わざとらしく言葉を淀ませる。
星矢の顔が険阻になるのを確かめてから、彼は瞬に控室への移動を提案してきた。

沙織は どこぞの私立大学の教授に掴まり、彼の研究への援助の有益性を説かれている。
一瞬 ためらいはしたのだが、他の招待客の耳目のあるところでパーティのホストと言い合いになるような事態を避けたかった瞬は、彼の提案を受け入れたのである。
既に、ロモノーソフ氏と氷河の姿の酷似に気付いている客もいるようだった。
二人が 好奇の目にさらされるようなことになってはならない。
そう、瞬は思った。

同時に瞬は、その時になって初めて、ロモノーソフ氏の真意を疑うことになったのである。
ロモノーソフ氏は、自分が他の人間のクローンであることを余人に知られたくないはずである。
にもかかわらず、彼は、盛大なパーティを開き、そのパーティに氷河を招待した。
彼は、氷河と自分が多くの人間の目に さらされることになる危険を あえて冒したのだ。
モスクワ大学の基礎医学部元学部長という彼の父親の立場を考えれば、ここには その分野の研究者も多く来ているだろう。
そんな人間たちの目に、何もかもが同じ氷河とロモノーソフ氏の姿が映れば、二人がどういう者たちであるのかを疑い始める者も出てくるだろう。
だというのに。

ロモノーソフ氏の中には、もしかしたら自棄の心があるのではないか――。
背筋に冷たいものを感じた瞬は、むしろ率先して、急いで、メインホールを出ようとしたのである。
もっとも、仲間たち以外の人間の目のない場所で、ロモノーソフ氏に 改めて傲慢な態度を示されると、すべては杞憂のような気もしてきたのだが。






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