愛の肖像






おそらく 女神アテナではなく グラード財団総帥 城戸沙織が、瞬を彼女の執務室に呼び、
「肖像画のモデルになってほしいのだけど」
と言ってきたのは、1年で最も寒い季節。
そう言ってきたのが彼女でなかったら、瞬は『この人は、寒さのせいで脳のシナプスが まともに働かなくなってしまったのだろうか』と考えていたかもしれない。
だが、瞬に そう言ってきたのは、グラード財団総帥にして女神アテナでもあるひと。
1年を通して 常に奇天烈なことばかりしている――むしろ、普通のことをしない――沙織の言うこと。
瞬は、彼女の言葉を訝りはしても、驚きはしなかった。
もちろん、それは瞬にとって 嬉しい話でも楽しい話でもなかったが。

「肖像画のモデル? 僕の肖像画を作るんですか?」
「ええ。あなたをモデルにして、氷河の肖像画は描けないでしょう」
「いえ、そういうことではなく」
「でしょうね」
「……」
うまく話が噛み合わない。
沙織の奇天烈な言動には慣れているが、だから 瞬が彼女に調子を合わせられるかというと、それは全くの別問題。
沙織が 何があっても自分の意思を通そうとするように、瞬もまた、常識人としての自らの立ち位置を放棄するつもりは、絶対になかった。
小さく咳払いをして、再度 沙織に問う。

「僕の肖像画なんか作ってどうするんです。肖像画というものは、僕みたいな小市民ではなく、沙織さんのように高い地位にあり、権威ある人が描かせるものでしょう」
現に、この城戸邸の沙織の居間には、彼女の先代のグラード財団総帥 城戸光政翁の堂々たる肖像画が飾られていた。
その隣りに飾られるのは、城戸翁に勝るとも劣らない威厳と貫禄を備えた女性の絵であるべきである。
あの絵の隣りに自らの肖像を並べ置く勇気は、瞬には到底 持ち得ないものだった。

「庶民は 手軽な写真や動画、お偉い方は 肖像画やブロンズ像。そういうものでしょう」
「そういうものかしら? でも、もしそうだったとしても、それで私が死んだりしたら、あなた、困るでしょう?」
「は?」
それは いったいどういうことなのか。
たとえば星矢なら、絵のモデルを務めるために長時間 じっとしていなければならなくなったら 死んでしまうかもしれないが、女神アテナは――グラード財団総帥 城戸沙織も――そういうことは平気の平左だろう。
厳粛な式典で、威厳を保ち着席もしくは起立していることに、彼女は慣れているはずだった。

これはもう、大人しく沙織の事情説明を聞くしかない。
本当は そんな説明など聞かずに すぐさま回れ右をしたいところだったのだが、沙織はそれは許してくれないだろう。
仕方なく、瞬は腹をくくった。
瞬の覚悟を見てとった沙織が にこやかに微笑し、彼女の事情説明を始める。
沙織の事情説明は とんでもないところから始まった。

「1930年頃、ハンガリーのブダペストに、ハンス・キーノーという画家がいたことを知っている?」
「ハンス・キーノー?」
絵画に関して 自分なりの好みはあったが、瞬は決して その分野の造詣が深いわけではない。
せいぜい 一般常識の範疇に収まる画家の名を知っている程度。
キーノーなる画家の名を、瞬は聞いたこともなかった。
「すみません。不勉強で……」
「知らなくても、不勉強ということにはならないわ。美術史家や評論家でも、彼の名を知らない人は多いでしょう。なにしろ、彼の作品は1枚も残されていないのだから」
「は?」

作品が1枚も残っていない画家は、はたして画家と呼べるのか。
それは極めて判断の難しい問題である。
そんなことが許されるのなら、星矢でも画家になれるし、氷河でも作曲家になれる。
「ああ、あなたの疑念はわかるわよ。それが許されるのなら、星矢でも小説家になれるし、氷河でも漫画家になれると思ったんでしょう?」
「……いえ、僕、そこまで荒唐無稽なことは――」
『考えていませんでした』と言おうとした瞬を、沙織の事情説明が遮る。
「ハンス・キーノーは、作品ではなく、エピソードで有名な画家なのよ」
「エピソードで有名?」
ますます 訳がわからない。
瞬は 沙織の説明の腰を多らないために、口をつぐむことにした。
「ハンス・キーノーが素晴らしい才能を持った肖像画家だったことは確かね。もちろん、抽象画ではなく、肖似性が重視される細密肖像画の分野でのことよ」

1930年代といえば、既にキュビズムが一般的になり、ピカソはシュールレアリスムの作品を発表している頃である。
長らく具象がメインだった絵画界に革命が起こり、いわゆる現代芸術が始まった頃と言えるだろう。
写真の技術が飛躍的に発展し、スナップ写真が一般的になって、細密肖像画の価値が最も低下した時代とも言える。
「芸術革命の流れに逆らって、ある意味 流行遅れ。キーノーは決して流行の最先端をいっていた画家ではないわ。でも、彼は本当に素晴らしい肖像画を描く画家だったのよ」

画家の腕は素晴らしかった。
細密肖像画の役目が写真にとって代わられ流行遅れになりかけている時代であったにもかかわらず、ある時、彼の許に大きな仕事が入ってきた。
彼は、ある富豪の妻の肖像画制作を依頼されたのである。
画家は意欲的に、熱心に 富豪の妻の肖像画を描いたのだが、絵のモデルとなった富豪の妻が、肖像画が完成する直前に亡くなってしまった。
それは不幸な出来事だったが、完成した作品は見事なものだった。
次の依頼は、ある銀行の頭取の肖像画。
こちらは無事に完成したのだが、絵の完成の数日後、頭取は亡くなった。
不幸な出来事が続く。
しかし、次の依頼は医者の娘の肖像画だったので、モデルに何かあっても彼女の父親がなにとかするだろうと考え、画家は依頼を受けた。
だが、何ということか。
そのモデルもまた、肖像画の完成直後に亡くなってしまったのである。

こうなると、もはや偶然では済まされない。
もちろん、それは偶然が重なっただけのことだった。
モデルたちの死因は、事故や病気。
画家がモデルたちの死に関与しているとは考えられない。
しかし、素晴らしい肖像画を残して、次々にモデルが死んでいくのである。
モデルたちの死は、彼等の魂が絵に吸い取られてしまったせいだと噂が立ち、画家は 最終的に肖像画を描くのをやめてしまった。

ところが、悲劇は更に続く。
3人目のモデルの死から1年後、彼は ある女性と恋に落ち、彼女と結婚した。
夫が素晴らしい腕を持つ肖像画家だと知った妻は、夫に自分の肖像画を描いてほしいと せがみ、愛する妻の懇願に負けた彼は、1年振りに肖像画の制作を開始してしまったのである。
そして、その絵が完成した数日後、彼の妻は亡くなってしまった。
妻の死にショックを受けたキーノーは、生涯 肖像画を描かないことを亡き妻に誓い、その誓いを守り通す。
彼は 肖像画に関しては天才的な才能を持っていたが、残念なことに、風景画や静物画では凡百の才能しか持っておらず、そのため 彼の許には 仕事の依頼が全くこなくなってしまった――。

「そうして、キーノーは、1938年、困窮の中で死んでいった。彼が最後に住んでいた安アパートの部屋には、クレヨンで描かれた画家の自画像が 一枚残っていたそうよ。彼は自分の人生と画業に絶望し、自分の絵を描くことで 自らを死に追いやったのだろうと言われているわ」
「お気の毒に……」
おそらく、モデルの連続死は偶然の出来事であるに違いない。
だが、あたら才能があったばかりに、モデルたちの死は肖像画に魂を吸い取られてしまったのだという噂が立ったのだろう。
画家自身が、その噂を信じるほどの才能。
そのために、彼が困窮と絶望の中で死んでいったというのなら、これほど不幸なことはない。
そう、瞬は思った。
が。






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