事の発端は、氷河王子のマザコン――もとい、氷河王子が お母様を深く愛していたことでした。 氷河王子は早くに父君を亡くし、僅か6歳で北の国の王位に就きました。 氷河王子のお母様は それはそれは美しい方で、幼い国王の摂政として北の国を治めながら、氷河王子を深く愛し 慈しみ育ててくれました。 氷河王子は、幼な心に、早く大人になって自分の力で国を治められる立派な国王になり、お母様を喜ばせてあげたいと思っていたのです。 その氷河王子が18歳になり、いよいよ本当の国王として親政を始めようという時。 なんということでしょう。 氷河王子の大切な お母様が病気で亡くなってしまったのです。 愛する お母様を亡くした氷河王子の悲しみは、言葉では言い表わすことができないくらい深いものでした。 その上、氷河王子が立派な国王になれば、それを誰よりも喜んでくれるはずだった お母様がいなくなったせいで、氷河王子は すっかり やる気をなくしてしまったのです。 おとぎの世界にある国は、王様がどんなに愚かでも、お后様が悪い魔女でも、虐げられた国民が革命や暴動を起こしたりすることはありません。 ですが、そんな おとぎの国でも 全く やる気のない王様というのは困りもの。 怠け者の王様でも無事に国が治まってしまったら、他の国の王様たちに示しがつきません。 おとぎの世界にある国の王様が みんな怠け者になってしまったら大変ですからね。 そこで、おとぎの世界を治めている いちばん偉い神様は、お母様を亡くして消沈している氷河王子に やる気を出させるため、代わりのお母様を氷河王子に与えることにしたのです。 優しいお母様や一国のお后様が亡くなったら 意地悪な継母や悪い魔女のお后様が登場するのが おとぎの世界の お約束とはいえ、おとぎの世界の神様も いらぬことをしたものです。 お母様を失って嘆き悲しんでいる氷河王子を励まし 力づけるようにと神様に命じられてやってきた氷河王子の新しいお母様は、大層 美しい女性でしたが、亡くなった氷河王子のお母様とは全く違うタイプの女性でした。 いくら美人でも、見知らぬ女性を母と慕えと急に言われたら、それは誰だって戸惑います。 たとえ新しいお母様が、氷河王子の本当のお母様に似たタイプの女性だったとしても、氷河王子は彼女を受け入れることはしなかったでしょう。 だって、氷河王子のお母様は、氷河王子を愛し慈しみ育ててくれた 実のお母様ただ一人だけでしたから。 おとぎの世界の神様が 氷河王子の許に遣わした新しいお母様は、決して悪い人ではありませんでした。 やる気のない氷河王子に やる気を出させるためのお母様が 悪い魔女だったりしたら、話が ややこしくなってしまいますからね。 氷河王子の新しい お母様は、氷河王子の心を慰めようと誠心誠意 努めました。 けれど、氷河王子は 頑なに 新しいお母様に打ち解けようとはしません。 新しい お母様がどんなに優しくしてやっても、氷河王子は ぷいと不機嫌そうに横を向いてしまうばかり。 人の心が わからない神様の やり方もまずかったですが、これは 氷河王子もいけません。 新しい お母様に自分の気持ちを正直に虚心に訴えれば、新しい お母様だって 氷河王子の気持ちを尤もなこととわかってくれたかもしれないのに、それをせず、ただただ冷たく拒絶するばかりだったのですから。 優しい心を持った人に冷たくすることは、おとぎの世界では重大なペナルティになります。 ですから、その後 氷河王子の身に降りかかった試練は、氷河王子の頑なと冷淡への妥当な報いだったということもできるでしょう。 それもまた、おとぎの国の、誰にも曲げることのできない厳格なルールなのです。 神様や妖精の命令には絶対服従の おとぎの国の住人であっても、我慢には限界があります。 ある日、いつまでも冷淡な氷河王子の態度に我慢ができなくなった新しい お母様は、怒りと悲しみに負け、氷河王子に ある予言を与えてしまいました。 その予言とは、『氷河王子は、冥府の王ハーデスの娘以外の者と結ばれることは許されない』という予言。 新しい お母様は、その予言を口にしてしまってから、自分のしたことを深く後悔しましたが、すべては後の祭り。 おとぎの国では、一度 口にしてしまった予言や呪いや誓いは、何があっても なかったことにはできないのです。 それが おとぎの国のルールでした。 そういうわけで。 その時から、氷河王子は、冥府の王ハーデスの娘以外の人間と結ばれることは許されないという運命を背負うことになってしまったのです。 それは、氷河王子の怠惰と冷淡に対して、おとぎの国のルールが定めた 決して変えることのできない運命でした。 おとぎの国のルールにのっとれば、氷河王子はすぐにも 冥府の王の許に向かい、冥府の王ハーデスの娘を妻に迎えなければなりませんでした。 そうしないと、氷河王子の物語が いつまで経っても『めでたし めでたし』にならないからです。 おとぎの国の王子様やお姫様は、自らに課せられた運命に従い、数々の試練を乗り越えて、『そうして、二人は いつまでも幸せに暮らしました』という状況に至ることが、必ず果たさなければならない任務にして義務なのです。 そのためになら、大抵のことは許されますし、かなりの便宜も図られます。 試練が大きすぎて、王子様が その試練を乗り越えることができなかったりしたら、おとぎの世界の物語が、おとぎの世界の外にいる人々に 夢と希望を与えることができませんからね。 そんなことになったら、おとぎの世界の外にいる人々に 夢と希望を与えるために存在している おとぎの世界の存在意義が失われてしまいます。 大事なことは、王子様や お姫様が幾多の試練を乗り越えて、幸せになること。 それができない王子様や お姫様は、おとぎの世界の王子様失格、おとぎの世界のお姫様失格の烙印を押され、未来永劫 人々から 蔑まれ、嘲られることになるのです。 |