さて。
氷河王子に与えられた予言を知らされて慌てたのは、氷河王子自身より、氷河王子と共に育った瞬という侍従でした。
瞬は、氷河王子の幼馴染み。
赤ちゃんの頃に両親を亡くし、北の国のお城に引き取られて、氷河王子とは兄弟同然に育てられました。
本当なら みなしごとして、ろくに着るものもなく、食べるにも事欠く生活をしなければならなかったところを、氷河王子のお母様に哀れまれ、お城で暮らせることになったのです。
瞬は、その恩返しのためにも、氷河王子を幸せな王子様にしてやらなければならないと、いつも思っていました。

おとぎの国の住人の物語は いつ始まるかわかりません。
シンデレラ姫や白雪姫の物語は、優しいお母様が亡くなって 意地悪な継母が姫たちの許にやってきた時に始まりました。
他には、悪い魔法使いが暗躍を始めた時、王子様や お姫様に結婚話が持ち上がった時、仙女や妖精から予言や呪いや誓いが発せられた時等々、いろいろな きっかけがあります。
氷河王子の物語が今 始まったことを知り、瞬は とても緊張しました。
おとぎの国の王子様の物語は、大抵は、予言を実現して恋を成就させるか、不当に奪われた王位を取り戻すことで『めでたし めでたし』になります。
氷河王子も同じこと。
ですから、“氷河王子と冥界の王ハーデスの娘を つつがなく結びつけること”が、瞬の目指す目標目的となりました。

「冥府の王ハーデスの娘以外の人と結ばれることは許されない――それが氷河の運命なの? じゃあ、氷河が幸せになるためには、その予言を何としても実現させなくては」
固い決意を その瞳にたたえて、瞬は、氷河王子に そう言いました。
そんな瞬に、氷河王子が、
「面倒だから いい」
と答えます。
氷河王子の その答えを聞いて、瞬は自分の耳を疑ってしまいました。
それはそうですよね。

「面倒だからいい――って……面倒だからいいって……」
それは、おとぎの国の王子様が口にしていい言葉でしょうか。
いいえ、それは絶対に許されないことです。
おとぎの国の王子様が そんな言葉を口にしたことは、世界開闢以来 ただの一度もなかったこと。
嘘だと思ったら、皆さんが持っている おとぎ話の本を調べてみてください。
そんなセリフを言っている おとぎの国の住人は、せいぜい三年寝太郎くらいのものです(もちろん、三年寝太郎は王子様ではありません)。
にもかかわらず、氷河王子は、おとぎの国の王子様が決して口にしてはならない その言葉を、事もなげに言ってしまったのです。
瞬が、天地が引っくり返りでもしたかのように驚いたのは当然のことでした。

「そんな娘と結ばれなくても、俺は別に困らないからな」
「そういう問題ではなくて……」
氷河王子が その予言を実現しなければ、氷河王子は いつまで経っても『そうして二人は いつまでも幸せに暮らしました』になれません。
予言を実現しなければ、氷河王子は 永遠に予言に縛られたまま、迷宮の中をさまよい続けることになるでしょう。
瞬の頬からは血の気が失せてしまいました。

「会ったこともない女とムスバレたりなんかできるか。とんでもないブスの性悪かもしれないのに」
「姿も心も美しい姫君に決まっているでしょう。そう考える方が自然だよ。神様のお姫様なんだから」
「どっちにしても、マーマじゃないし」
「氷河……」
まるで やる気のない氷河王子を見て、瞬は泣きたくなってしまいました。
氷河王子が、亡くなった お母様を深く愛していたことは、瞬もよく知っていました。
瞬も、氷河王子のお母様が大好きでした。
氷河王子のお母様は 本当に美しくて、そして、その姿以上に美しく優しい心を持った女性でしたから。
ですが、いつまでも お母様の死の悲しみに浸っていては、氷河王子は 永遠に幸せになれません。
氷河王子が幸せになることが、氷河王子の お母様の いちばんの望みだったに違いないのに。
予言、呪い、試練、不幸――そんなふうな様々な事件が起きたにもかかわらず何も行動を起こさないことは、おとぎの国では大変なルール違反でした。

「氷河。そんな やる気のないことじゃ だめだよ。氷河は、この北の国の王子様なんだよ。冒険の旅に出て、幾つもの試練を乗り越えて幸せになるのが、氷河の務めなんだから」
氷河王子の幸福を願って 瞬が口にした言葉が、氷河王子には 情のない言葉に聞こえたのでしょうか。
瞬にそう言われると、氷河王子は 目に見えて不機嫌な顔になりました。
「おまえは、そんなに俺を この城から追い出したいのか!」
「え……?」
やる気のない氷河王子を鼓舞しようと必死に努めていた瞬が、氷河王子のその言葉を聞いて、急に途方に暮れたような目になります。
「氷河、僕を一緒に連れていってくれないの?」
瞬は、氷河王子が その冒険の旅に自分を一緒に連れていってくれるものとばかり思っていたのです。
「うん……?」

瞬の そんな様子を見て、氷河王子は考えました。
お城で やり甲斐を感じない王様稼業をしているのは詰まらない。
決して悪い人ではない新しいお母様に冷たくして その心を傷付け続けているのは、“詰まらない”を通り越して不愉快。
このお城で そんな毎日を過ごしているより、瞬と二人で冒険の旅をしている方が ずっと楽しいに違いない――と。
ちなみに、おとぎの国では、王子様や王様が冒険の旅に出ている間も、国はちゃんと治まっているのがルールです。
そうでないと、王様や王子様が冒険の旅に出ることができず、物語が始まりませんからね。

「よし、一緒に冒険の旅に出よう!」
そんなこんなで、急に張り切り出した氷河王子。
氷河王子の その言葉を聞いて、瞬は ほっと安堵し、そして喜びました。
何の行動も起こさずにいたのでは、氷河王子は決して『そうして二人は いつまでも幸せに暮らしました』に至ることはできません。
氷河王子が冒険の旅に出る決意をしたということは、何はともあれ、氷河王子が 『そうして二人は いつまでも幸せに暮らしました』に一歩近付いたということ。
これで自分は 氷河王子のお母様への恩返しができると、瞬は思ったのです。
まさか、氷河王子が、『冥界なんて 行き方もわからないし、生きている人間が冥界に行くなんて無理なこと。冥界のある場所を探す振りをして あちこち観光旅行しながら、瞬と毎日を愉快に過ごそう』なーんて不真面目なことを考えているなんて、瞬は思ってもいなかったのです。
おとぎの国の王子様が そんなことを企んでいるなんて、常識では まず考えられないことでしたから。
ですが、氷河王子は、その非常識なことを平気でやってのける王子様だったのです。

実は、氷河王子は瞬が大好きで、瞬以外の誰とも結婚しないつもりだったので、予言を実現させることに まるで乗り気になれずにいたのです。
お城を出て 瞬と二人きりで冒険の旅を楽しんでいられるのなら、それが氷河王子の『めでたし めでたし』、『そうして二人は いつまでも幸せに暮らしました』でした。

ちなみに、おとぎの国の王子様は、冒険の旅の間、お金に困ることはありません。
おとぎの国で大事なのは、王子様が どきどきわくわくの冒険をすることであって、旅費をどうやって調達したのかということではないのです。
そんなことを 事細かに語ったって、詰まらない物語しかできませんからね。
ですから、お金の心配はいりません。
おとぎの国の王子様の冒険の旅は、外の世界の家族旅行なんかとは わけが違うのです。

ともかく、そうと決まったら、善は急げ。
その日のうちに、氷河王子は 瞬を伴って 北の国のお城を出ました。
氷河王子は 王子様らしく白馬に乗って、瞬は可愛い栗毛の馬に乗って。
氷河王子は 意気揚々と、瞬は固い決意に満ち満ちて。
二人は冒険の旅に出発したのです。






【next】