冒険の重要ポイントを次々にクリアして、氷河王子の冒険の旅は意想外の進捗振り。
北の国のお城を出て、1日経たないうちにもう、ハーデス城のある場所はわかってしまいました。
これは、ですが、氷河王子には 実に都合の悪いことだったのです。
だって、そうでしょう。
氷河王子は、瞬と二人きりの旅をゆっくり(できれば いつまでも)楽しむために冒険の旅に出たのです。
だというのに、瞬は ほとんど無駄な時間を費やすことなく 幾つもの重要ポイントを極めて効率的に攻略。
こんなことがあっていいのでしょうか。
氷河王子は、まだ一度も観光名所らしいところに行けていません。
美しい花園も、ガラスの山も、不思議なお城も、まだ見ていないのです。
温泉にも入っていませんし、美味しいものだって食べていません。
この調子でいくと、氷河王子は 今から3日後くらいには、冥府の王ハーデスの娘と結婚式を挙げる羽目に陥りかねません。
それは、氷河王子には、とんでもなく不本意なことでした。
それもこれも、瞬が 良いことしかしないせい。
氷河王子は、瞬に不満をぶつけないわけにはいきませんでした。

「瞬。おまえ、もう誰にも親切にするな」
「え?」
「おまえが良いことしかしないせいで、話が とんとん拍子に進みすぎている。少しは話の尺と構成を考えろ。物語には、綿密に考慮された起承転結というものがあるべきなんだ。困難も試練もない冒険譚なんて、出来としては下の下の下だ」
「え……あの……」
そんなことを言われても、瞬だって困ります。
瞬は別に 氷河王子の冒険物語を出来の悪いものにしたくて 良いことをしているわけではありません。
困っている人を助けてあげたいので そうすると、勝手に向こうから良い報いが返ってくるだけなのです。
しかも、ハーデス城は、もうすぐ目の前。
物語の構成をよくするために、困難と試練を求めて、ここで回れ右をするわけにもいかないでしょう。

氷河王子の無理な要望に困ってしまった瞬が、その場で馬の足を止めた時でした。
黒い森の黒い木の陰から 子供が走り出てきて、瞬の乗っていた馬の脇腹にぶつかり、ひっくり返ってしまったのは。
瞬は慌てて馬の背から飛び降り、尻餅をついて倒れている子供を抱き起してやったのです。
「大丈夫? 怪我はしてない? 泣かないで。おうちまで送ってあげるから」
何度も言いますが、そんな森の中から どうして子供が飛び出してくるんだ? なんて、考えてはいけませんよ。
そういうことが普通に起きるのが、おとぎの国なのです。

その子供は、瞬に優しく髪を撫でられると、嬉しそうに、
「お姉ちゃんはどこに行くの?」
と尋ねてきました。
ここで、『子供は そんなこと知らなくていいの』なんて答えたら、おとぎの国の住人失格です。
おとぎの国では、相手を子供と見て軽んじたりするのは ご法度なのです。
『お姉ちゃんじゃなく、お兄ちゃんだよ』と訂正を求めるくらいのことは してもよかったかもしれませんが、瞬は それもしませんでした。
瞬を女の子と見誤る人は、大人でも たくさんいましたからね。
子供に そこまでの慧眼を求めるのは 無理な話だと、瞬は思ったのです。

「冥府の王ハーデスのいるところだよ。氷河が――僕の国の王子様が、冥府の王ハーデスの娘としか結ばれないと予言されたから、冥府の王に そのお願いをしにいくんだ」
瞬が本当のことを言うと、子供はすぐに彼の本当の姿を見せてくれました。
瞬の手の平に載るくらいの小さな妖精。
子供は どうやら、氷河王子の冒険物語の出来をよくするために 困難と試練が必要になっていた瞬を助けるために 地下からやってきた物知り妖精だったようでした。
困っている瞬を助けるために(?)、瞬の手の平の上で、妖精は明るい罪のない笑顔で、瞬にとても重要な情報を与えてくれたのです。
「その予言を実現させるのは無理だよ」
「ど……どうして?」
「だって、冥府の王ハーデスには娘がいないもの」
「えええっ !? 」

物知り妖精から与えられた重大な情報に、瞬は声を失ってしまいました。
そんなことがあって いいものでしょうか。
瞬が 今 欲しかったものは、氷河王子の冒険を出来のようものにするための困難や試練であって、氷河王子の冒険が失敗に終わる保証などではなかったのです。
「そんな……」
自分の務めを果たした妖精の姿が どこかに消えてしまっても、瞬は ただただ呆然としているばかり。
ところが。
そんな瞬の横で俄然 色めきたった男が一人いたのです。
それは、言わずと知れた氷河王子でした。
氷河王子は、心の中で『ハーデス、グッジョブ!』と快哉をあげていたのです。
それはそうでしょう。
実現してほしくない予言が実現不可能だという事実が判明したのですから。
氷河王子は、自分の本心を おくびにも出さず、沈痛な面持ちを作って、呆然としている瞬に言いました。

「では、すべては無駄ということだな。冥界に行くのは やめよう。実現できない予言は無効だ。冥界に行くのはやめて、観光名所巡りはどうだ? 二人でゆっくり温泉につかるのもいいな」
「そんな……。どうしよう」
欣喜雀躍の氷河王子とは対照的に、瞬は呆然自失したまま。
氷河王子は、そんな瞬の様子に 少なからず傷付いてしまいました。
おとぎの国の住人らしくなくルールを無視しがちで 怠け者の氷河王子でも、傷付くことはあるんですよ。
お母様亡き今、氷河王子にとって大切な人は瞬一人きり。
その瞬が、氷河王子と他の女性が結ばれないことを悲しんでいるのです。
氷河王子だって、もちろん傷付きます。
傷付いて――氷河王子は、苦渋をにじませた声で瞬に尋ねました。

「瞬。俺はおまえが好きなんだ。おまえといたい――いつまでも、おまえだけといたい。なのに おまえは、そんなに俺と他の女をくっつけたいのか」
「ぼ……僕の望みは氷河が幸せになることだよ」
「俺の幸せは、おまえといることだ。おまえは、俺が嫌いなのか」
「そんなこと、あるはずないでしょう。僕は氷河が大好きだよ。でも、氷河の幸せは、氷河に与えられた予言が実現することで、僕は 氷河の幸せに関係のない人間なんだ。そう思うから、つらくても一生懸命 我慢して……。氷河、どうして そんな意地悪なこと訊くの……」

瞬は――瞬も、本当はずっと我慢していたのです。
自分の幸せより、氷河王子の幸せの方が大事だから。
氷河王子に幸せになってほしいから。
なのに、そのことを氷河王子に責められて――瞬の瞳からは ぽろぽろと幾つもの涙が零れ落ちてきてしまいました。
瞬は悲しくて泣いているのに、その涙は、氷河王子をとても喜ばせるものでした。
「そうか! おまえも俺を好きでいてくれるのか!」
氷河王子の幸せ。
氷河王子は今、とても幸せでした。
氷河王子が幸せになるためには、予言も魔法も必要ありませんでした。
氷河王子の大好きな瞬が 氷河王子を好きでいてくれさえしたら、それだけで、氷河王子は おとぎの世界で いちばん幸せな王子様だったのです。

瞬の本当の気持ちを知ることができた氷河王子は、瞬の涙を止めるために、瞬の身体を抱きしめようとしました。
ところが。
何ということでしょう。
こんなに近くにいるのに――瞬は氷河王子の目と鼻の先にいるのに――氷河王子は瞬を抱きしめることができなかったのです。
「なにっ !? 」

いったい何が起こったのか。
訳がわからないまま、氷河王子は、試しに もう一度 瞬の髪に そっと右の手をのばしてみました。
普通に触れることができます。
けれど、瞬の身体を抱きしめようとすると――つまり、恋の情熱を たぎらせて、その情熱の発露である行為として瞬を抱きしめようとすると、二人の間に 見えない空気の壁ができてしまったかのように、氷河王子は瞬を抱きしめることができないのでした。
この事態に直面して、氷河王子は、自分に与えられた予言の内容を 改めて思い出したのです。

『氷河王子は、冥府の王ハーデスの娘以外の者と結ばれることは許されない』
要するに、そういうこと。
氷河王子が瞬と結ばれようとして 瞬を抱きしめようとすると、氷河王子は瞬に触れることができないのです。
おそらく、一生。
『氷河王子は、冥府の王ハーデスの娘以外の者と結ばれることは許されない』という予言がある限り。
氷河王子は、真っ青になってしまいました。

瞬が側にいてくれればいい。
いつまでも二人が一緒にいられればいい。
それが氷河王子の望みでした。
ですが、氷河王子は男。
おとぎの国の住人でも、男はやっぱり男なので、できれば 恋人と一緒に眠って 気持ちよくなりたいという希望(欲望とも言う)が、氷河王子の中にはありました。
それで、瞬も同じように気持ちよくなってくれたら、氷河王子は 相当、かなり、ものすごーく幸せになれるでしょう。
けれど、その幸せは、あの予言が効力を持っている限り、叶うことのない幸せなのです。
予言を無効にできるのは、おそらく冥府の王ハーデスだけでしょう。
氷河王子にその予言を与えた氷河王子の新しいお母様は、ごく普通の――あらゆる意味で、ごく普通の――人間にすぎませんでしたから、予言を無効にする力を持っているとは考えられませんでした。

こういう時、普通の人間はどうするでしょう。
普通の人間は、多分きっと、10人中9人までが――いいえ、10人中9.9人までが――恋の成就を諦めてしまうことでしょう。
けれど、氷河王子は おとぎの国の王子様。
氷河王子は、『そうして二人は いつまでも幸せに暮らしました』に至ることを至上義務とする、おとぎの国の王子様でした。
神であるハーデスなら予言を無効にすることができる。
ならば、冥府の王ハーデスに そうさせればいいだけのこと。
そう考えるのが、おとぎの国の王子様なのです。

「よし。冥府の王ハーデスのところに行くぞ!」
氷河王子は、ほんの一瞬も躊躇することなく、そう決意しました。
今度は『面倒だから いい』なんて、考えもしませんでした。
当然です。
この冒険が成るか成らないかに、氷河王子の幸福が――氷河王子の本当の幸福が――かかっているのですから。
氷河王子は、初めて本気で やる気になりました。
互いに愛し合っていることがわかっているのに、抱きしめ合うことができないなんて、冥界の灼熱地獄で焼かれるよりつらいことです。
そして、本気を出すと、氷河王子は、実は なかなかに できる男でした。
予言を実現させることは不可能と知らされた途端 すっかり気落ちして、平生の気弱で控えめな人間に戻ってしまった瞬を励まし 力づけながら、氷河王子は 今度こそ本気で、彼の冒険に挑み始めたのです。






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