瞬に、女帝からの呼び出しが かかったのは、それから4日後。
任務遂行に熱心な瞬は、女帝との謁見の翌日以降 毎日 宮殿に赴いて、男子にも女子にも見えない姿を活用し、宮殿内の様々な立場の人間に近付いて 他愛のない話をしながら、『最近、宮廷で何か変わったことはありませんか?』と訊いてまわっていた。
もしかしたら、その行動を女帝に不審に思われたのかと案じながら、瞬は氷河と共に女帝の私室に向かったのである。
『この宮廷で何を嗅ぎまわっているのか』
てっきり そう下問されるものとばかり思っていたのに、氷河と並んで女帝の前に立った瞬への女帝の質問は、
「そなた、本当に男子なのか」
というものだった。

「は……はい」
「近う」
「え……あの……はい……」
もちろん、女帝の命令に従わないわけにはいかない。
だが、だからといって、新参の異邦人である自分が 一国の王の至近距離にまで近付いても構わないのか。
ロシアの宮廷の作法では、どうなっているのか。
横目で氷河の顔を窺い見ると、これは氷河にも初めて出会う事態らしく、彼は怪訝そうに眉をひそめているだけ。
しばし ためらってから、瞬は 恐る恐る女帝の命令に従ったのである。
新参の異邦人が女帝に危害を加えるようなことさえしなければ、少なくとも それが大きな問題になることはないだろうと考えて。

5、6歩 前に進み出て、ビロード貼りの長椅子に 気怠げに上体を預けている女帝の前に立つ。
手をのばせば、異邦人は女帝に触れることができてしまう――と 瞬が案じた時、瞬に向かって手をのばしてきたのは女帝の方だった。
女帝は、瞬が身に着けている絹のシャツの胸元を鷲掴みにするや、力任せに、そして一気に、その手を下方に引き下げた。
「えっ」
音を立てて、瞬のシャツが破け、ウエストコートのボタンが弾け飛ぶ。
そうして、瞬の胸は 女帝の前に さらけ出されることになった。

あまりのことに呆然としている瞬を、倦怠感を消し去った鋭い目で 女帝が凝視してくる。
声をなくしていた瞬に、女帝は やがて、
「あとで、代わりの服を与える。……本当に男子か」
と、低い声で呟いた。
やはり、どこか不機嫌そうな声で。
その事実を確かめても、女帝は性別未分化の異邦人が気に入らないらしい。
「陛下。あの……」

自分は女帝に少女なのではないかと疑われていたのか。
だから 女帝は 自分が気に入らない様子だったのか。
だが、だとしたら、少女ではないとわかっても、女帝が不機嫌なままでいるのは なぜなのか。
一国の支配者――それも、老境には ほど遠い女性の君主が、自分こそが宮廷の第一人者でいたい、自分こそが宮廷内で最も美しい女性でいたいと望む気持ちは わからないでもない。
否、わかるわけではないが、そういうこともあるだろうとは思う。
しかし、女帝は1709年生まれ、既に33歳。
その半分の歳の瞬は、たとえ少女であっても、南欧の田舎から出てきた ただの小娘にすぎない。
大国ロシアの女帝が、我が身と比べる価値もないような ちっぽけな存在である。
女帝が自分に向ける敵意――敵意だろう――の理由が、瞬には皆目 見当がつかなかった。

「身に着けているものにピンク色のものはない。服も、靴も、アクセサリーも。しかし、ピンクだ。そなたはピンク色をまとっているように見える。ピンクは、女の魅力を引き出す色――男装した少女なのかと疑ったのだが、そうでもないようだ。では、なぜピンクに見えるのだ? なぜ、私の帝位が盤石のものになりかけた今になって、そなたは 私の前に現れたのだ……?」
「……」
彼女は、アンドロメダ座の聖闘士の聖衣のことなど知らないはず。
聖闘士の小宇宙を感じ取ることもできないはず。
にもかかわらず、彼女は 新参の異邦人の上に その色を見い出しているらしい。
アテナの聖闘士の目で見れば、女帝は 間違いなく普通の――ただの人間である。
では、彼女は、小宇宙とは無関係な印象の話をしているのだろうか。
そして、彼女は、ピンクという色を愛しているのか、憎んでいるのか。
強大な権力を持つ ただの人間の考えが、瞬には 本当に理解できなかった。






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