アウストラシア王国とネウストリア王国。 200年の長きに渡って戦争と和平を繰り返してきた二つの王国が ついに一つの国になったのは、両国の王と国民が 戦いの空しさと平和の尊さを知るに至ったからではない。 ある一人の優れた将軍の登場によって、アウストラシア王国が軍事的戦略的に圧倒的優位に立ち、ネウストリア王国軍を完膚なきまでに叩きのめし、ネウストリア王国という一つの国を この地上から消し去ってしまったからだった。 ネウストリア王国の滅亡が確実になった、アウストラシア軍とネウストリア軍の最後の決戦。 ネウストリア軍を敗走させたアウストラシア軍の将軍は、崩れ落ちかけたネウストリア国の王城で一人の子供に出会った。 兵士も家臣も 宮廷に侍っていたのだろう貴族たちも――大人と呼べる姿を持った者は亡骸しかない王城。 どう見ても召使いのものとは思えない きらびやかな衣装を身に着けた子供。 宮廷に伺候していた貴族の子供か、もしかしたら王家の一族、へたをすると滅亡が確定したネウストリア王国の王子。 アウストラシア国の将軍が その子供の命を奪わず自国に連れ帰ったのは、親と幸福を失った美しい子供への哀れみゆえだったのか、あるいは その子供を いずれ何かの機会に利用できると考えたからだったのか、それはわからない。 その訳を、将軍は誰にも語らなかったから。 ネウストリア王国を滅ぼした将軍が、崩れかけたネウストリア国の王城で、身分卑しからぬ男子を拾い、アウストラシア国の自分の城館に連れ帰った。 それだけが確かな事実である。 アウストラシア国王をネウストリア王国との200年の確執から解放した、アウストラシア国王の信任も厚い将軍には、アウストラシア王国の王女を母とする二人の息子がいた。 兄を一輝、弟を瞬という。 兄はアウストラシア王国の将軍である父の跡を継ぐにふさわしい胆力を備えた 強く たくましい少年。 弟の方は、アウストラシア王国一の美姫と謳われた母親の美貌と優しい心だけを受け継いでしまったかのように大人しく穏やかな少年。 将軍は 早くから、長子である一輝に 自らの伯爵位と将軍職を継がせるつもりでいること、弟である瞬は軍人にするつもりのないことを、周囲の者たちに明言していた。 とはいえ、だからといって、将軍が彼の次子を愛していなかったわけではない。 彼は、美しく優しい心を持った妻を愛しており、その妻の美質を受け継いで 花のような風情を持つ次子を、長子への期待とは違う心で愛していた。 将軍の長子も、父親の厳しさとは異なる優しさで我が子を包んでくれる母を愛し、その母同様に優しい心を持つ弟を、自身が守るべき大切な肉親として深く愛していた。 彼等の妻であり母である人が病で亡くなると、瞬に対する彼等の愛情は一層深く強くなっていったのである。 ネウストリア王国が この地上から消滅した時、将軍の長子は10歳、弟は6歳。 この頃、最大の対立国ネウストリア王国を滅ぼしたとはいえ、アウストラシア王国には、ブルグント王国、アキテーヌ王国、ブルターニュ王国等、利害が一致せず対立している周辺国が幾つもあった。 実際に戦闘が行われていなくても、そういった国々に周囲を囲まれているアウストラシア王国の国境付近は常に緊張しており、将軍は常時 各戦線を巡っていたのである。 長子が10歳になったら、将軍職を継がせる教育・鍛錬のために、息子を伴って各戦線の転戦を始めると、将軍は宣言していた。 将軍がネウストリア王国の孤児を拾ってきたのは、まさに その年だった。 アウストラシア王国の防衛を主たる務めにしている将軍が家族のいる城館に帰ってくるのは、もともと年に1、2度。 母が存命の頃には 母と兄と、母を失ってからは兄と、父の城で日々を過ごしていた瞬は、その時が来るのを恐れていた。 父が彼の任務に兄を伴うようになれば、年に1、2度しか帰ってこない家族を、瞬はたった一人で広い城で待っていなければならなくなってしまうのだから、瞬が その時の到来を恐れ、心細く思うのは当然のことだったろう。 瞬は、生まれて この方、孤独というものを知らない幸福な子供だったのだ。 とはいえ 瞬は、父や兄に対して『僕を一人にしないで』と すがることができるほど 幼く我儘な子供ではなかったし、実際 瞬は そのようなことはしなかった。 が、いつも一緒だった兄から引き離される事態を 瞬が不安に思い 寂しがっていることは、誰の目にも明々白々。 瞬の父や兄はもちろん、将軍の城に詰めている使用人たちも、そんな瞬の身を(むしろ心を)案じていた。 将軍は、最初からそのつもりでいたわけではなかっただろう。 彼は、そのつもりで ネウストリアから孤児を拾ってきたわけではなかった。 そうではなく――何も言わずに これから始まる孤独の日々に耐えようとしている小さな息子の健気な姿を見て、将軍は そうすることを思いついたのだ。 兄の不在中、孤独に慣れていない瞬の心を慰めるために、ネウストリアから連れ帰った孤児を瞬に与えることを。 将軍が連れ帰ったネウストリア国の孤児は、一輝より年下、瞬より年上。 兄の代わりとして、瞬の遊び相手を兼ねた身辺警護を務めさせるには、ちょうどいい年頃だったのだ。 滅ぼされた国の生き残りの子供を――子供の名は氷河といった――、滅ぼした国の将軍の息子の側に置くのである。 将軍の中に、迷いや危惧がないわけではなかっただろう。 ネウストリア王国が滅びた時、氷河は8歳前後。 物心は とうについており、ある程度の事情がわかる歳である。 自分が、滅ぼされた国の民であること、自分が連れてこられた国が 自分の故国を滅ぼした国であること、その国に自分を連れてきた男が 自分から故国や近親を奪った男だということ、瞬が自分の仇の子だということ。 氷河はすべてを承知し、理解しているに違いなかった。 敵国で、自分の幸福を奪った親の仇の城で、その息子の遊び相手になり護衛をすることを命じられた子供の心は どう動くのか。 諦観と絶望によって卑屈になるか、怒りを忘れることなく復讐を企むのか、あるいは 前向き かつ建設的に故国の再興を考えるのか。 それは、誰にもわからないことだった。 氷河をそういう境遇の中に放り込んだ将軍自身にも。 ただ、彼は、氷河が瞬に対して 憎しみや復讐心を抱くことだけはあるまいと思っていたのである。 花のように優しい風情と、花よりも優しい心を持つ瞬。 瞬は、冬の氷雪のような心を持つ者も、夏の嵐のような心を持つ者も――どんな人間の心も、暖かな春の微風のように和ませてしまう子だったから。 とはいえ、その推察が楽観的な希望にすぎない可能性も、彼は考慮に入れていた。 氷河が復讐心を抱くことがないように、将軍は、氷河の待遇に それなりの配慮をした。 王ならぬ身の将軍には 氷河に何らかの身分を与えることはできず、その身分は当然 召使いにしておくしかなかったが、それ以外のものは――着るものから食事、教育まで、瞬に見劣りしないものを氷河に与える手配を、彼は為したのである。 普通に貴族の子弟で通るような待遇を、将軍は氷河に与えたのだった。 将軍は決して、氷河から故国や親や幸福を奪った罪悪感や負い目に突き動かされて そうしたわけではなかった。 罪悪感や負い目を抱く義理も義務も、彼にはない。 彼は、アウストラシア王国を守るために そうすることが必要だった――つまり、それは彼の仕事だったのだ。 運命が少し違っていれば、二人の立場は逆になっていたのかもしれない。 将軍にそうさせたのは、むしろ、瞬から兄を奪う負い目だったろう。 兄の代わりにはなれないだろうが、兄の代わりに瞬を守り、瞬の寂しさを紛らせる務めを課した者に、それなりの待遇を与える。 氷河には それは無理に押しつけられた意に沿わない仕事であるかもしれないが、ネウストリアが滅ぼされた時に殺されていても当然だった子供には過ぎた報酬。 将軍の認識は、その程度のものだった。 |