それは、見ようによっては、一輝の失策、彼の迂闊ということができるかもしれない。
氷河の身の程知らずの振舞いに激怒し、氷河の追放を嘆く瞬を慰めることに気をとられた一輝が、功名心の強い軽率な王が再び軽率な無謀を考えぬよう 適切な予防策を講じなかったことは。
一輝は戦地に戻る前に、慎重で発言力のある側近を王につけておくべきだったのだ。
にもかかわらず、瞬の嘆きを和らげる方策をあれこれと講じることに手一杯で、一輝はアウストラシア国王の監視監督のための環境を整えることをしなかった。
それがアウストラシア王国を――ひいては伯爵家を――想定外の窮地に立たせることになってしまったのである。

軽率な王を厳しく監視し、時には諫言することもできる侍従が近辺にいない状況で、アウストラシア国王が またしても功名心に逸り、無謀な計画を立てることになったのは、一輝が彼の城から氷河を追放して1年近くが経った頃。
一輝が国境線でアキテーヌ軍との小競り合いに対応している時だった。
アウストラシア国王は、よりにもよって アウストラシア王国の周辺国の中で最も軍備軍律が充実しているブルグント軍に対して、王城常駐の衛兵隊を率い、戦いを挑んでいってしまったのだ。

1個中隊、僅か300の兵で、もしアウストラシア国王がブルグント軍の兵を10人だけでも傷付けることができていたなら、アウストラシア国王は確かに 豪胆な王という評価を得ることができていただろう。
だが、実際には、戦知らずの王が率いた部隊は、敵軍の歩哨一人倒すことができず――それどころか、兵たちに剣を構え 弓を引かせることすらできぬうちにブルグント軍に包囲され、アウストラシア国王と王の率いる1個中隊が丸々、ブルグント軍に捕えられてしまったのである。
戦闘に及ぶこともなく、無傷で全員が敵軍の捕虜。
これほど軽率で無謀な国王は 生かしておいた方が自国の益になると考えたのか、ブルグント王国は、アウストラシア国王と彼が率いていた部隊の返還をアウストラシア王国に申し出てきた。
もちろん多額の身代金・賠償金と引き換えに。
その交渉の場で、アウストラシア王国の大使は ブルグントの者たちに失笑を浴びせかけられ、また、多大な同情を寄せられたという。

失笑王の身代金と賠償金は、それこそ失笑するしかないほど莫大で、そのためアウストラシア王国の国庫からは その3分の2が失われた。
それでも国王は取り戻されなければならない。
しかし、それではアウストラシア王国の運営が成り立たなくなる。
ちょうどアウストラシア国内では、一輝発案による例の通信機関が整備され、そのために多額の予算がつぎ込まれたばかりだった。
一輝は、アウストラシア国王の軽率を知りながら善後策を講じなかった自身の不手際にも責任を感じ、アウストラシア王家より富裕といわれた伯爵家の財で、王の身代金と賠償金を肩代わりしたのである。

王は さすがに自らの軽率を反省したようで、今後一切 自分の一存で軍兵を動かすことはしないと、一輝に誓ってくれた。
が、そんな誓いは腹の足しにもならない。
一輝は、さしあたって伯爵家の今後の運営をどうするか、そのための策を考えなければならなかった。
アウストラシア王国の国庫の3分の2を空にするほどの身代金 賠償金は、王家より富裕といわれた伯爵家にも その存亡を左右するほど大きな負担だったのである。
城を売り、使用人を減らし、伯爵家の私兵からなる部隊を解散――。
一輝が そこまでの犠牲を考え始めていた時、思いがけず アウストラシア国王から 肩代わりしてもらった身代金と賠償金を全額 伯爵家に返還することができそうだという知らせが届いた。

それは一輝には願ってもないことだったが、しかし、今のアウストラシア王国には そんな余裕はないはずである。
訝った一輝が 国王に金の出どころを確認すると、先代将軍に恩義のある外国人の富豪が 伯爵家の窮状を聞きつけ、個人的に無償で資金の供与を申し出てくれたのだという。
国でなく個人――それほどの財を持つ個人がローマ教皇以外にいるとは思えなかった一輝は、ぜひ その奇特な人物に直接会って礼をしたいと王に告げ、王は それはもっともなことと言って、二人の対面の場を設けてくれた。
その体面の場に現れた、個人的にローマ教皇並みの財を持つ外国の富豪。
それは、あろうことか、1年前、一輝が伯爵家の城から追放した召使い――以前の明るさをすっかり失ってしまった瞬が今でも帰りを待ち続けているネウストリアの孤児だった。






【next】