アウストラシア王国一の権勢を誇る伯爵家の当主と、僅か数日前にできたばかりの子爵家の当主の決闘。 その当日の朝。 決闘を申し込んだ伯爵は、彼の城で、彼の決闘相手の訪問を受けたのである。 生意気な元召使いは、かりそめの貴族の身分を かさにきて、あろうことか 堂々と正門から騎乗で一輝の城に乗り込んできた。 「貴様の尽力のおかげで、正門から この城に入る権利を得ることができたので、早速 その権利を行使させてもらった」 皮肉の色の感じられない――むしろ、感謝の響きを帯びた――氷河の口調。 氷河は帯剣してはいなかったのだが、一輝は、武器を携えた客人を招き入れる客間に彼を通したのである。 まさか実際に貴族になって、やっと本来の自分の立場を思い出し 謙虚になったわけでもないだろうが、氷河は、まるで主人の指示を待つ召使いのように客間の扉の脇に立ったまま、そこを動こうとしなかった。 「何の用だ」 不機嫌を極めた声の一輝の詰問に、傲慢の響きのない声で、氷河は謝罪の言葉を返してきた。 「先日は、無礼な口をきいて すまなかった。誤解しないでほしいんだが、俺は別に貴様を恨んではいないし、貴様の行動を非難するつもりもなかったんだ。貴様のしたことは、その立場と地位を考えれば、実に真っ当なことだ。自分の益より 国の益を考え、自分の心を殺して、貴様が国のために務めていたことも、俺は知っている。そんな兄を、瞬が誇りに思っていることも。貴様は、1年前、俺を殺すこともできたのに、そうしなかった――」 「……」 この国の元帥を激怒させ 決闘を決意させた時とは 打って変わって しおらしい氷河の言葉。 一輝は、そんな氷河の態度を 思い切り怪しむことになった。 「貴様、決闘当日になって、怖気づいたのか。今更 俺をおだてても、決闘は取りやめんぞ」 「そうではないが、貴様に決闘に出てこられては困るんだ。俺は瞬を泣かせたくない。瞬!」 突然、その場にいない瞬の名を呼んだかと思うと、その身を翻して、氷河が廊下に出る。 いったい何が起こったのか、にわかに理解できないまま その場に棒立ちになった一輝の耳に、扉の向こうから、 「兄さん、ごめんなさい!」 という瞬の声が飛び込んできた。 「瞬 !? 」 事情を問い質す間も あらばこそ。 客間の扉の陰で 瞬が氷河の合図を待っていたらしいことに 一輝が気付いた時には既に、客間の扉は瞬の手によって閉じられ、施錠されてしまっていた。 「瞬、何をする !? 」 この客間は、もしかしたら敵かもしれない訪問客を通す部屋。 窓には鉄格子が、一見 木製に見える扉にも 鉄板が嵌め込まれている。 万一の時には 賊を閉じ込める牢になる部屋――に、一輝は、氷河と瞬によって閉じ込められてしまったのだ。 「瞬! 氷河! どういうつもりだ!」 扉に向かって 一輝が怒声を叩きつけると、鉄板が仕込まれた扉の向こうから、氷河の答えが返ってきた。 「半月前、この国に帰ってきた時、俺は この城に 正門から入ることはできなかったので、荷馬車用の通用口から忍び込ませてもらったんだ。そして、瞬と一緒に、事を荒立てずに、俺たちが二人でいられるようになる方法を考えた」 「なにっ」 では これは瞬と氷河が二人して企んだことだというのか。 二人は この無謀の共謀者同士だというのか。 だが、こんなことをして、いったい何になるというのだ――。 言葉にはしなかった一輝の疑念への答えは、再び扉の向こうの氷河から返ってきた。 「貴様を侮辱して、決闘に持ち込む策を考えてくれたのは、瞬だ。俺もいい策だと思った。俺を叩きのめすためになら、貴様は俺に貴族の身分を与えることさえ辞さないだろう。おまえは、決闘で俺を殺してしまえば、後に面倒は残らないと考えるだろうと思った」 氷河がアウストラシア王国の元帥を言葉を尽くして侮辱したのは、では、氷河がアウストラシア王国の貴族の身分を手に入れるためだったのか。 そして、その策を考えたのは瞬――アウストラシア王国元帥の弟だった――と? 春の野に咲く花のように可憐で、心 優しく、その気性は 穏やかそのもの。 この世界に 嘘や謀略などというものがあることを知らぬかのように澄んだ瞳を持つ瞬。 それが一輝の弟だった。 その瞬が、兄を拘禁する策を巡らせた――。 到底 信じ難い話を聞かされて、一輝は しばし 呆然としてしまったのである。 「瞬!」 「ごめんなさい! でも、こうしないと氷河は――僕と氷河は――」 「おまえは、俺を決闘の場に行かせないつもりか! 俺が決闘を逃げたとなったら、我が家の面目が――」 「決闘は行われます。王の御前で、兄さんの代わりに僕が氷河と戦う」 「なにっ !? 」 兄の追っ手が かからないうちに 手に手を取って逃げるつもりだと言われた方が、まだ納得がいく。 しかし、瞬は、そんなことを考えているのではないようだった。 「瞬、ここを開けろ! 俺を ここから出せ! 何を企んでいるんだ!」 「大丈夫です。兄さんには劣りますが、僕、兄さん以外の人には負けないくらいの腕はあるつもりです。満座の中で、誰もが括目するような戦いを披露してみせます。絶対に家名に傷はつけない。兄さんの名誉も守ってみせます。だから、決闘が終わるまで、ここで静かに待っていてください」 「静かに待ってなど いられるかっ。瞬! 俺を ここから出すんだ!」 一輝の命令が実行されなかったのは、その命令を聞く者が 既に その場にいなかったから。 瞬は、よりにもよって兄の決闘の相手と共に、アウストラシアの王城に――決闘の場に――向かったようだった。 |