この国で国王よりも権勢を誇る伯爵家の当主と、数日前に貴族に叙せられたばかりの異邦人。 この決闘で万一 伯爵が敗れるようなことがあったなら、それは大事件である。 伯爵家の威信は失墜し、父の代からアウストラシア国軍の全軍兵、全士官に軍神のごとき尊敬と畏怖を捧げられている人物の神話は崩壊する。 決して そうなることを望んでいるわけではないのだが――もちろん、伯爵に勝ってほしいと願ってはいるのだが――もし そんな大波乱が起きたなら面白い。 この決闘を見物に来ているアウストラシア王国の貴族たちの本音は そんなところだったろう。 どちらが勝つにしろ負けるにしろ、彼等は この決闘に はっきりとした決着がつくことを望んでいた――あるいは、明確に勝敗が決するのだと思っていた。 そんな彼等が、勝負がつかないまま決闘が終わったことに――中断させられてしまったことに――不満を示さなかったのは、二人の戦いが あまりに美しく、鮮やかだったから。 そして、二人の戦いが生む熱狂と陶酔を、これ以上は耐えられないと思うほど味わわされたからだったろう。 前代未聞の決闘を見守っていた者たちは今は皆、剣をおろした二人の決闘者に 感嘆の視線と溜め息ばかりを送っていた。 「見事だ」 決闘場の正面、一段 高い場所に設えられた王のための席で 身を乗り出し、興奮を抑えきれない子供のように頬を紅潮させ、決闘者たちに称賛の言葉を告げてくる王に、瞬は 一度 深く腰を折り、微笑した。 「陛下。我等の力は五分と五分、これでは日が暮れるまで戦い続けても決着はつかないでしょう。ですが、居城の中で実戦も知らず、練習でしか剣を振るったことのない僕より、日々 戦場を駆け回っていた兄が僕より強いのは確かなこと。兄なら彼に勝てていたのではないかと、僕は思うのです」 「う……うむ」 自国の元帥が、昨日今日 この国にやってきた外国人に劣ることがあるとは、アウストラシアの国王としても認めたくないことだったのだろう。 それは、この国と この国の王の威信を損なうことになる。 王は、氷河の様子を気にしながら、それでも 瞬の言葉に頷いた。 氷河は もちろん、それで気分を害した様子は見せなかった。 この決闘の結末も、瞬の発言も、すべては事前の打ち合わせ通り。 すべては、氷河と瞬の予定通りに進行していたのだ。 「僕と氷河の勝負はつきませんでしたけど、我が家の体面と名誉を守るためにも、この決闘に無理に勝負をつけることは賢明ではないと思うのです。勝負は引き分け。ですが、兄が負けたわけではない。それでよしとしていただけませんか」 「うむ。そうだな」 一輝と氷河、どちらの機嫌も損ねたくない王には、瞬の提案は願ってもないこと、不満のあろうはずがない。 アウストラシア国王は 内心の安堵を隠しつつ、その威厳を保とうとして、いかにも王らしく 勿体ぶった様子で、瞬に声をかけてきた。 「しかし、見事な剣捌き。恐れ入ったぞ、その花のような姿で」 王の機嫌を損ねたくないのは、瞬も同じ。 王の期待通り、瞬は、それこそ 花のような微笑を王に提供した。 そして、王に問う。 「そういえば、陛下は、現在の東ローマ帝国、ミカエル3世の宮廷がどんなものか ご存じですか?」 「ん?」 突然 西アジアの大国の名を出され、アウストラシア国王が ぽかんとする。 東ローマ帝国は、現時点では、この地上に最も広い領土と国力を持つ世界帝国だった。 「かの国では、強く美しい家臣を持つ者が尊敬されるのだそうで、美しく強い青年を召し抱えるために、国王も貴族も しのぎを削っているのだそうです」 「それはまた……優雅な争いだな」 「はい。そこで 提案なのですが。この決闘のために氷河に与えた身分を、今日以降も そのままにしておくというのはどうでしょう? 彼と戦い、その力に感嘆した僕としては、今更 彼の身分を平民に戻し、この国を自由に立ち去る権利を彼に与えたくはないのです。氷河は陛下の宮廷を美しく華やかなものにしてくれるでしょう。東ローマ帝国の王や廷臣たちが、陛下の宮廷に来ることがあったなら、彼等は心から陛下を羨むことと思います」 「確かに……。いや、もちろん、私は最初から そのつもりだったぞ。決して、この決闘のために 一時的に彼を貴族に叙したのではない」 「さすがは ご賢明な陛下。軽々しいことはなさらない」 軽率が取りえ(?)のアウストラシア国王に対して、それは 聞きようによっては どんでもない皮肉だったのだが、自身を軽率と思ってはいない国王は、瞬の讃辞に満悦至極の体だった。 「瞬!」 伯爵家の当主より 瞬の指示に従うことに慣れてしまっていた使用人を脅しつけて 牢の鍵を開けさせた一輝が、決闘の終わった決闘場に駆けつけてきたのは、異邦人である氷河をアウストラシアの家臣として迎え入れることを王が決定した、ちょうど その時だった。 「おお、一輝。病は大事ないのか。無理せずともよいのだぞ。無理をさせて、そなたのように強く有能な家臣を、私は失いたくない。せっかく、そなたに勝るとも劣らない美々しい家臣を手に入れたところなのに」 決闘の決着が どうついても、王城は大騒ぎになっているに違いない。 そう決めつけ、逸り、焦り、騒ぐ胸を懸命に抑えて 弟の許に飛んできた一輝は、思いがけず 和やかな決闘場の空気、上機嫌の国王の顔と その言葉に接し、いったい ここで何が起こったのかが わからず、ただただ あっけにとられるばかりだった。 |