Amazones






知恵と戦いの女神アテナの御座所である聖域は、多くの都市国家から成るギリシャの中で最も高い文化と強大な軍事力を誇るアテナイの都に接した某所にある。
都市国家アテナイは、その名が示す通り、女神アテナの守護を受ける国。
現在は、クレタ島のミノタウロス退治で勇名を馳せたテセウスが、国王として アテナイの都に君臨していた。
その英雄テセウスから、聖域の女神アテナに、彼女の聖闘士の力を借りたいという申し入れがあったのは、ある年の春まだき。

どれほど有力な国の国王といえど、ギリシャ中に勇名を馳せた英雄といえど、もちろん一介の人間にすぎない者が、直接 女神に謁見を求めたり、使者を送ったりすることはできない。
それゆえ、テセウス王からの救援要請は、まず アテナを祀ったパルテノン神殿での祈りという形で行われた。
その祈りが女神アテナの許に届けられ、女神アテナはテセウス王の救援要請に応じることを決し、彼女の聖闘士たちに その決定を命令として伝えてきた。
それは いつもの通りである。
いつもの通り、本来 為されるべき手続き、自然な流れ。
この場合、問題だったのは、アテナが彼女の聖闘士たちに命じた命令の内容だった。

アテナは彼女の聖闘士の中から鳳凰座の聖闘士と白鳥座の聖闘士を指名して、彼等にアマゾン族の国に行くようにと言ってきたのだ。
『地上に仇なす邪神と その配下の者を駆逐しろ』ではなく、『地上に 人間の仕業とは思えない変動が起きているから、その原因を探れ』でもなく。
よりにもよって、男二人に『女だけの国に赴け』と。

ちなみに、アマゾン族は、馬を飼い慣らし弓術を得意とする狩猟民族で、黒海沿岸に女性だけの国を営んでいる。
民族名の“アマゾン”は“乳無し”を意味し、彼女等が そう呼ばれるようになったのは、彼女等が弓を射る際に邪魔になる乳房を切り落とすと噂されているから。
もちろん それは噂にすぎない。
常識的に考えて、弓を引く際の利便性のためだけに、そんな命に関わる無謀を試みる人間はいないだろう。
基本的に女性のみで構成されているアマゾン族は、定期的に 彼女等の国を維持するために、他部族の男性と交わり、子を成す。
そうして、生まれた子供が男児だった場合は それを殺し、女児のみを国の一員として育てると言われていた。
それが、アマゾン族の国の維持の仕方、アマゾン族の 厳に守られるべき掟だったのだが。

アテナイのテセウス王が その掟を犯し、アマゾン族の女王の妹アンティオペーを誘拐して、彼女にヒッポリュトスを生ませたのは、今から2年ほど前。
国の掟を他国の者に犯されて、アマゾン族が黙っていられるわけがない。
テセウスの所業に報いるため、アマゾン族はテセウスの治める国アテナイに攻め込んできたのである。
アマゾン族は アッティカのアレイオス・パゴス丘に陣を敷き、アテナイ軍との激闘を繰り広げた。
最終的に、アマゾン族は強大なアテナイ軍に敗れ去ったのだが、それが今から半年前のこと。
そして、それが そもそもの事の発端だった。

アレイオス・パゴス丘での激闘と敗戦から半年が経った今、アマゾン族の女王が、アマゾン族の攻撃を退けたアテナイの国に、アテナイの勇者を100名ほど 彼女の国に招待したいと申し出てきたのである。
つい半年前に アテナイと弓剣を交えていた国、しかも 敗北を喫した国から そのような申し出があったなら、それは何かの罠なのではないかと疑うのが普通だろう。
当然、アテナイの市民は アマゾン族からの申し出を怪しみ、その申し出の訳を問うた。
『アマゾン族の襲撃を退けた国なれば、さぞかし アテナイには強い男が多いだろう』というのが、女王からの答え。
アマゾン族は 強い男を欲しているのだ――と、アマゾン族の女王は答えてきたのである。


「要するに、強い男の子種を提供しろという申し出だな」
鳳凰座の聖闘士・一輝の露骨な物言いに、白鳥座の聖闘士・氷河は顔をしかめた。
より正確に言うなら、顔をしかめかけて、結局 氷河はそうするのをやめた。
一輝は露骨なのではなく――それは 他に言いようのないことなのだ。
「行ったら殺されるかもしれないのに、行く馬鹿がいるか」
氷河は、一輝の言葉にではなく、半年前までの敵国に 拒絶されるのが当然の申し出を申し入れたアマゾン族の女王の あさはかさにこそ、顔を歪めた。
もっとも 彼はすぐに、自分が本当に顔を歪めてみせるべき相手は 他にいた事実を知ることになったのだが。

「それが いたんだな。馬鹿が腐るほど。できればアマゾン族との再度の戦を避けたいアテナイ王が 試しに希望者を募ってみたら、200人を軽く超える男共が 勇んで子種候補に立候補してきた」
「200人? それはまた……。まあ、アテナイにいる馬鹿な男の数が把握できてよかったじゃないか。で?」
「王は そんな数など知りたくなかっただろうがな。とにかく、行きたいという者がいるんだから、アテナイの王は、アマゾン族からの申し出を断るわけにはいかなくなった。なにしろ、アマゾン族の女王の身内を誘拐して 先の戦の原因を作ったのは、テセウス王本人だ。王には、『馬鹿なことをするな』と言って、馬鹿者共を止める権利がないんだ。結局 王は、どういう基準で選んだのかは知らないが、希望者の中から100人を選んで、そいつらをアマゾン族の国に送った」
「その行列を見てみたかったな。馬鹿面の男100人の行列。さぞかし見物なものだったろう」

そうして、100人の馬鹿な男たちは、そのままアマゾン族の捕虜になってしまったのだろうか。
アテナイのテセウス王は、100人の馬鹿な男たちを救ってくれと、アテナに泣きついてきたのだろうか?
本音を言えば、氷河は、その100人の馬鹿者共をアマゾン族に殺してもらった方が アテナイの国のためになるだろうと思ったのである。
だが、話は そう単純なものでもなかったらしい。

「なんでも、アマゾン族の女たちが他国の男と交わるには、やたらと面倒な決まりごとがあるらしい。アマゾン族が信奉する処女神アルテミスに許しを請う儀式を執り行ない、その後 3日間の潔斎期間を置き、交わる日を指示する神託を待つ等々。ところが、アテナイの馬鹿たちの中に、その面倒な手続きが終わるのを待ちきれなかった馬鹿の中の馬鹿がいて、アマゾン族の少女に乱暴を働こうとした。厳粛な儀式を汚され、怒り心頭に発したアマゾン族の女たちは、アテナイの男共の宿舎に襲撃をかけた」
「それで、馬鹿共は逃げ帰ったのか」
「男たちの半数はな。しかし、それが実はアマゾン族の策略だったんだ。アマゾン族の女たちは、その襲撃の際、逃げずに戦おうとした残りの半数の男たちを真の勇気ある者として、自分の寝床に引き入れた」

アマゾン族の女たちは、アテナイの勇者たちより数倍 頭がいいらしい。
アテナイの男たちの子種提供の経緯――むしろ、それは、アマゾン族による子種採集の経緯と言うべきか――を聞いて、氷河は声をあげて笑った。
「実に上手い選抜方法だ」
「確かに。だが、それが笑いごとでは済まなくなってしまったんだ。アマゾン族の女たちは そっちの戦い方も巧みだったらしく、女たちと めでたく同衾を果たした馬鹿共の中に、アマゾン族の女に本気になって、その女をアテナイに連れ帰ろうとした者が現われた。それが10人ほど。もちろん、そいつ等は アマゾン族の女たちに捕われた」
「100人行って、50人が逃げ帰り、残った50人のうちの10人がアマゾン族の女に本気になったわけか。5人に1人。アマゾン族には、結構いい女が多いのかもしれないな」
「かもしれん。無事にアテナイに帰国した40人から その報告を受けて、アテナイの王と 捕われた10人の馬鹿共の家族たちは 真っ青になった。アマゾン族を貶めるための噂にすぎないだろうが、弓を引くのに邪魔な乳を切り落とす者もいるというアマゾン族。部族の掟を犯そうとした男に何をするか、想像に難くはないからな」
「それはまあ……あれを ちょん切るしかあるまい」
「なのではないかと案じる者 多数――というわけだ」

犯した罪――罪なのだろうか――を考えれば、去勢は実に妥当な罰だが、同じ男として、その10人の男たちに、氷河は少なからず 哀れを催した。
だいいち、そんな罰を受けて、たとえ命を永らえることができたとしても、その男たちは自分の生あることを喜べるかどうか。
むしろ、殺されていた方がましだったと、生きている自分を呪うのではないだろうか。
氷河は、そう考えないわけにはいかなかった。

「10人の中には名家の子弟も多く、家族たちは、できれば男たちが不具にされる前に 身代金交渉に持ち込みたいと考えている。しかし、さすがの色ぼけアテナイ男共も、あれをちょん切られるかもしれないような国に進んで赴く度胸はない。で、度胸のないアテナイの男たちに代わり、その身代金交渉の全権大使としてアマゾン族の国に行くよう、俺たちに命令が下ったというわけだ」
「それは何の冗談だ」
経緯は理解できた。
アテナイの国に、馬鹿な男が多いこともわかった。
が、氷河には、この騒動にどういう決着がついたとしても、それは地上の平和と安寧が損なわれることにはならないという事実も よくよく わかってしまったのである。

「アテナは何を考えているんだ。なぜ、そんなことにアテナの聖闘士を巻き込む。そして、なぜ俺たちなんだ。俺は これまで、そんな恐い女たちに関わり合ったことはないし、これからも関わりたくはないぞ」
それは一輝も同様のはず。
白鳥座の聖闘士より はるかに堅物の鳳凰座の聖闘士こそ、この任務には憤りを感じているはず。
どうにも得心できず、氷河は一輝に その旨を訴えた。
が、一度 下されたアテナの命令が撤回されることは まずあるまいと悟りを開いているらしい一輝は、そんな氷河に軽く肩をすくめてみせただけだった。

「知恵の女神が 馬鹿な男たちに同情したのでないことだけは確かだな。とにかく、アマゾン族は強い男は歓待する――強い男なら歓待する。アテナイの勇者様たちごときでは、身代金交渉に入る前に追い返されるのが関の山。それ以前に、アテナイの男たちは すっかり及び腰になっている。その他諸々、様々な事情を考慮して、その任務が俺たちに まわってきた――ということだろう。俺たちなら、1000人はいるというアマゾン族全員を一瞬で倒すことも可能だからな」
「有難くも何ともない話だ」
それでも、アテナの命令となれば、アテナの聖闘士は黙って 与えられた命令の遂行に努めるしかない。
全く気乗りはしなかったが、氷河はアマゾン族の国に向かう覚悟を決めるしかなかったのである。

「女だけの国か。ぞっとしないな」
「男だけの国よりは ましだろう」
一輝の慰め(?)に、氷河は首肯できなかった。
異議を唱えることもしなかったが。
「どっちが ましというんじゃなく、どっちも御免だ」
というのが、氷河の本音だったから。






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