氷河の提案に、一輝は妙に自信ありげに乗ってきたが、氷河は、だからといって不安になることはなかった。
氷河は、一輝以上に自信があったのである。
彼は、一輝が気付いていないことに気付いていたから。

その日、いつも通り 氷河の部屋に夕食を運んできてくれたエスメラルダに、氷河は、
「俺と一緒に、ここから逃げてくれ」
と、彼の言うべきことを言った。
エスメラルダの答えは、
「それは できません。できるなら、そうしたいけど――氷河と一緒に行きたいけど……」
というもの。
しかし、氷河はエスメラルダの答えに落胆することはなかったのである。
それは、氷河が予想していた通りの答えだったから。
エスメラルダは、エスメラルダを恋している男に そう答えるしかないのだ。
氷河には、その理由がわかっていた。

「それは、おまえが男子だから?」
「え……」
その理由を俺は知っているのだと、氷河がエスメラルダに告げる。
エスメラルダは 氷河の その言葉に瞳を見開き、そして、にわかに怯えたような目になった。
「大丈夫。この国の者には絶対に言わない。一輝は おまえを少女と信じているようだが、俺には おまえが何者なのか、ちゃんと わかっている。その上で、一緒に逃げてくれと言っているんだ。おまえは 男子だということを隠して、この国にいるんだろう? アマゾンの国では、男子は皆 殺されてしまうと聞いた」
それがエスメラルダの秘密。
それが、エスメラルダが、鳳凰座の聖闘士にも 白鳥座の聖闘士にも はっきりした答えを返すことができない理由だったのだ。
氷河は、しかし、可憐で心優しいエスメラルダが 可憐で心優しいままでいてくれれば、他のことはどうでもよかったのである。

「この国を出ることは、おまえの身の保全が図られることでもある。こんな、男には危険極まりない国はさっさと出て、おまえは自由になるべきだ。自由になって、俺を愛してくれ。いや、おまえはもう、俺を愛してくれているな?」
「氷河……僕は……」
うぬぼれではない自信はあった。
エスメラルダの表情、仕草、眼差し――決して言葉にはしなかったが、エスメラルダは いつも白鳥座の聖闘士を恋する者の目で見詰めていてくれた。
その上、男子であるエスメラルダにとって、この国の住人でいることをやめるのは、その命を守る最良最善の方法であるはず。

氷河には自信があったのである。
自分がエスメラルダに恋されていることにも、エスメラルダが白鳥座の聖闘士の申し出を喜んで受け入れるだろうことにも。
であればこそ、
「一緒に行きたい。でも、だめなの。僕はこの国を離れられない」
というエスメラルダの答えは、氷河を困惑させ、焦らせ、そして、憤らせたのである。
いったい こんな国のどこが、エスメラルダを熱烈に恋する男よりいいと、エスメラルダは言うのか――。

散々 焦らされ、待てるだけ待ち、己れを抑えるだけ抑え続けてきたあげくの その答えだっただけに、思ってもいなかったエスメラルダの拒絶は、氷河の怒りを激しいものにした。
「ならば、俺は、おまえを縛りつけている この女だけの国を滅ぼしてやる!」
「氷河……!」
最初は、それでも単なる脅しのつもりだった。
脅しというより、それは、エスメラルダのつれない答えへの やるせなさが、氷河の口を突いて迸り出た嘆きの声にすぎなかった。
それが 単なる嘆きの声でなくなったのは、何があったのかは氷河にも わからなかったが、隣りの一輝の部屋で急に一輝の小宇宙が爆発し、
「俺が この国を滅ぼしてやる!」
という 鬼神の咆哮のような声が響いたかと思うと、一輝の部屋の中庭を見おろす露台、そこに設えられている鉄格子を破壊して、一輝が中庭に飛び下りる姿が見えたからだった。

一輝の周囲には、燃え盛る炎のような小宇宙が渦を巻き、その小宇宙は更に勢いを増している。
一輝の怒りの(?)小宇宙によって破壊された部屋。
その爆発音に驚いたアマゾン族の戦士たちが ばらばらと数十人、中庭に駆けつけてくる。
彼女等は、どう見ても友好的でない――むしろ、闘争心と敵愾心だけでできている一輝の姿、表情、気配を見てとって、ある者は剣を手に構え、ある者は弓に矢をつがえようとしていた。

アマゾン族の総人口が およそ1000人。
その半数が戦士だとして、500人。
聖闘士が二人いれば、十分に倒せる数である。
最初からそうすればよかった。
身代金交渉などしようとして、無駄な時間を費やしてしまった。
へたに騒ぎを起こしたら、エスメラルダが責められることになるのではないかと案じて、大人しくしていすぎた。
アマゾン族の国が この地上から消えてしまえば、エスメラルダを縛るものはなくなり、エスメラルダは その恋人の胸の中に飛び込んできてくれるのだ――。

そう思い至ったら、矢も盾もたまらない。
氷河は、一輝に呼応して、その小宇宙を燃やし、彼を閉じ込めていた牢獄を破壊して、中庭に仁王立ちになっている一輝の横に下り立ったのである。
エスメラルダを縛るものの破壊。
自らの恋の成就。
今の氷河の頭の中には、それ以外には何もなくなってしまっていた。






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