「俺は、女でも遠慮はしないぞ。俺の邪魔をする奴は、それが誰であろうと、ぶっ飛ばす」
「俺は、女には遠慮することにしているが、俺の恋がかかっているとなったら、話は別だ」
たった今まで、エスメラルダは氷河の部屋にいて、氷河の申し出を拒んでいたのだから、一輝が突然 怒りの小宇宙を燃やすことになった原因が何なのか、氷河にはわかっていなかった。
誰が、何が、一輝の何を“邪魔”したのか、わかっていなかった。
氷河にわかっていることは ただ、鳳凰座の聖闘士が、白鳥座の聖闘士同様の怒りに支配され、この国の崩壊を願っていること。
鳳凰座の聖闘士の望みが、白鳥座の聖闘士のそれと全く同じものであること。
鳳凰座の聖闘士と白鳥座の聖闘士が共闘することで、二人の願いは より速やかに叶う――ということだけだった。

一輝の炎の小宇宙と 氷河の氷雪の小宇宙。
触れ合った瞬間に大爆発を起こしそうな、対照的な二つの小宇宙――その激しさ。
アマゾン族の女戦士たちは、アテナの聖闘士たちが燃やす小宇宙など感じ取れないはずなのに、自分たちが対峙している敵が 普通の人間の力では到底 対抗できない力を有していることは感じ取れているようだった。
破壊され瓦礫の山と化した二つの牢のありさまが、その“感じ”を裏づける。
手にした剣や弓矢は そのままに、アマゾン族の女戦士たちは 一歩また一歩と後ずさり、怒れるアテナの聖闘士たちとの間に距離を置こうとしていた。

アテナイの馬鹿男共に比べれば、アマゾン族の女戦士たちは はるかに賢明で、優れた戦士の勘を持っていると、氷河は――おそらくは一輝も――思ったのである。
しかも、自分の力が敵の強の力には敵わないことを はっきり認識していながら、彼女たちは敵に背を向けて逃げ出すことをしない。
これがアテナイの馬鹿男共だったなら、彼等は ためらいもなく敵の前で回れ右をし、蜘蛛の子を散らすように敵前逃亡しているに違いないのに。
この勇気あるアマゾネスたちを倒してしまうのは惜しいと、氷河は思った。
一瞬間だけ。
勇敢な女戦士たちの命を惜しむ氷河の心は、エスメラルダの優しい微笑を思い浮かべた途端、どこかに飛んでいってしまった。
この女たちは、白鳥座の聖闘士と その恋人の間に立ちはだかる邪魔な障害物。
それは、必ず取り除かれなければならないものなのだ。

決意を固めた氷河の小宇宙が 一層激しく燃え上がる。
一輝の小宇宙も、先程から その勢いを増すばかり。
少しずつ後ずさっていたアマゾン族の戦士たちと 二人のアテナの聖闘士の間には、既に相当の距離ができていた。
一輝と氷河は城の建物の前に立っており、アマゾン族の戦士たちは、城の中庭を囲む石の塀の前まで後退していた。
そのため、中庭には ただ一つの人影もない。
ぽっかりと、そこは真空地帯になっていた。

アマゾン族の勇敢な戦士たちが全員、後退できるところまで後退した中庭。
「一輝、やめてっ!」
「氷河、やめてください!」
そこに突然、悲痛な声を響かせて 飛び出てきた勇敢な戦士(?)が二人。
それは、一輝と氷河が恋してやまないエスメラルダその人で、エスメラルダの叫び声は なぜか二つあった。
なぜ二つなのか。
それは考えるまでもなく一目瞭然。
エスメラルダは二人いたのだ。
氷河は―― 一輝もまた――この怪しい現象に、あっけにとられてしまったのである。
一輝の名を叫んだエスメラルダは、どう見ても少女で、それは氷河が恋したエスメラルダではなかった。

アマゾン族の勇敢な女戦士たちを限界まで後ずらせた凶悪な敵の方に、二人のエスメラルダが歩を進め、それぞれ 鳳凰座の聖闘士と白鳥座の聖闘士の前に立つ。
そして、少女ではないエスメラルダは 氷河に、
「一緒に行きたい。でも、エスメラルダを置いて、僕だけ 氷河と一緒に行くことはできないの」
少女のエスメラルダは 一輝に、
「一緒に行きたい。でも、瞬を置いて、私だけ 一輝と一緒に行くことはできないわ」
と、切なげな目をして訴えてきた。
氷河と一輝は、自分の恋した人に まっすぐに一途に見詰められ、瞬時に闘争心を失ってしまったのである。
爆発寸前まで燃え上がっていたアテナの聖闘士たちの小宇宙は、一方は 消えかけた焚火の最後の火花のように、もう一方は 春の訪れと共に消えてしまう流氷の最後のひとかけらのように、大人しいものに変わった。

二人のエスメラルダ。
一輝のエスメラルダは、氷河に、貴重な情報を一つ提供してくれた。
「瞬。それが おまえの本当の名か」
鳳凰座の聖闘士と白鳥座の聖闘士は、最初から 別々の相手に恋していたのだ。
鳳凰座の聖闘士と白鳥座の聖闘士は、実は恋敵でも何でもなく――それぞれの恋人に恋し、それぞれの恋人に恋されている、ただのおめでたい 恋する男たちにすぎなかった――。

おそらく、二人は双子なのだろう。
男子である瞬がアマゾン族の掟に従って命を奪われることのないよう、あるいは この国から追われて二人が離れ離れにされる事態を避けるため、二人は 二人で エスメラルダ一人の振りをしていたのだ。
エスメラルダは 決して浮気なわけではなく、一人で二人の男を手玉にとっていたわけでもなく、ただ一途に一人の男を恋していただけ。
一輝が突然 怒りの小宇宙を燃やし アマゾン族の国を滅ぼしてやると吠え始めたのは、氷河がエスメラルダ――もとい 瞬――に 二人の逃避行計画を拒まれていた時、一輝もまた同じように 彼のエスメラルダに『二人で逃げることはできない』という答えを与えられたからだったのだ。

エスメラルダが二人いることに――もしかしたら その一方が男子であることにも――気付いていた者は幾人かはいたようだったが、ほとんどの女たちは その事実に気付いていなかったらしい。
アマゾン族の戦士たちは、二人のエスメラルダを見比べては嘆息し、あるいは、自分の目の焦点を合わせようとして瞬きを繰り返したりしていた。
瞬とエスメラルダ――。
それほどに、二人はそっくりだったのだ。






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