このサッカー部の部室に入ってから、氷河は既に幾度も驚き、呆れ、あっけにとられることをしていたが、彼は今度こそ 本気で、腹の底から 驚き、呆れ、あっけにとられた。 あの三巨頭を“可愛い”と感じる男子生徒がいることも信じ難い事実だが、男子による人気投票で、瞬がダントツの1位というのはどういうことなのか。 驚くなと言われても、呆れるなと言われても、これは驚き 呆れるしかない事態だった。 ちなみに、瞬というのは、星矢のクラスメイトにして、氷河たちの幼馴染み。 それだけなら何の問題もないが、瞬は歴とした男子生徒なのである。 星矢が、『女子は全員(= 人気投票で上位に入った女子も例外なく)、喜んで俺たちを吊るし上げてくれる』と断言してみせたのは、そういうことだったのだ。 つまり、人気投票で上位に入った“女子”はいない――ということ。 「しゅ……瞬が1位? しかも1000点超だと? そ……それは おかしいだろう。男子全員が1番人気に瞬を選んでも、最高900点のはず。しかも、俺のように投票していない者もいるんだし」 瞬は確かに、“普通より かなり可愛い女の子”レベルの女の子では太刀打ちできないほど可愛い姿と面差しを持った生徒である。 そして、その姿や面差しより 優しく清らかな心を持った人間でもある。 その優しく清らかな心が その姿面差しを更に可憐清純に見せているような子で、瞬がグラード学園高校での人気投票で1位の座に就くことには、氷河も異議を唱えるつもりはなかった。 瞬なら、日本国主催の人気投票、地球主催の人気投票で首位の座に就いても、妥当順当としか思わない。 しかし、男子生徒のみが投票権を持つ人気投票で、瞬が それほどの投票数を稼ぐことは、自然なことでも尋常のことでもない。 少なくとも、何らかの問題があることである。 それでも瞬は間違いなく 正真正銘の男子で、校内の人間ならだれでも その事実を知っているはずなのだ。 「別に おかしくなんかないぜ。1番目に可愛いと思う子に瞬、2番目に可愛いと思う子も瞬、3番目に可愛いと思う子も瞬。別々の3人を選んで投票せずに、持ち点の6点全部を瞬に入れた奴が、結構 多かったんだよ」 「ああ、そういうことか」 瞬の得票ポイントが異様に高い理由(だけ)は、氷河も それで得心することができた。 それ以外のことは――グラード学園高校の男子生徒のほとんどが、おそらくは ごく自然なこととして男子である瞬の名を“1番目に可愛いと思う子”の欄に入力したこと、及び、告白ゲームのルールについては得心しきれていなかったが。 「三巨頭は、人気投票での獲得数が そのまま獲得ポイントになる告白ゲームで、500点以上を獲得できたら、人気投票のことは内緒にしといてやるって言ってきたんだ。告白ゲームに挑戦できるのは、サッカー部員のみ。何人の部員が、何人の女の子に、何度 挑戦してもいいって」 話を聞いただけなら、それはサッカー部にとって かなり有利なルールである。 掛け持ち可、再挑戦可とは、寛大すぎるほど寛大、甘すぎるほど甘いルールと言っていいだろう。 ゲームの合格ライン――勝利ラインの設定が500ポイントでさえなかったら。 「部員全員が何人 掛け持ちしても、500ポイント獲得なんて無理な話だろ。瞬と三巨頭以外の点数を全部かき集めても400ポイントに届かないんだから。500ポイント獲得しようとしたら、三巨頭の誰かを落とさなきゃならない。んなこと、逆立ちしても、宙返りしても、無理な話だ。無理なんだよ、無理。三巨頭は、サッカー部の誰が告白ゲームに挑戦したって、『YES』って答える気はないんだから。それがわかってるから、あいつら、『サッカー部が 告白ゲームで500ポイントゲットできたら、人気投票のことは女子にも先生方にも内緒にしといてやるし、ついでに、ゲームの勝利を祝して サッカー部に紅白饅頭の一つも差し入れしてやる』なんて、ふざけたこと言って、高笑いしてみせやがった」 忌々しげに、星矢が舌打ちをする。 星矢が無思慮にやらかした人気投票を是とするつもりはなかったが、三巨頭の提案に憤慨する星矢の気持ちは、氷河にもわかった。 三巨頭は、サッカー部が勝利することは絶対に不可能なゲームを、星矢に持ちかけてきたのだ。 「瞬にOKをもらえばいいじゃないか。部員を総動員しなくても、それで万事解決――」 言いかけた言葉を、途中で途切らせる。 氷河は、それは嫌だった――それは不愉快極まりないこと。 それだけは絶対に成ってはならないことだったのである。氷河にとっては。 「それは最初に考えたさ。でも、こんなことに瞬を巻き込みたくねーし、だいいち、瞬に本当のことなんて言えるわけねーじゃん。校内でいちばん可愛い女の子を決めるための人気投票したら、おまえがダントツの1位だったんだー、なんて。投票率99.0パーセントって言ったろ。投票してないのは、男子300人中3人だけで、それって、おまえと紫龍と瞬なんだよ。つまり、瞬は何にも知らねーんだ。瞬は、そういうの、よくないって思いそうだし、邪魔はしなくても、投票はしないだろうって思ったから、最初から教えなかったんだ」 「3人? おまえも投票したのか。おまえは誰に入れたんだ」 「持ち点、全部、瞬!」 「阿呆!」 明るい笑顔で得意げに、よくも言えたものである。 三巨頭に投票しなかっただけ、星矢にも真っ当な判断力と好みはあったのだろうが、それは決して、白日の下 正々堂々と申告していいことではない。 星矢には 他に選択肢がなかったのだろうことは 容易に察せられるが、瞬が喜ばないだろうことを知っていながら、星矢は それをしてのけたのだ。 「だからさ、瞬は何にも知らないんだよ。知ったら、瞬の奴、傷付くに決まってる。女子に点数つけるようなことしたってことにも、瞬は いい顔しないだろうし、俺は瞬には軽蔑されたくない」 持ち点を全部 瞬に投じるような無思慮は 平気でするくせに、星矢は そういうことには ちゃんと頭がまわっているらしい。 星矢は、サッカー部が廃部を免れるなら、特段 “倫理的人道的に正しいこと”に固執するつもりはなく、だが、瞬を傷付けるようなことはしたくない――のだろう。 要するに 星矢は、誰かを――瞬も女子生徒たちも――傷付けるつもりは全くなく、ただただサッカー部存続のために、一連のことを 軽はずみにしてのけた――のだ。 「あーあ。三巨頭にばれさえしなかったら、瞬にウチの部のマネージャーになってもらって、部員大量獲得できたのに。てゆーか、こんなことなら、1年前に瞬を掴まえてておくんだったぜ」 悪意のない星矢が、悪意のない声と顔で、今更ながらなことを ぼやく。 “ばれなければ、誰も傷付けずに済む” それが、星矢の基本スタンスらしい。 星矢は、“恥の文化”を体現する日本人そのものといえた。 「そういえば、おまえ、サッカー部を作る時、どうして瞬に声をかけなかったんだ。一緒に入学したのに」 「そうしたいのは 山々だったんだけどさ。俺が話を持ちかけようとした時には、瞬の奴、もう園芸部に入部届を出したあとだったんだ。花が咲いたり、芽が出たり、そういうの見ると、瞬の奴、すごく嬉しそうな顔するんだよな。とてもじゃないけど、土いじりなんかやめて ボール蹴ってくれとは言えなくてさー……」 マネージャーとしてではなくプレイヤーとして、星矢は瞬にサッカー部に入ってほしかったに違いない。 それでも瞬の気持ちを尊重して、星矢は瞬に我儘を言うことはしなかった。 星矢は、決して 人の心を ないがしろにするような人間ではないのだ。 ただ、ほんの少し――否、大いに――軽率なだけで。 |