「星矢っ! これはどういうことだ! おまえは、告白ゲームでOKと答えてくれと、瞬に頼んでいたんじゃなかったのかっ。そう聞いていたから、俺は……!」 それが誤解なのか、誤解ではないのか。 いずれにしても、真実を知っている者は星矢しかいない。 氷河は、その真実を確かめるために、星矢がいるサッカー部の部室に飛び込んでいったのである。 星矢はちょうど、部室にあるPCで、Webデザインが得意な部員たちと、新入部員勧誘のページのデザインについて、ああだこうだと討論しているところだった。 「ほんとはさー、やっぱ、トップに どーんと瞬の写真か動画を入れたいとこだよなー。で、あおりは、『サッカー部には君の青春がある!』とか『俯くな、君は美しい!』とかにしてさー」 とか何とか ふざけたことを言っていた幼馴染みの胸ぐらを掴みあげ、氷河は星矢を怒鳴りつけたのである。 「氷河……! そんな乱暴はやめて! きっと、星矢には星矢なりの事情があったんだよ! ねっ、お願い」 突然 鬼の形相で走り出した氷河を追いかけて 部室までやってきた瞬が、二人の幼馴染みの喧嘩(むしろ一方的な暴行)の仲裁に入ってくる。 部室で星矢と共に 部員勧誘サイトページ作りに いそしんでいたサッカー部員たちは、血相を変えた氷河の剣幕より、人気投票ダントツ1位の清純派アイドルの登場に驚き 浮足立っていた(ので、喧嘩の仲裁どころではなかった)。 瞬に、『ねっ、お願い』と言われてしまっては、氷河としても、振り上げかけていた拳を下ろさないわけにはいかない。 仕方なく氷河は、人の気も知らず のんきに部員勧誘の策を練っていた星矢を解放し、その場にあった椅子に星矢の身体を押しつけるようにして座らせたのである。 そうして 氷河は、自身は その前に立ったまま、星矢の頭の上から事の次第を説明するように命じたのだった。 それは――それは どうやら、星矢にとっても、言うに言われずにいただけで、言えるものなら言ってしまいたいことだったらしい。 氷河の剣幕に気圧されている感はあったが、隠蔽や瞞着を企んでいるような素振りは見せずに、星矢は彼の事情を語り始めた。 「だから、それは……俺は告白ゲームで 氷河にOKの返事してくれって 瞬に頼み損ねたんだよ。あの時――俺が瞬にゲームのこと 頼みに行った時、瞬のとこには先客がいたんだ」 「先客? それは誰だ」 「誰って、三巨頭に決まってるだろ。あいつら、瞬に全部 ばらしちまったんだよ。男だけの人気投票のことも、それで瞬がダントツ1位だったことも、あいつらが俺たちに持ちかけた告白ゲームのことも、全部。それで、そのうち サッカー部の誰かが瞬に告白しにくるだろうけど、それは本気でも何でもないゲームでのことだから、遠慮なく断るようにって、瞬に言ってさ。女の子に点数つけて ランク分けするような下劣な輩の片棒 担ぐ必要はないとか何とか、そんなことも言ってた。そのすぐあとに、頼めるわけねーだろ。『これから氷河が おまえに付き合ってくれって告白しに来るから、嘘でOKの返事してくれ』なんて」 「三巨頭が全部ばらした……? じゃ……じゃあ、瞬は最初から すべてを知っていたというのか」 「そうなんだよ! 滅茶苦茶 卑怯だろ、三巨頭の奴等! 先生や女の子たちには、告白ゲームの結果が出るまで 人気投票のことは黙っててやるって約束してたのに!」 「……」 星矢の立腹ポイントは、どこかピントがずれている。 それ以前に、星矢は、三巨頭に腹を立てる権利を有していない。 三巨頭は、星矢との約束を破ってはいないのだ。 三巨頭が秘密をばらした相手であるところの瞬は、“先生”でも“女の子”でもないのだから。 「なぜ、それを俺に言わなかったんだ!」 「言おうとしたよ! 言おうとしたのに、おまえは俺の報告 聞きもしねーで、瞬のとこに突進してって、俺が止めるまもなく、瞬に好きだって告白しちまったんだ!」 「……」 あの時――星矢が瞬に告白ゲームの八百長を頼みに行った時、嘘でもゲームでも 瞬に好きだと告げることができるのだと、氷河の気が急いていたのは事実だった。 星矢が交渉不首尾の件を隠蔽しようとしたわけではないことも、おそらく事実なのだろう。 だが、だとしたら、なぜ瞬は――すべてを知っているはずの瞬は なぜ――偽りの恋の告白に『はい』と答えてくれたのか。 氷河には、その訳がわからなかったのである。 女子生徒の人気投票、点数づけ、ゲームで偽りの恋の告白をすること。 それらは どう考えても 瞬が嫌がりそうなことで、そんなことに加担する人間を、瞬は軽蔑する――少なくとも、尊敬はしない――はずなのに。 「なら、なぜ 瞬は 俺の告白に応えてくれたんだ……」 瞬に直接 尋ねることができず、氷河は 瞬ではなく星矢に問うた。 問われた星矢が、無責任に首を かしげる。 「それ、俺も不思議だったんだよなー。瞬は みんな知ってたはずなのにさあ……」 本当に、星矢は無責任である。 無責任すぎて、氷河は その無責任を責める気にもなれなかった。 そして、では、その答えを知っているのは瞬だけ、ということになる。 その答えを得るために――氷河は意を決して、その視線を瞬の方に巡らせたのである。 氷河は瞬に何も言わなかった――正確には“言えなかった”のだが、瞬は今 自分が何を求められているのかを正しく理解していて――瞬はそれを氷河に与えてくれた。 静かに、遠慮がちに、だが 臆した様子はなく、瞬は与えてくれたのである。 氷河の疑念に対する答えを、 「僕に好きだって言ってくれた時の氷河の目が、本気に見えたから」 と。 瞬のその答えに、氷河は息を呑んだのである。 もちろん、氷河は本気だった。 あの告白は、ゲームの名を借りた本気の告白だった。 しかし、それは、“本気に見えたから”といって、『はい』と答えなければならないことではない。 この地球上で行われる本気の恋の告白の成就率と失恋率が どれほどのものなのかを 氷河は知らなかったが、理屈の上では それは半々。 恋を告白された者は、『YES』か『NO』か、自分の選んだ答えを答える権利を持っているはず。 それは絶対に、『YES』と答えなければならないことではないのだ。 全く疑念の晴れていない氷河に、瞬が重ねて答えてくる。 「僕は氷河が好きだったんだ」 「な……なに……?」 「僕は、ゲーム前から氷河が好きだったの。それだけ」 「……」 『それだけ』と、瞬は 事もなげに言うが、氷河は『それだけ』のことが理解できなかった。 氷河は、自分が瞬に特別な好意を抱いてもらえるほど 人格高潔な男でも清廉潔白な男でもないことを、悲しいほど はっきりと自覚できていたのだ。 「だ……だが、俺が怠け者の ろくでなしだということを、おまえは よく知っているだろう。ガキの頃から一緒だったんだから」 「どうして僕が、氷河のことを そんなふうに思うなんて思うの。そんなことあるはずないでしょう」 「普段の俺を見ていたら、大抵の奴は 俺をそう思うはずだ。俺自身は そんなつもりはないんだが、人の目に 俺は高慢な男に映るらしいし、根が帰宅部根性だし――」 「そんなことないよ」 「しかし――」 自分が 怠け者の ろくでなしだということを、なぜ自分は意地になって瞬に認めさせようとしているのかと、氷河は思っていた。 それは、正しく馬鹿者のすること。 このまま黙っていればいいのに――と。 だが、氷河には 黙っていることはできなかったのである。 他の誰かなら いざ知らず、この件には、もしかしたら瞬の幸福がかかっている――かもしれないのだから。 懸命に食い下がろうとした氷河を、瞬は穏やかな微笑で制してきた。 「先々月――珍しく都内に大雪が降った次の日の朝。氷河、駅前の歩道橋で、上ったはいいけど 下りるに下りれなくなっていた おばあさんを助けてあげようとしていたでしょう? そのおばあさんは大荷物を抱えてて――歩道橋の階段は雪のせいで段差がなくなって、氷の滑り台みたいになってた」 「先々月の雪の日?」 先々月は 週末ばかりを狙ったようにやってくる寒波と低気圧が、日本中に大雪を降らせていた。 雪も氷も平気な氷河は、そんな中、幾度か外出もした。 雪上や凍結した道の歩き方がなっていない都会の人間たちに呆れ、はらはらさせられたことも、歩道橋の上で大荷物を抱えた老女が呆然としていたことも憶えてはいたが、それがいったい どうしたというのか――。 「でも、その……見掛けが日本人らしくなかったせいか、氷河のお手伝いの申し出は驚かれて、断られて……。氷河は日本語を話してたのに、あのおばあさんに『英語はわからない』なんて言われて。お手伝いを断られたあとも、恐る恐る歩道橋を下りだしたおばあさんの様子を、氷河はずっと心配そうに見てた」 氷河も、そのことは憶えていた。 自分が ただ見ていただけだったこと。 見ていることしかできなかったのだ。 彼の助力の申し出は断られたのだから。 「半世紀前の日本なら ともかく、今時 ひどいって、僕、思ったんだよ。それで、氷河を慰めようと思って僕が近付いていったら、氷河は、ちょうどいいところに来てくれたって喜んで、あのおばあさんが歩道橋を下りるのを手伝ってやってくれって、僕に頼んできたの。それで おばあさんが僕の手伝いを受け入れたら、きっと氷河自身は傷付くのに……」 「俺は別に傷付いたりは――」 傷付いたりはしなかったと、氷河は断言することができた。 実際 傷付いた記憶はないのだから、傷付きはしなかったのだろうと思う。 いずれにしても それは氷河の内面のことで、瞬には察しようもないことである。 にもかかわらず、瞬は、『傷付いていない』と告げる氷河の前で、左右に首を振った。 「氷河は いつも僕に優しかったから――ううん、誰にだって優しかったから、僕は氷河が大好きだったんだよ。でも、あの時、僕は氷河を特別に好きになったの」 「いや、彼女は、それこそ半世紀前の日本で青春を過ごしたような歳の人だったし、少し 訛りがあったから、どこか外国人の あまりいない地方から上京してきた人で――だいいち、そんなことくらいで……。外見のせいで偏見を持たれることは、ガキの頃から何度も経験して、俺は慣れてる」 「慣れてるだなんて……慣れてるだなんて、そんな悲しいこと言わないで……」 「だが、本当に慣れてるんだ」 その答えは、この場合は あまり適切なものではなかっただろう。 氷河の その言葉を聞くと、瞬の瞳からは ぽろぽろと幾粒もの涙が零れ落ちることになってしまったのだから。 「瞬……」 その涙を 自身の胸で受けとめながら、ともかく やっと、氷河は真実が理解できたのである。 瞬は どうやら、彼の金髪の幼馴染みを 優しい人間だと誤解していて、そして、その幼馴染みを 本当に好きでいてくれるらしいことを。 長く冷たい冬を耐えてきた大地と空気を 少しずつ暖めながら、春は いつのまにか密やかに訪れるもの。 氷河の周囲の季節は、氷河自身も気付かぬうちに、本当の春になっていたのだ。 |