冬期に ある程度の降雨はあるが、夏は 陽射しが強く乾燥する地中海性気候。 聖域の夏場の平均最高気温は33度、平均最低気温は23度。 冬場の平均最高気温は13度、平均最低気温は7度。 気温だけを見ると、聖域のそれは、日本の関東地区のそれと極端に大きな差はない。 日本人にとって、聖域は、少なくともシベリアやアンドロメダ島、デスクィーン島に比べれば、比較的――否、段違いに――過ごしやすい土地である。 そんなギリシャでの暮らしが長かったとはいえ、痩せても枯れてもアテナの聖闘士が、氷点下1度程度の気温を 耐えられないわけはない。 にもかかわらず、星矢が、 「いったい 何なんだよ、この寒さは! おまけに雪!」 という抗議の声をあげたのは、ここが日本国の東京で、季節は春真っ只中、時刻は午後2時を数分まわったところだったから。 ちなみに、この時期の東京の例年の平均最高気温は15度前後、平均最低気温は10度前後。 そんな季節の日中の気温が氷点下。 どう考えても、この気温、この気候は異常だった。 確かに、今年の冬は寒さも厳しく、雪も多かった。 滅多に雪が積もることのない東京で、幾度も積雪の報告があった。 しかし、今は春。 まもなく4月になろうという時期なのである。 にもかかわらず、窓の外では、既に積もっている雪の上に更に ちらちらと小雪が舞っているのだ。 「おかしな話だよなー。この寒さも雪も、地球温暖化のせいなんだってさ。地球温暖化のせいで、世界中の気温が低下してんだと」 本来なら桜の花びらが舞っていてしかるべき季節に 降り積む雪。 その雪に一瞥をくれてから、どうにも得心できないという顔で、星矢がぼやく。 そんな星矢を、 「仮にもアテナの聖闘士が、このくらいの寒さで泣き言を言うんじゃない。氷点下1度程度では凍死もできん」 と言って、慰めた(?)のは、某氷雪の聖闘士だった。 残念ながら、氷河の慰め(?)は功を奏することはなく、かえって星矢の心を苛立たせることになってしまったのであるが。 「おまえの感覚で言うなよ。この季節に この気温は低すぎで寒すぎだっていうのは、日本国民の総意なんだから」 「貴様、俺が日本国民の内に含まれていないとでもいうのか」 「日本国民どころか、人間の範疇に収まってるのかどうかも怪しいもんだぜ。桜の季節に氷点下って状況を、異常と思えないなんてよ」 「なにぃ !? 」 人間の範疇に収まっているかどうかも怪しいというのなら、それは星矢にも当てはまることだったろう。 暑さに苛立ち 怒りっぽくなる人間は少なくないし、気温の低下や日照時間の不足によって心身の活動レベルが低下する人間は多いが、寒さで興奮の度合いを大きく強くする人間は稀である。 寒さのせいで喧嘩腰になっている天馬座の聖闘士と白鳥座の聖闘士の間に入っていったのは、もしかしたらアテナの聖闘士たちの中で最も過ごしやすい場所で修行期間を過ごしてきたのかもしれない某龍座の聖闘士だった。 「しかし、ここのところの気候がおかしいのは確かだろう。もうすぐ4月になるというのに、天気予報では、東京の今日の予想最低気温はマイナス5度、予想最高気温が2度。これは2月の気温じゃないか。いや、2月より寒くなっている」 「3月に入ったばかりの頃は、少し暖かくなって、いよいよ春が来るって思ったんだけどなー」 「確かに、すっかり冬に逆戻りしてしまったな」 「桜が咲く気配もないもんな。今年は、卒業式も入学式も桜なしだぜ」 言いながら、星矢は再び窓の外に視線を投じた。 桜の代わりに ちらちらと舞ってくれている雪に遠慮しているのか、ラウンジの窓の向こうの城戸邸の庭にある木は、どの木も 今年の新芽の一つもつけていない。 星矢は、その光景に、長く切ない溜め息を洩らすことになった。 「瞬。おまえ、少し気張って 小宇宙を燃やして、地球全体とは言わないけど、せめて日本だけでも春にしてくれよ。このままじゃ、今年は花見もできないぞ。俺の可愛い焼きそばや焼きイカが、俺に会いたいって泣いてるぜ。ああ、それから、りんご飴にチョコバナナ、フランクフルトに みたらし団子も」 「そんな……無理だよ」 星矢が暖かさを求める理由は、桜祭に繰り出してくる屋台の食べ物。 まともにとりあう必要もないのに、星矢の その訴えを聞いた瞬が 真面目に(?)両肩をすぼめ、身体を丸くする。 「アテナの聖闘士が挑戦する前から諦めてどうすんだよ!」 星矢が畳みかけると、瞬は更に身体を小さくした。 見兼ねた氷河が――彼が見兼ねたのは、ふざけ過ぎている星矢ではなく、真面目すぎる瞬の方だったろうが――星矢の頭を拳で がつんと殴りつける。 「おまえの焼きそばのために、なぜ瞬が そんなことに挑戦しなければならないんだ! 我儘を言うな!」 「ふん。究極まで小宇宙を燃やしても、0.0001度も気温を上げられねーような奴に、んなこと言われたくなんかねーぜ!」 口をとがらせて、星矢は自分の頭に着地した氷河の拳を払いのけた。 そうしてから、白鳥座の聖闘士に露骨に不審の目を向ける。 「つーか、この寒さ、もしかして おまえのせいなんじゃないのか?」 「なぜ俺がそんなことをする必要があるんだ」 突然、言いがかりとしか思えないことを言い出した星矢に、氷河は怒りを通り越して、呆れてしまったのである。 花見に繰り出して 屋台の焼きそばを食べられないことが、星矢にはそれほどのストレスなのかと。 「そりゃあ、春が来たら、次に来るのは夏と相場が決まってるじゃん。おまえの大っ嫌いな夏。夏が来るたび シベリアに逃げ込むのは面倒だから、いっそ自分の小宇宙で夏の到来を食い止めようなんて、軟弱なこと考えたんじゃないのか、おまえ」 「あのなぁ……」 自らの小宇宙の力で夏が来ないようにすることは、はたして“軟弱”な行為といえるのか。 そんなことをするくらいなら、むしろシベリアに逃げ込んでいた方が よほど楽で、お手軽なのではないのか。 そもそも シベリアへの移動が面倒で春夏の到来を阻止しているのなら、白鳥座の聖闘士が冷やすのは せいぜい東京都内レベルで十分なはず。 にもかかわらず、この異様な気温低下が地球規模で起こっているのは どういうことなのか。 いちいち指摘するのも馬鹿らしくなるほど、星矢の言いがかりには突っ込みどころが満載だった。 冗談なのだから 当然といえば当然のことなのだが。 もちろん星矢は冗談のつもりで そう言った。 本気で氷河がそんなことをしているのだとは、毫も考えていなかった。 であればこそ、星矢は、 「せ……星矢。氷河がそんなことするはずないでしょう。そんなこと言うのは やめて」 と、真顔で仲間を たしなめてきた瞬に驚くことになったのである。 ただの(?)真顔ならまだしも、そう言って天馬座の聖闘士を見詰める瞬の瞳には、なんと涙まで にじんでいるではないか。 瞬のその様子に、星矢は しばし あっけにとられた。 「瞬……おまえ、どうしたんだよ。冗談に決まってるだろ。だいいち、氷河に そんな力があるかよ」 瞬は、基本的に真面目な人間である。 しかし、ジョークが わからないほど硬くはないし、野暮でもない。 むしろ、心も言動も柔軟な人間である。 少なくとも、星矢の知っている瞬は そうだった。 いったい瞬の上に何が起きて、瞬は そんなことを言い出したのかと、星矢は疑ってしまったのである。 |