「夏を忌避する氷河の陰謀説は冗談だとしても、真面目な話、この気温では 農作物や家畜にも被害が出そうだな。この低温は 地球規模のものだそうだし……。あり得ないほど極端に気温が下がっているわけではないが、まさに春が来ない状況。日本はともかく、国によっては餓死者も出るかもしれない」
紫龍のその言葉は、星矢の冗談を冗談にするためのもの――星矢の冗談を真に受けている瞬に 本来の柔軟さを取り戻させるためのものだったろう。
しかし、紫龍の意図に反して、彼のその言葉を聞いた瞬は ますます深刻な表情になり、その頬は血の気を失い 真っ青になってしまったのだった。

「まあ、氷河よりは、どっかの冬の神様とかが悪さをしてるって考える方が、まだ あり得るかな。ギリシャの神様に冬を司る神様なんていたっけか?」
紫龍に続いて星矢が そんなことを言い出したのも、もちろん この場の話題を別の方向に逸らして、瞬を真面目深刻モードから抜け出させるため。
実際問題、地上の平和と安寧を守るために戦う聖闘士が、『夏が嫌い』などという あまりにも個人的な理由で地球全体を冷やしていると考えるよりは、その方がまだあり得ることではある。
だからというわけではないだろうが、紫龍は すぐにその話に乗ってきた。

「ギリシャの神で寒さに関わる神というと、せいぜい北風の神ボレアスくらいだろう。乾燥して温暖な地中海性気候のギリシャでは、到底 強大な力は持てない神だ。ハーデスに略奪された豊穣神デメテルの娘ペルセポネーが 母の許に帰ってくると春が始まり、ハーデスの許に戻ると冬になる――その繰り返しがギリシャの四季を生むということになっている。愛する娘と離れて暮らさなければならない豊穣神デメテルの悲しみが冬を呼ぶわけだ。冬の神がいるわけではない。しいて言うなら、デメテルの手からペルセポネーを奪うハーデスこそが冬を招く神ということになるかもしれんな」

しかし、そのハーデスは、既に アテナとアテナの聖闘士たちに倒されたあと。
悪さをしたくても、彼にはもう悪さはできない。
このところの地球規模の寒さの原因は、ギリシャの神々の(あずか)り知らぬところにあると考えるのが妥当のようだった。
「ギリシャの神より、異郷の神の方が 怪しいのかな? さすがにアスガルドってことはないだろうから、もっと北か、もしかして」
そう言って、星矢が白鳥座の聖闘士の方に顔を向けたのは、彼がまだ氷河を疑っていたからではなく、彼がアスガルドより北方の神や神話に つまびらかではなかったからだった。

「ロシアでは、ジェド・マロースという冬の寒さを人格化した老人がいるぞ。神というより、妖怪、妖精の類だがな。不従順な人間を凍死させてしまう爺さんだ。あとは、創作で『十二月物語』の冬の精。アンデルセンの雪の女王。それでいったら、日本にも雪女がいるだろう」
「この寒さが そいつらのせいだったら、アテナの聖闘士が雪女退治をすることになるのか? 笑えねーなー」
肩をすくめた星矢の顔に浮かんだのは、乾いた笑いとしか言いようのないものだった。
この寒さを神や幻妖のせいにするのは、どう考えても無理がある。
だが、この寒さが地球温暖化によるものなのであれば、その元凶は、すなわち人間の生の営みなのだ。
地上の平和と人類を守るために戦うアテナの聖闘士の笑いが 空しさを帯びるのは致し方のないことだったろう。

「創作なら、ワイルドの作品に、『我儘な大男』というのがあるぞ。自分の家の庭に、近所の子供たちが勝手に入り込んで遊びまわることに腹を立てた大男が、庭の周囲に高い塀を作って、子供たちが庭に入り込めないようにしてしまうんだ。子供たちが遊びに来なくなった庭には、春も来なくなり、大男の庭は いつまでも冬のまま――という話だが」
「我儘な大男が、日本を高い塀で囲っちまったっていうのか? 傍迷惑な話だぜ」
「大男は、日本というより地球全体を塀で囲っている。想像を絶する大きさだな。氷河では 少々 身長が足りなさすぎるだろう」

あちこちに寄り道はしたが、結論は そういうこと。
『氷雪の聖闘士が いくら夏嫌いでも、地球全体を冬にすることはできない』
この結論をもって、瞬の真面目深刻モードは解消されることになるだろう。
その場にいたアテナの聖闘士たちは そう思い、自分たちの与太話の成果を確かめるために、揃って瞬の上に視線を投じた。
が。
残念ながら、瞬の真面目深刻モードは、仲間たちの必死の努力にもかかわらず(?)、全く解消されていなかったのである。
瞬は相変わらず その表情を不安と憂いで彩ったままだった。
否、瞬は、むしろ一層 不安と憂いの色を濃くしていた。
いったいなぜ、瞬は こんなにも突然、冗談と本気の区別もつかない人間になってしまったのかと、瞬の仲間たちは奇異の念を抱くことになってしまったのである。
その上、瞬は、アンドロメダ座の聖闘士の沈鬱な表情を訝る仲間たちの前で、
「僕が我儘な大男なのかもしれない……」
などということまで言い出したのだった。

「おい、瞬……」
瞬の内罰的傾向は 瞬の仲間たちも よく知っていた。
自分の身に不都合やトラブルが降りかかった時、瞬は決して それを他人や環境のせいにはしない。
必ず その原因を自らの内にあると考える。
自分の命を奪うために襲いかかってきた敵を傷付け倒すことすら、己れの罪と考えるのが瞬――アンドロメダ座の聖闘士だった。
それは瞬の仲間たちも よく知っていた。
が、さすがに これは行き過ぎである。
この寒さが瞬のせいであるはずがない。
もし本当に瞬に そんな力があったなら、アテナの聖闘士たちは、北極の氷を融かして世界を水没させようとしていたアスガルドのヒルダや、そのヒルダを操っていたポセイドンの企みを、もっと容易に食い止めることができていたはずなのだ。
星矢は、真顔で冗談を言っているのは むしろ瞬の方なのではないかと、呆れてしまったのである。

「そういうことは、せめて今より50センチくらい背が高くなってから言えよ。チビの大男なんて、論理的に矛盾してるだろ」
アンドロメダ座の聖闘士を『チビ』と言う星矢の身長は、瞬と同じ。
星矢の突っ込みは、立派に(?)自虐的なジョークになっていたのだが、星矢の捨て身のジョークにも、瞬は くすりと笑うことすらしなかった。
結局、その日、瞬は暗い表情のまま一日を過ごし、そして、その日の最高気温は0度に届かなかったのである。






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