幸いなことに、氷河には、“瞬の振舞いを誤解していたことを謝る”という、瞬に近付くための口実があった。 謝罪を口実に瞬に近付き、その細やかな気配りへの礼を言い、そのままナカヨクなる。 その手でいこうと考えて、氷河は、翌日 朝から その機会を窺っていた――のだが。 昨日は、早朝から氷河の部屋から押しかけ、叩き起こし、早く勝負をつけようと 氷河に つきまとってくれた瞬が、それ以降は なぜか露骨に氷河を避け出したのである。 氷河と目が会うと、すぐに その視線を逸らし、氷河が近付いていくと、さっと その身を翻して どこかに駆けていってしまう。 朝餐、昼餐、晩餐も、氷河が食堂の席に着くと 瞬は姿を現さず、氷河が自室で食事をとることにすると、瞬は食堂の自席に着く(らしい)。 どこにも逃げ場がないというところに追い詰める恰好で 近付いていっても、そういう時は 必ず どこからかゴールディが飛んできて、氷河の前から瞬を連れ去っていってしまうのだ。 どう考えても、氷河は 瞬に意識的に避けられていた。 今度こそ掴まえたと思うたびに 瞬に逃げられ、がっくりと肩を落とす。 そんなことを、その日以降、氷河は幾度も繰り返すことになったのである。 出会いが最悪だったのは事実だし、瞬とゴールディを誤解した自分に非があったことも認めざるを得ない。 瞬に嫌われても、それは致し方のないことだと思う。 だが、謝罪することも許してもらえないとは。 瞬に避けられ続け、氷河の落胆は 日を追うごとに大きく深くなっていったのである。 そんな ある日、氷河は、そこでなら瞬を掴まえることができるかもしれないという一縷の希望に すがって、ゴールディのいる畜舎に足をのばしてみた。 そこは 元々は厩だったらしいのだが、ゴールディが瞬に飼い馴らされてから、ゴールディは野外ではなく その畜舎で寝起きするようになったらしい。 瞬は城の外に出掛ける際には、馬ではなくゴールディに騎乗(猫乗)することが多いのだそうだった。 ゴールディのねぐらに氷河が行った時、残念ながら、そこには ゴールディが一人で腹這いに寝そべっているきりで、瞬の姿はなかった。 この化け猫は いつも瞬の側にべったり くっついていて、瞬に それこそ猫可愛がりされているというのに、なぜ瞬と同じ人間の俺が 瞬に近付くこともできないのだと、氷河は つい腹立たしい気持ちになってしまったのである。 さすがに猫に嫉妬して八つ当たりをするのは 人間の尊厳を放棄することだという自制心が働いて、氷河はゴールディに嫌味を言うことはせずに済んだのだが。 何はともあれ、ゴールディは瞬の愛猫。 悪い猫ではないのだ。 「この間は 悪かったな。おまえは この国の民のために働いていると聞いた。誤解して すまなかった」 氷河が猫舎に入っていった時から 警戒心 剥き出しで低い唸り声をあげていたゴールディが、巨大な獣の横腹を軽く叩きながら謝罪してくる氷河に、きょとんとした顔になる。 まるで人間の言葉が理解できているようなゴールディの様子を見て、氷河は ついゴールディに愚痴を洩らしてしまったのだった。 「おまえが口をきけたらよかった。そうしたら、俺の代わりに瞬に謝ってもらうこともできるのに。瞬は俺と目が会うと、すぐに視線を逸らして どこかに逃げていってしまうから、俺は瞬に謝ることもできない。すべては おまえのことを誤解した俺の自業自得なんだが、まさか ここまで嫌われてしまうとは……」 ゴールディは、人間の言葉は もちろんわかっていないのだろうが、対峙している人間の感情を読み取ることはできるようだった。 氷河のそれが 愚痴というより むしろ弱音だということを感じ取ったらしいゴールディが、どこか戸惑ったような目を氷河に向けてくる。 猫に同情されるようなことになってしまっては、それこそ人間の尊厳も何もあったものではない。 『きゅうん』と、氷河を哀れむような声を洩らし始めたゴールディに、もう一度、 「済まなかった」 と謝って、氷河は力ない足取りで猫舎をあとにしたのである。 「ちゃんと、ゴールディちゃんに謝りにくるなんて……」 実は、氷河が この猫舎に入ってきた時からずっとゴールディの巨体の向こう側にいた瞬が、そんな氷河の後ろ姿を見詰めていることに気付くこともできないほど、氷河は意気消沈していた。 |