氷河の部屋に忍び込むのは簡単だった。
瀕死の王子の側には医師や看護人が大勢 詰めているかもしれないと案じていたのだが、それも杞憂だった。
医師にも匙を投げられてのことなのか、周囲に人がいることを氷河が拒んでいたからなのか。
ともかく氷河の寝室に 彼以外の人間はいなかった。
少し生気が欠け、以前より やつれているような気はしたが、氷河は相変わらず美しく、その氷河を見て、瞬は安堵の胸を撫でおろしたのである。
まだ間に合う。間に合ってよかった。
氷河は死なない――絶対に死なせない――と。

ずっと横になっているせいで 眠りが浅くなっていたのか、あるいは、(恋の)病に伏していても、常の緊張感を失ってはいなかったのか、瞬が 氷河の寝台の枕元に立つと、その気配を察したらしく、氷河はすぐに――だが、ぼんやりと、その目を開けてくれた。
「瞬……?」
夢の中にいるような目をして、氷河が瞬の名を呼ぶ。
氷河の寝台に ゆっくり静かに腰を下ろし、低く小さな声で、瞬は囁いた。
「氷河……これは夢だよ」
「瞬。なぜ ここに……」
「これは夢だよ。夢だから……氷河、僕を だ……抱きしめて」
「瞬……」

これは夢だと 瞬が言いきかせている相手は、もしかしたら氷河ではなく、瞬自身だったのかもしれない。
これは夢だと、氷河に告げる瞬の声は 微かに震えていた。
夢だと告げられた氷河の手が、そんな瞬の頬に そっと触れてくる。
「夢……?」
「そ……そうだよ。だから、氷河は、氷河がしたいことを僕に……あっ」
確かに弱っているようだったのに、はっきり目覚めているようでもなかったのに、夢の中で氷河は 明瞭に覚醒を果たしたらしい。
「瞬!」

夢の中で、氷河は、突然 恐ろしいほどの力で瞬の腕を掴み、その身体を寝台の中に引き込み、引き倒し、瞬に息つく間も与えずに 瞬の上に のしかかってきた。
瞬が身に着けていた服を、引き裂かんばかりの勢いで取り除き、瞬の胸に唇を押しつけ、脚を絡ませてくる。
(ええっ…… !? )
これが本当に死にかけていた人間の力なのかと、死にかけている人間の熱、死にかけている人間の手、死にかけている人間の手、指なのかと、瞬は疑って――否、混乱してしまったのである。
「あっ……あ……あ……ああ……っ」
氷河の手や唇が、瞬の身体の あちこちに触れ、まとわりつき、絡みつき、刺激し、その内側にまで忍び込んでくる。
ここで密接に、ここまで深く、人と触れ合うことが 初めての経験だった瞬は、二人の人間が触れ合うことで生じる不可思議な感覚、熱、身体の変化に度惑い、どう反応すればいいのか、自分は何をすべきなのかが わからず、迷い、最後に その答えを得ることを諦めて、固く目を閉じたのである。

目を閉じた途端に、瞬は、視覚以外の感覚が 異様なほど鋭敏になり、そして、身体の奥で生まれ湧き起こってきた 何か奇妙な疼きが、自分の身体を内側から支配し始めていることに気付くことになった。
「あ……っ、あ……なに、これ……いや……」
その疼きが、瞬の身体を、瞬の意思を無視して 勝手に動かし始める。
その疼きが、瞬に、脚を開けと命じ、同時に 脚を閉じろと命じてくる。
腰が自然に浮き、喉が のけぞり、何かに掴まりたくて、瞬は その手を氷河の肩にのばし、掴み、そして、瞬の唇は ひっきりなしに 意味のない音を 洩らし始めた。
「ああ……だめ。いや……ああ、ああ、ああ……っ!」

瞬の身体を支配している疼きは、やがて、瞬への命令を やっと一つにしてくれた。
今はすっかり脚を閉じていろと、いっそ 絡み合うほど ぴったりと その脚を固く閉じろと。
その命令に従おうとした瞬を責めるように、氷河の手が 瞬の疼きの命令と真逆のことをする。
「や……やだっ」
抵抗の意思を声に出して言ったのか、声にもできずに思っただけだったのか――。
次の瞬間、不自然に折り曲げられた瞬の身体は 鋭い痛みに真っ二つに引き裂かれ、瞬は悲鳴をあげていた。
その悲鳴に驚いたらしい氷河が、すぐに その悲鳴を呑み込むように、唇で瞬の唇を覆ってくる。
瞬の唇に 唇で触れたまま、氷河は、
「瞬、俺はおまえを愛しているんだ」
と、瞬に囁いてきた。

涙が止まらず、だが 瞬は、氷河のその言葉があれば この痛みに耐えることができるような気がしたのである。
あの疼きは残っていたが、もう痛くはない。
氷河が瞬の中にいる。
氷河の唇は、瞬の名と『愛している』を繰り返している。
瞬の身体は 幾度も大きく小さく揺さぶられていたが、そのたびに瞬が感じるのは、どんな言葉でも言い表せない快さ、途轍もない熱、ぞくぞくする背筋、身体の中心、その不思議。
氷河を逃がすまいとして、瞬の身体の内側が のたうち、暴れていた。

氷河が『愛している』と囁くのをやめ、低い呻き声を洩らし始める。
瞬の身体は、瞬の心を無視して、勝ち誇ったように 氷河を締めつけ、いたぶり、そんな自分に瞬は抗うことができず、涙と喘ぎが止まらない。
そんな時間が いったいどれほど続いたのか。
永遠にも近いほど長かったような気もするし、一瞬よりも更に短かったような気もする。
ともかく、疼きと痛みと快楽と混乱を極め尽くしたあとに、その時間は終わった――終わってくれた。
その終わりの時を待ちわびていたような、その時が来なければいいと願っていたような。
瞬は、その瞬間、自分が氷河を殺してしまったのではないかと、震えるような恐怖に囚われていた。

自分と氷河の勝負(?)が どう決着したのか、瞬にはわかっていなかった。
虚脱感が心地良いのは、自分が勝ったからなのか、素直に負けを認める気になったからなのか。
「瞬、すごい。いい。もう一度」
氷河が何か言っているようだったが、今は 言葉の意味を理解しようとするのも物憂くて、瞬は彼に何も答えず、既に閉じていた目を更に固く閉じることだけをしたのである。

氷河が中にいた時の歓喜――その時にだけ、瞬は あの奇妙な疼きを忘れることができた。
氷河が中にいた時の名残りが、今 また あの疼きを生み始めていたが、それが もはや苦痛ではない。
あんなに苦しかったのに、なぜ――?
瞬が、霞がかかって ぼんやりした意識の中に その答えを求めていこうとした時、瞬は 再び、あの強烈な衝撃に身体を貫かれていた。
「あああああっ!」
痛いと、ひどいと、瞬は思ったのである。
だが、瞬は、その思いを言葉にすることはできなかった。
そんなことをしたら、氷河は自分の中から その身を引き、離れていってしまうかもしれない。

せっかく氷河が また来てくれたのに。
瞬の身体が、瞬に そう訴えてくる。
(うん……。せっかく氷河が また来てくれたんだから)
自分の身体の訴えに賛同し、瞬は、腕と指と唇を 氷河に押しつけ、絡みつけていった。
氷河が押しつけてくる力に逆らうように、自然に腰が浮いていく。
そこにある熱と肉までが 氷河に絡みついていっているのが感じ取れる。
喉の奥から洩れていた声が 声でないものに変わり、今はもう乾いた音のようなものしか発することができない。
瞬は、自分が苦しんでいるのか 喜んでいるのか、その区別さえ つかなくなってしまっていた。






【next】