この たまゆらに






目覚めたのは、聖域ではなかった。
懐かしい城戸邸の俺の部屋でもなく、あの暗く冷たい地下の洞窟でもなく――見知らぬ場所、見知らぬ部屋の石の寝台の上。
大理石に似た素材の柱、石の壁、ギリシャの古代神殿を模した建物であることは確実だが、聖域のアテナ神殿ではない。
聖域なら――俺の知っている聖域なら、視界の内に人の姿がなくても、人の気配があちこちに感じられて、もっと活気に満ちていて、明るく、何より希望の光が感じられるはずだ。
もっとも、俺は今の聖域を知らないんだが。

俺が聖域を捨てたのは――いや、聖域が俺を見捨てたのか――もう随分と前のことだ。
俺と俺の仲間たちの身体が魔傷とかいう奇妙なものに侵され、小宇宙を燃やすことが死に直結すると わかった時。
それで死ぬことになっても アテナと地上の平和を守るために戦い続けると、俺の仲間たちはアテナに訴えたんだが、アテナは俺の仲間たちの訴えを退けた。
聖域に留まること自体は構わないが戦うことは許さないと 彼女は言い、だが、戦うことが許されないのでは、俺たちが聖域にいることの意義は失われる――役立たずの身で聖域にいることは やるせない。
そもそも アテナ自身が魔傷に侵されていて、どこぞに引き籠もるつもりでいるというんだ。
しかも、その場所は 俺たちには教えられないと。
その場所を俺たちに教えれば、結局俺たちはアテナの許で彼女のために戦おうとするだろうから――と。

アテナがいて、星矢がいて、紫龍がいて、一輝が時々やってきて、そして、瞬がいる聖域。
あの頃が、最も聖域が輝いていた時期だと思う。
あの頃の聖域は、希望の光で満ちあふれていた。
結局、俺たちは、その輝かしい聖域から、一人また一人と去ることになったんだが。
一輝は もともといないようなものだったが――まず、アテナが いずこかに去り、紫龍は五老峰に向かった。
星矢は城戸邸以外にも日本に居場所があって、そちらに行くつもりだと言っていた。
もっとも、星矢が本当に日本に行ったのかどうかを、俺は知らないが。

仲間たちがいなくなった聖域から 俺が なかなか立ち去らなかったのは、瞬が――聖域と城戸邸以外に居場所を持たない瞬が 聖域に残っていたから。
だが、その瞬も、やがては聖域を去ることになった。
瞬は、聖闘士ではない何者かとして、地上の平和と人々のためにできることを探すために聖域を出ると、俺に言った。

あの時、俺は、聖域を立ち去ろうとする瞬に、一緒に連れていってくれと言えばよかったんだろうか。
それとも、俺と一緒にシベリアに来てくれと言えばよかったのか。
だが、戦うことしか能のない俺。
瞬のように、人の役に立ちたいなんて考えてもいない俺が、瞬と共に行って何ができただろう。
シベリアに戻ったところで、墓守のような暮らしをすることしかできないだろう俺に 瞬を付き合わせることは、なおさらできない。
あの時、俺はそう思ったんだ。
そう思って、何も言わなかった――俺は瞬に何も言えなかった。

いずれにしても、瞬が去った聖域は俺の帰るべき場所ではなくなり、まもなく俺も聖域を出た。
それが何年前のことだろう。
その後、紛い物のアテナや教皇や黄金聖闘士たちが 聖域で幅をきかせるようになっているという噂を聞いたが、そこはもう俺たちの聖域ではなくなっていたから、俺は何もしなかった――どんな行動も起こさなかった。
戦えない者に何ができるというんだ。
できることは何もない。

仲間たちが生きていることは知っていた。
どんなに離れていても、小宇宙を燃やすことができなくても、俺は 俺の仲間たちが生きていることを感じ取ることができた――それだけは できた。
だが、明るく眩しく幸福だった昔を思い出すのが つらくて――俺は仲間たちに会いに行こうとしたことは一度もない。
俺が いちばん会いたい人が――瞬が――俺に会いたいと思ってくれているかどうかも わからなかったしな。

瞬は、俺の思いに気付いていたんだろうか。
気付いていなかったと確信を持てていたら、昔の仲間として、ただの友人として、俺は瞬に会いに行くこともできただろうが――。
そうだな。
俺は、要するに意気地なしだったんだ。
自分が何のために生きているのかもわかっていないような男が 瞬に会いにいって何になるだろう。
戦うことしか能がなかったのに、戦うことだけが俺の生きている証だったのに、それができなくなった男に何ができるというのか。
その思いが、俺に勇気を持たせなかった。






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