ある日、魔傷が消えた。
俺は再び、俺に唯一できること――戦うこと――ができるようになった。
そして、新たな敵が現われ、聖域に本物のアテナが戻ったということを、誰のものとも知れない小宇宙が、俺に知らせてきた。
だから――誰に呼ばれたわけでもないのに、俺はアテナの許に向かったんだ。
俺にできる唯一のことができるようになったんだから、俺は それをするべきなんだろうと思った。
いや、違う。
俺がアテナの許に向かったのは、そこに瞬がやってくるだろうことがわかっていたからだ。

聖域に行くことには、正直、気が乗らなかった。
そこにいるのは紛い物の黄金聖闘士たち―― 一度は地上を滅ぼそうとする敵に加担していた者たち。
そして、俺たちを見捨てたアテナ。
聖域にいるのは、そんな輩だけだとわかっていたから。
だが、そこに行けば瞬に会えるという思いに、俺は抗いきれなかった。

それに、現に地上は存亡の危機に瀕していて、戦う力を持つ者が 一人でも多く必要らしく――既に そこまで追い詰められていたんだ、地上世界は。
本音を言えば、俺は こんな世界は滅んでしまっても構わないと思っていた。
だが、この世界が滅びるか滅びないかを、俺の知らないところで決められるのは嫌だった。
俺自身が関わって、その上で滅びるなら、俺も納得して死んでいけるだろうと思った。
幸い(と言っていいのかどうかは わからないが)、俺は、変わり果てた聖域には行かずに済んだ。
マルスとかいう珍妙な奴に支配されていた聖域は(そいつは勝手に滅んでくれたらしいが)、俺にとっては既に、聖なる場所ではなく、薄汚れた場所になっていた。

今度の敵は、パラスとかいう女、そして、どうやら そのパラスの背後にいる黒幕。
戦場は聖域ではなく、パラスベルダとかいう場所。
実際 そのパラスベルダという場所に行ってみたら、何というか――そこは聖闘士の戦いにふさわしい場所じゃなかった。
戦うに値する敵もいなかった。
そこには有象無象の敵が うじゃうじゃいて、俺が その場に着いた時には、既に敵味方 入り乱れての見苦しい大混戦状態。
これが今時の聖闘士の戦いなのかと、俺は心底から呆れることになった。
敵にも味方にも品格がなくて、美しくない。
本気で戦う気にもなれない。
だから戦わないというわけにもいかないから、俺は 俺の前に現れた敵だけは倒していったんだが。

その最中、俺は今時の聖闘士たちと接することになり、更に げんなりすることになった。
生意気なガキ共と、マルスとやらに(くみ)していた黄金聖闘士たち。
地上の存続のためとはいえ、こんな奴等と共に戦うのかと、俺は 心底うんざりした。
うんざりして、げんなりして――だが、俺は、そんな奴等の中に瞬の姿を認めた。
敵も味方も見苦しい輩しかいない戦場で、瞬は以前の通りの 優しい美しさを保っていて、その様子は まさに 掃き溜めに鶴。
周りの奴等が卑俗で小汚い姿と小宇宙の持ち主ばかりだったから なおさら、瞬は――瞬だけが輝いて見えた。
本当に、そこにだけ光があるようだった。

最初に 瞬の姿を認めた時、俺は心臓が高鳴った。
それこそ中学生のガキが 思いがけない場所で初恋の相手に出会って挙動不審になるように。
そして、思いがけない場所で初恋の相手に出会った中学生のように気後れして、俺は瞬に近付いていけなかったんだ。
瞬が――瞬の方から 声をかけてくれるのでなければ――俺は自分から瞬に近付いていくことができなかった。
どのみち、戦いの最中だから――しかも大混戦の――俺たちは、ゆっくり言葉を交わしていられる状況じゃなかったんだが。

ともかく、とりあえず、俺の前に現われ 俺の行く手に立ち塞がる敵共を倒し続けているうちに、俺たちは、多分 敵の策略にはまり、4つのチームに分断された。
俺と瞬は、それぞれに 青臭いガキ共を連れて別々のルートを進むことになり、その最中に 俺は妙な気配を感じたんだ。
ひどく胡散臭い敵の気配。
ガキ共を連れて戦うことに うんざりしていた俺は、渡りに船とばかりにガキ共から離れ、その敵の気配のする方に一人で向かった。
パラスとかいう奴の手下共とは匂いの違う敵。
おそらく パラスの背後にいる黒幕に近い場所にいる敵だと思った。
そして、その気配を追っていった先で、俺は、俺とは違うルートを辿ってやってきた瞬と合流することになった。
俺たちは、同じことを考えて――いや、同じことを感じて、同じことをしようとしていたらしい。
傀儡ではなく、本当の敵を倒そうと。

俺は馬鹿なガキ共といることに うんざりして、成り行きで そこに向かったようなものだったんだが、瞬は、その胡散臭い気配を持つ者たちこそ 本当に倒すべき者たちだと、真面目に考えて、真面目に その場にやってきたんだろう。
胡散臭いエウロパとかいう、道化た格好をした奴。
あとから ミラーとかいうのもやってきて――こんなのを腹心にしているのなら、黒幕も大したことはなさそうだと、本音を言えば、俺は思った。

俺は真面目に戦っていなかった。
エウロパとミラーは、大して強くもないのに ふざけた奴等で、そんな奴等を相手に真面目になることが馬鹿らしく思えたから――じゃない。
そういう気持ちがなかったといえば、それは嘘になるが、俺は、とにかく瞬と同じ空間にいられるのが嬉しくて、その時をできるだけ長引かせたかったんだ。
そんなことはあり得ないと思うんだが、もしかしたら、瞬もそうだったのかもしれない。
その ふざけた二人組は、瞬が本気になって捕まえられない敵ではなかったし、倒せない敵でもなかった。
なのに、俺たちはいつまでも そいつらとの追いかけっこを続けていたんだから。

瞬と同じ場所で、手をのばせば触れられるほど近くで、同じ敵に相対し、瞬と共に戦っている。
なのに、俺は瞬に話しかけることができず、瞬も俺に何も言わない。
言葉を交わさずに、俺たちは共に戦い――追いかけっこという戦いを戦い続けたんだ。
同じ場所で、同じ敵と、共に戦っているのに、ひどく切なく。
その追いかけっこの間、俺が追っていたのは、もしかしたら、敵ではなく 瞬だったのかもしれない。

昔は こうじゃなかった。
昔は、こんな時、俺たちは、互いの名を呼び合い、その声の響きや目配せで 互いが次に どういう攻撃に出ようとしているのかを察したりもした。
瞬が捕えた敵に 俺が とどめを刺す。
そんなことが幾度もあった。
なのに今、こんなに近くにいるのに、俺たちは よそよそしくて――。

瞬と離れていた長い時間が、俺たちを こんなふうな二人に変えてしまったのか?
瞬は何も変わっていないように見えたが、俺だけでなく実は 瞬も、以前のように気安く俺に接することができなくなってしまっていたのかもしれない。
それとも、それは、俺の考えすぎなんだろうか。
瞬はただ、戦いに必死になっているだけなんだろうか。
だが、それなら なぜ いつまでも この戦いに決着がつかないんだ――いつまでも 追いかけっこのままなんだ。

敵と戦いながら――戦う振りをしながら、少なくとも俺は、敵を倒すことなんか、これっぽっちも考えていなかった。
瞬、俺を見てくれ。
俺に何か言ってくれ。
こんな敵、どうでもいいじゃないか。
俺は今でも、おまえを思っている。
おまえは、どうなんだ。
おまえは――おまえは もう、俺を仲間とすら思っていないのか――?
そんなことばかり、俺は考えていたんだ。
だが、当然のことだが、声に出さない俺の問い掛けに、瞬からの答えは返ってこなかった。

結局、瞬から答えをもらえないまま、俺たちの切ない 追いかけっこは終わりの時を迎えることになった。
それは 一応、世界の存亡が かかっている戦い。
いつまでも遊んでいるわけにはいかず、俺たちは エウロパとミラーを倒したんだ。


俺が 瞬との切ない追いかけっこに夢中になっているうちに、戦局は大きく動いていた。
パラスの背後にいた黒幕が正体を現わし――それは、時の神サターンとかいう奴だったらしいんだが――そいつの狙いは、地上世界の時間をすべて止め、地上世界から 鬱陶しい人間の営みを排除すること。
それはまた ご大層な企てを企ててくれたものだと、俺は他人事のように思った。
そんな俺の許に、アテナから、今 ペガサスの聖衣をまとっている光牙とかいうガキに、全聖闘士たちの小宇宙を託すようにという指示が飛んできた。
そうしなければ サターンを倒せそうにない状況になったらしい。

そんなふうに――地上世界が今にも滅びようとしているらしいのに、光牙は 自分の置かれた立場がわかっていないようだった。
まるで切羽詰まった感がない――戦いへの決意が感じられない。
自分が世界の命運を背負っているという自覚もない。
奴の戦い方は、俺には そんなふうに感じられた。
ふざけた奴だ。
まあ、そう思う俺も、その件では 人を責められるような男ではないんだが。
俺だって、いつも――今も昔も――そんな自覚を ほとんど持たずに戦っていたから。

ともかく、アテナがそうしろと言うんだから、従うしかない。
ふと 瞬の方に視線を巡らすと、俺の横で、アテナの指示に従い、瞬が その小宇宙を 光牙に向けて送り届けようとしていた。

それが俺の中に残っている最後の記憶。
そこまでは憶えている。






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