そこまでは憶えているんだが――。
俺は石の寝台の上に身体を起こし、軽く頭を左右に振った。
それから、どうなったのかを思い出せない。
この静寂はどういうことだ。
この神殿には――いや、この世界には人の気配がない。
人の住む村から遠く離れたシベリアの果てでも、知る者とてない あの洞窟の底にいる時にも、地上にあふれる人間たちの営みの気配を、俺は常に感じ取れていたのに。

これは死の静寂――いや、無の静寂か。
では、地上世界は滅びたのか。
あのガキでは地上を守ることは無理だったか。
あのガキは時の神との戦いに敗れ、人類はその活動をすべて止めたのか。
聖闘士たちが その小宇宙のすべてを あのガキに託したのに、それでも時の神に勝つことはできなかったのか。
――まあ、妥当な結末だろうな。

なにしろ、そのガキと仲間共ときたら、パライストラとかいう学校(!)で、お手々つないで、聖闘士としてのオベンキョーをしていたらしい。
そんなガキ共に、命をかけた戦いなんて できるわけがない。
当人たちは それができているつもりだったのかもしれないが、あのガキ共は本当は全く必死じゃなかった。
自分たちが何を背負い、何を守るために戦っているのかが、まるで わかっていなかった。
だが、あのガキ共を責める気にもならん。
そういう ヤワな聖闘士しかいないんだ、今は。
これで地上の平和が守られるわけがないと、これでは 地上世界が滅びても致し方ないだろうと、俺は心のどこかで思っていた。

しかし、これが死の静寂なら、ここが死の世界なら、皆がいるはずだ。
あのガキに最後の小宇宙を託して命を失った聖闘士たちが。
なぜ俺一人なんだ。
なぜ ここには俺しかいない?
なぜ俺は たった一人で、寝台の上なんかで目覚めたんだ?
この石造りの神殿は 誰のための――どの神を祀るための神殿だ?
白く だだっ広く四角い部屋。
人間の生活に必要なものが何もないのは、ここが死の世界なのだとしたら得心できるが、死んだ者に寝台は必要か?
この部屋は棺にしては大きすぎるし、窓や出入り口のある棺なんて聞いたこともない。
窓の外が暗いのは、今が夜だからなのか――。

ここが死の世界でも、俺は一向に構わない。
だが、一人は嫌だ。
一人はもう嫌だ。
戦うことができなくなって 聖域を出てから長い間ずっと、俺は一人でいることに耐えていられたのに、もう一人でいることには耐えられないと思うのは、俺が瞬に出会ってしまったからなんだろうか。
あの 追いかけっこの間、俺と瞬は 言葉を交わさず、視線を交わらせることも一度もしなかった。
それでも、互いの小宇宙を感じ取ることはできていた。
小宇宙で、俺たちは互いに『会いたかった』と訴え合っていた――ように思う。

ここが死の世界でも 生の世界でも、そんなことはどうでもいいが、俺は瞬に会いたい。
瞬がいてくれさえすれば、場所はどこでもいい。
俺はただ、瞬に会いたい――。

そう願った途端、俺の願いは叶った。
奇妙な神殿の、棺のように奇妙な部屋。
棺にあるはずのない出入口に、瞬が現われたんだ。
亡霊のような顔をした瞬が。






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