「うーん。何て言うか、氷河は 無駄なことが大嫌いな節約家なんだよ。あいつは、ガキの頃から、無駄なことに時間や労力を割かない奴で――その代わり、無駄じゃないと思うことのためなら、何でもする。惜しみなく全エネルギーを投入するし、地道な努力も厭わない。言ってみれば、氷河は、自分の価値観と欲望に 極めて正直な男なんだ。去年までは、瞬が同じ高等部じゃなったから、何事にも頑張る必要を感じなくて、省エネモードに入ってただけ。今は瞬に いいカッコして見せたいの一心で、エネルギー最大放出モードになって、怠け者の劣等生から勤勉な優等生に変身しただけ。そう驚くようなことじゃないんだよ」 別に隠すようなことでもないからと、星矢が その事実を教示した相手は、彼が入部したサッカー部の先輩たち。 星矢が氷河の幼馴染みだという話を聞いたサッカー部の先輩たち(主に3年生)に、そのあたりの事情を問われたからだった。 彼等が氷河の変貌振りを理解できないのは、瞬に対する氷河の執心を知らないからである。 氷河の異様なほどの瞬への執心を知らないと、氷河の変貌振りは誰にも理解できないのだ。 「瞬って、あの1年生の可愛子ちゃんか?」 「そ、可愛子ちゃんって死語が似合う可愛子ちゃん」 「新入生の中では、確かに抜きん出て可愛いけど、でも、確か あの子は男子だよな?」 「入学式で 新入生代表で宣誓した あの子を見た3年生たちでさ、あの子は男装の麗人か 男の娘かって賭けをしてたんだぜ」 悔しそうに言うところを見ると、キャプテンは その賭けに負け、何らかの損害を被ったのだろう。 星矢の同情は、賭けに負けたキャプテンより、男子の制服を着ていても男子と信じてもらえない瞬に向けられることになったのだが、それは この際 問題ではない。 「氷河は、んなこと 気にする奴じゃないんだ。惚れたら、んなことは一切 関係なし。ガキの頃から、氷河は、瞬の気を引くためなら どんなことでもする奴だった。瞬のためなら、それこそ どんな苦労も努力も厭わない。その代わり、瞬がいないと、やる気をなくして、生きることから手を抜く。俺なんか、氷河と瞬が1学年しか違わなくてよかったと、しみじみ思うぜ。3学年 違ってたら、氷河は高校3年間を手抜きの劣等生で通すことになってただろうからな」 「確かに、それは氷河には幸運なことだったな。それにしても、優等生になるのも 劣等生になるのも、自分の意思で決められるってところが すごい」 「劣等生はともかく優等生は、なろうと思って なれるもんじゃないだろうに」 氷河は、自身の人生に対して真面目なのか 不真面目なのか。 自分たちは 氷河に呆れているのか 感心しているのか、自分たちが氷河に向けている言葉は称賛なのか 誹謗なのか。 氷河を評している部員たちにも、それはよくわかっていないようだった。 ただ、氷河が 普通レベルの優等生を超越した優等生であり、極めて大胆不敵な男だということは確かだと、彼等は思っているらしい。 氷河が普通の高校生でないことには、もちろん 星矢にも異論はなかった。 しかし、氷河が大胆不敵な大物かどうかということについては、星矢は彼等の見解に 必ずしも賛同することはできなかったのである。 もしかしたら それは“慎重”と表すべきことなのかもしれないが、氷河には“小心”といっていいようなところもあったのだ。 「でも、傍から見たら、あれだけ露骨なのに、瞬は氷河の気持ちに気付いてないんだぜ。氷河の奴、未だに瞬に告白できずにいるんだよな。最初に出会ったのが幼稚園の時だから、かれこれ10数年。氷河と瞬はずっと、幼馴染みのオトモダチのままなんだ」 「オトモダチのまま?」 その意外な事実を知らされたサッカー部員たちが、一同 打ち揃って、いわく言い難い顔になる。 それを意外なことだと感じる感性は真っ当なものか否か。 彼等は その判断に迷ったようだった。 恋など知らぬげな まっさらな新入生の佇まいを思い浮かべれば、それは実に妥当な現実と思えるのだが、氷河の尋常ならざる瞬への執着を思えば、二人が ただのオトモダチのままでいるということは ありえないことのようにも思えるのだ。 そのあたりの事情に詳しい星矢でさえ そう思っているのだから、特に氷河たちと親しいわけではない第三者には なおさら、オトモダチのままでいる二人のありようは奇異なことと感じられるだろう。 「それも、考えようによっては、ものすごい意思力だな。それほど好きな相手がいたら、普通は、黙っていることに耐えられなくなって告白してしまうもんじゃないのか」 「そこは、ほら、告白して嫌われたりしたら、ただのオトモダチでもいられなくなるんだから、本気で真剣な分、氷河も慎重にならざるを得ないわけで――。それでなくても、瞬は超清純派だし、男同士ってのは、やっぱ 大きな障害だし」 「ああ、そうか。あの子は男子なんだった」 つい数分前 自分で指摘しておきながら、キャプテンは すっかりそのことを失念していたらしい。 改めて その事実を思い出したキャプテンは、その口許に 引きつり乾いた笑いを浮かべることになった。 日本国における同性愛者の数は、人口比率で3パーセントから5パーセントという報告があるが、これほど身近に そういう趣味の人間がいることを、彼は これまで一度も考えたことがなかったのかもしれない。 あるいは、男子だと感じさせない瞬の風情に惑わされている自分に、彼は動揺を覚えたのかもしれなかった。 「とにかく、氷河が どれほどフツーじゃなくても、瞬に変に馴れ馴れしくしたりさえしなきゃ、実害はないから」 常人の理解の範疇を超えた氷河の恋に 少々 及び腰になっている感のあるサッカー部員たちに そういってから、星矢は、 「まさか、ここには いないよな? 氷河みたいに、可愛くて優しいなら オトコでもいいっていう趣味の持ち主は」 と、彼等に確認を入れたのである。 その場にいた全員は、一斉に ぷるぷると首を横に振った。 「ウチの部員は、基本的に女好きばかりだな。万一 そういう趣味の奴がいても、あの氷河が それほど執着している相手に手を出すなんて 命知らずな真似のできる奴は、ウチの部だけじゃなく、この学園内には一人もいないだろう。皆、命は惜しい」 部員を代表して、キャプテンが答える。 その答えを 脇から補完してきたのは、2年のサブキャプテンだった。 「去年ならともかく、今年は女の子は豊作だから大丈夫だろう」 「豊作? 今年、高等部に進級した生徒の中に、瞬より可愛い子なんていたっけか?」 「ああ、1年じゃなく2年の方に、ウチのガッコには珍しく、他校からの転入生が三人もあったんだ。それが美人揃いでさ」 「へー……」 いかにも興味がなさそうに顎をしゃくった星矢に、三人の転入生情報を提供したサブキャプテンが、少々 気の抜けた様子で、 「年上には興味ないのか?」 と尋ねてくる。 「あ、いや、そういうことじゃなく……いくら美人ったって、瞬より可愛いはずないからな」 「おい、まさか、おまえも氷河と同じ趣味の持ち主なんじゃないだろうな」 意識してのことなのか 無意識の行動なのか、サッカー部員たちが 揃って、氷河の幼馴染みの新入生の側から1歩 後ずさる。 彼等が、いちばん危険なのは この新入部員なのではないかと案じているのは明白だった。 誰しも、積極的に危険人物との関わりを持ちたくはないだろう。 星矢は、自身が所属する部の仲間たちの優れた危機回避能力に感心し――否、むしろ安堵したのである。 少なくとも サッカー部の部員は皆、『さわらぬ神に祟りなし』という諺を知っているようだと。 もちろん、星矢自身に その趣味はなかったが。 「んな趣味の持ち合わせは 俺にもないけど、可愛子ちゃんの幼馴染みって、ほんっと 傍迷惑な代物なんだぜ。他の女の子が、へのへのもへじにしか見えなくなってさー」 「あれだけ可愛い子が身近にいたら、惚れた はれたの事態にならなくても、目の保養になって、毎日 楽しいだろうと思っていたんだが、可愛い幼馴染みには そういう弊害があるのか。大変だな」 星矢の言に ほっとした先輩部員たちが、今度は 揃って 星矢に同情の眼差しを向けてくる。 グラード学園高校のサッカー部員の性的指向は全員ストレート、チームワークもいいようだと、星矢は心を安んじたのだった。 |