瞬の誤解を解くには どうしたらいいのか。
氷河が その相談をできる相手は、瞬に対する彼の恋心を誰よりも(瞬当人よりも)知っている彼の幼馴染みたちだった。
もっとも、氷河は、自ら進んで星矢たちの許に相談に行ったわけではない。
氷河が生徒会館のフリースペースで 放心状態で動かなくなっているという連絡を受けた紫龍と星矢が、その保護者よろしく 氷河を引き取った――というのが、本当のところだった。

「おまえ、ほんとに そんなこと言ったのかよ。いじめた責任とって結婚するって?」
姉と二人暮らしの星矢の家、星矢の部屋。
何とか呆然自失状態から脱出することのできた氷河は、星矢に そう問われて、いかにも自信なさげに首を横に振った。
「憶えていない。ただ……」
「ただ?」
「責任をとって結婚すると言ったかどうかはともかく、俺が彼女たちをいじめていたというのは あり得ないことではない――かもしれん。幼稚園の頃は、俺がいちばん荒れていた頃だ」

星矢の部屋が 部屋の持ち主の性格に似つかわしくなく 掃除が行き届いているのは、彼の姉が綺麗好きだから。
床に あぐらをかき、がっくりと肩を落としている氷河の言葉を聞いた星矢と紫龍は、氷河が母を失ったのが その頃だったことを思い出し 得心したのだが、実情は彼等の得心した内容とは少々 異なっていた。
「マーマが死んだ時、誰より優しく必死になって俺を慰めてくれたのは瞬だった。俺は瞬の優しさ温かさに すっかり夢中になり、瞬なしの俺の人生はあり得ないと悟った。瞬こそが俺の運命の人だと悟ったんだ」
「幼稚園児の分際で、んなこと悟るなよ。この ませガキ!」

氷河が母親を亡くしたのは、彼が小学校にあがる直前。
氷河が6歳として、瞬は5歳。
自身の運命を悟るには、いくらなんでも早すぎる歳である。
しかし、氷河は自分の悟りに絶対の自信を抱いているようだった。
「幼稚園児だろうが、乳幼児だろうが、運命に出会ってしまったんだ。仕方がない」
「運命ねー……」
その頃、自分は“運命”という言葉を知っていただろうかと疑いながら、星矢が その言葉を反復する。
星矢はともかく、氷河は その言葉と 言葉の意味を知っていたのだろう。
そして、彼は、自分の運命に殉じる覚悟を(6歳で!)決めたものらしかった。

「とにかく、それで瞬を誰かに取られるわけにはいかないと考えた俺は、早速 皆に ふれまわったんだ。俺は瞬と結婚するつもりだから、誰も瞬に手を出すなと。ところが、心無い大人が、俺と瞬は結婚できないんだと、親切に教えてくれやがりやがった。瞬と一生を共にできないと知らされた俺はショックで、それから しばらく荒れに荒れていたんだ」
「そりゃまあ、荒れるし、すさむわな」
失った母の代わりに見付け出した希望を、見付けた途端に奪われたのだ。
氷河の落胆と失望が怒りに変わったとしても、それは さほど不自然なことではないだろう。
氷河の場合、母の代わりに見い出した希望が少々 特殊だっただけで。
星矢は とりあえず氷河に頷き返した。

「だが、それは ごく短い期間だったんだ。俺は、すぐに そのショックから立ち直った。たとえ社会が俺の恋を認めてくれなくても、俺の心は変えられない。瞬より優しくて可愛い子はいないんだ。この恋を貫くしかないと、俺は考え直した」
「社会が認めてくれない――って……。おまえは、幼稚園の頃に んなこと考えてたのかよ」
僅か6歳で そんなことまで考えて、必ず貫くと決めた恋。
瞬の動向如何(いかん)で 学園の生徒たちを驚かせ呆れさせるほどの変貌を遂げてみせる氷河の瞬への執着振りも当然のことなのかもしれない。
氷河の場合、それほどの恋をした相手が少々 特殊だっただけのことなのだ。
星矢は、とりあえず 氷河に感心してみせた。

「その荒れていた時期だ。俺が女の子をいじめたりしていたのは。……多分。その時期以外は、俺は瞬しか見ていなかったし、そもそも 他人を いじめるために 俺の貴重な労力や時間を割くことは無駄だと考えていたはずだからな。あの時期は、瞬が可愛ければ可愛いほど、瞬を見ているのが つらくて……つらくても見ずにはいられなかったし、かえって瞬への思いは強く深くなっただけだったが」
見ているのが つらくても見ずにいられず、その つらさによって更に深まる思い。
それは、一つの恋のあり方として、特に珍奇なものでも異常なものでもないだろう。
氷河の場合、その相手が特殊なだけ――否、特殊なのは瞬ではない。
特殊で異常なのは、僅か6歳の幼稚園児の分際で、そんな恋をする氷河の方だった。

「おまえさあ、もう少し普通の人生を送る気はないのかよ……」
氷河の奇天烈な言動には慣れっこになっている星矢が、さすがに疲れた口調になる。
「今更、氷河に そんなことを言っても どうにもなるまい」
星矢の疲労には 大いに同情するが、疲れているだけでは問題は解決しない。
紫龍は、星矢より(多少)建設的だった。
極めて建設的な意見を、氷河に告げる。
「瞬ひとすじの気持ちに変わりがないのなら、あの三人とは婚約解消するしかないだろう」
「解消以前の問題だ! そもそも婚約なんかしてないんだから!」
「しかし、あの三人は、した気になってるんだろう?」
「無視する」
「それで大人しく引き下がってくれればいいが。敵は10年以上前の おまえの無責任な発言を忘れずにいた執念の持ち主だぞ。ここは面倒がらずに、何らかの行動を起こした方がいいだろう。自然消滅は期待できない」
「む……」

実に全く、紫龍の言う通りである。
そんな昔の子供の戯れ言を憶えているだけでも驚嘆に値する執念深さだというのに、彼女等は 揃いも揃って かなり気が強い少女たちであるようだった。
その気の強さは、彼女等が三人だということで―― 一人ではないために――本来より一層 増幅されているように見える。
彼女等が 彼女等の婚約のことを自然に“忘れる”“諦める”ことは、とても期待できそうにない。
現状を放っておいて 瞬にまで累が及ぶことになる事態だけは、氷河は何としても避けなければならなかった。

「確かに、何か 手を打つ必要があるな。俺は うるさいハエなぞ無視することができるが、瞬にまで、その とばっちりがいったら大変だ」
何らかの行動を起こさなければ、この問題は解決されない。
他の誰でもない 瞬のために、現状は打破されなければならない。
氷河は、そう考えたようだった。
星矢と紫龍の上に視線を据え、氷河が 彼の幼馴染みたちに釘を刺してくる。
「瞬には何も言うなよ。瞬のせいで俺が ぐれていた時期があるなんて、そんなことを知ったら、瞬は、俺にも あの三人にも責任を感じて 罪悪感を抱くことになるだろう。これは瞬に責任のあることじゃないんだ」

我儘で、極端に偏った価値観を持ち、対峙する相手への差別もひどく、視野狭窄。
そんな男でも、氷河の幼馴染みたちが 彼を許す気になれるのは、彼が 瞬のことだけは気遣うことができる男だから――だった。
いずれにしても、氷河が自ら行動を起こすというのなら、第三者にできるのは その成り行き見守ることだけ。
第三者に口出しできることはない。
「了解。瞬には黙っといてやる」
「うまく やれよ」
星矢と紫龍は そう言って、氷河を激励し、その健闘を祈ったのである。






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