「氷河……」 私の視線で、氷河のいる場所に おおよその見当をつけたんでしょう。 氷河の名を呼び、瞬はその手を前方にのばした。 でも、残念ながら、少し右に ずれている。 「瞬がいるんだな。どこだ」 氷河も、私の頭越しに腕をのばし、その先の空間にあるはずのものに触れようとする。 でも、残念ながら、その手も、実際に瞬がいる場所より少し右にずれている。 これって、二人の手が たまたま ずれていなかったら、二人は触れ合えるのかしら? それとも、映像が重なるみたいに 二人の手は素通りして、触れ合うことはできないのかしら。 どっちにしても同じか。見えないんじゃ。 もし触れ合うことができたとしても、透明人間を抱きしめることで、人が 恋の喜びを実感できるとは思えないもの。 結局、二人は 互いの存在を確かめるのを諦めたみたい。 諦めた――というより、我にかえって中断したというべきなのかしら。 それも致し方なし。 この状況を、氷河と瞬は自分で選んだんだから。 たとえ無意識に だったとしても、自分が こうなることを、彼等は自分で選んだのだから。 「氷河に、大好きって伝えて」 「瞬に、愛していると伝えてくれ」 互いの姿を見ることができない二人は、触れ合えないだけじゃなく、声も聞こえないみたい。 物理の法則を完全に無視しているわね。 ほんと、どこまで世界の秩序を乱してくれるんだか。 私は とても腹が立ったんだけど――。 瞬の瞳は涙でいっぱい。 氷河の青い目も、青い空どころか、真冬の曇った空みたいに つらそうな灰色を帯びていて――私は、さすがに二人を責める気にはなれなかった。 年端もいかない子供に そんな伝言を頼むほど、二人は進退窮まった状況に追い込まれている。 この上、年端もいかない子供に この非常識な振舞いを責められたりしたら、彼等はもっと ひどいことになってしまうかもしれない――もっと厄介な無秩序を引き起こしてくれるかもしれない。 それは私の本意ではないわ。 「二人とも、私をからかってるんじゃないわよね? 目の前にいるのに……本当に見えてないの?」 半信半疑――というより、信じられないけど信じるしかない、信じたくないけど信じるしかない。 そんな口調で尋ねた私の前で、瞬は力なく無言で首肯した。 「でも……そんな変なことあるわけないでしょ。そんなの、世界の秩序に対する大いなる挑戦、掟破りもいいとこ。秩序の女神が怒るわよ?」 信じたくないことを信じなければならなくなった苛立ちを笑顔でごまかし、私は無邪気な子供の口調で、からかうように二人に告げた。 「そうだね……」 瞬が、暗い眼差しを隠すように瞼を伏せる。 悪意も驕りもない人間というのは、本当に迷惑で面倒な存在だわ。 世界の秩序なんか知ったことじゃない、世界は自分を中心に回っている。 それくらいの傲慢さを瞬が持っていてくれたなら、私の方も好き勝手に振舞えるのに、そうじゃないから、私は不思議そうな顔をして、瞬に穏やかに尋ねてあげなきゃならなくなるわけよ。 「本当に見えてないの? どうしてこんなことになったの?」 って。 瞬の声は氷河に、氷河の声は瞬に聞こえていないけど、私の声は二人に聞こえている。 二人を交互に見やりながら訊いたせいで、どっちが質問されたのか わからなかったのかな。 二人は私に答えを返してこなかった。 ううん。答えるのが――説明するのが つらくて、二人は答えてこなかったんだ。 瞬は、氷河の姿を探すように視線を虚空に向ける。 氷河は、瞬の姿を探すように視線を虚空に向ける。 私は これまで考えたこともなかったけど、見たいものを見ることができないって、自分の目で確かめられないって、すごく つらいことみたい。 見たくないものから目を背けるのは簡単だけど、見たいものから目を背けるのは つらい。 でも、二人は目を逸らすことを選んだ。 自分が見たいものから。 おそらく、もっと つらいものを見ないために。 とにかく、二人のどちらかに、こうなった事情を説明させなくちゃ。 二人の中には 本当に、神に懲らしめられなきゃならないような傲慢や邪心がないのか。 それを確認するために。 「教えて」 私は、瞬に向かって 言葉を重ねた。 私が尋ねると、瞬は、こんなことになった訳を たった今知り合ったばかりの人間に――しかも、幼い子供に――話していいのかどうかを迷ったみたいだったけど、結局 瞬は それを語り始めた。 私に 理解や同情を求めて――ではなく、多分、逆。 恋も知らないような小さな子供には、恋のために我が身を苦しめる大人の気持ちは理解できないだろうと考えて、瞬は私に話す気になったのよ。 言ってみれば、路傍に咲く花や 子犬に秘密を打ち明けるみたいな気持ちで。 それでも やっぱり ためらいを完全には消し去れていないような声で 訥々と、瞬は二人の事情を私に話し始めた。 |